溝口「新・平家物語」の放映

山田邦和(花園大学・考古学)
No.5006

みなさま。ふたたび残暑お見舞い申し上げます。

かの溝口健二監督の名作「新・平家物語」が、来る8月31日20時03分~21時55分にNHK衛星第2放送で放映されますので、お知らせします(衛星放送を契約していない人にはお気の毒ですが・・・)。
http://tv.starcat.co.jp/channel/tvprogram/0014200608312003.html

年配の(失礼!)先生方はもちろん御覧になっておられるでしょうが、若い方々はこの機会にぜひ、と思います(そういえば、映画通の元木先生の御著書のあちこちには、この映画のカットが使われていましたね)。ただ、今回はデジタル・リマスター版ということで、これまでよりも色彩がかなり綺麗になっているので、「もう見た」という方々も再見の価値はあるはずです。

もちろん、1955年(私で「すら」、まだ生まれていない・・・)の作品ですから、やはり「時代」を感じさせるところは多い。しかし、そんなところをツッこむのはヤボというもの。見始めたら、名匠溝口監督の映像美に酔いしれることは必至です。少なくとも、昨今の不細工な「大河ドラマ」とは比べるのも申し訳ないくらいであるのは確かです。

私が仰天したシーン。若き市川雷蔵演ずる颯爽とした清盛が、自宅の畑を耕しているところ。その背後に、累々とした巨岩が積み上がっている奇妙な構築物が見えます。これ、京都を代表する古墳である太秦・蛇塚古墳の石室なんですよね。つまり、このシーンは蛇塚古墳の石室の側にセットを組んでロケをやったことになる。現在では蛇塚の回りは完全に住宅地になってしまっているのですが、50年前にはこういう撮影ができるだけの空間があったのですね。ともあれ、このシーン、考古学をやっている身としては、いささか感動モノでした。

Re: 溝口「新・平家物語」の放映

No.5008

 山田先生、お久しぶりです。
 『新・平家物語』、私は生まれておりました。しかし物心はついておりません。
 雷蔵が良かったですね。まだデビュー二年目、まさに颯爽としておりました。清盛役の太い眉毛は、原作者吉川英治と対談した時に、その風貌から思いついたとのことです。
 拙著のカバー写真を決める時、角川の編集者T氏が、あの雷蔵の顔にしようと主張したのが思い出されます。
 時子は久我良子。清楚で知的で良かったですね。
 ちなみに時忠役の林成年は長谷川一夫の息子です。

 このあと、第二作『義仲をめぐる三人の女』は長谷川一夫、京マチ子、山本富士子、高峰秀子競演、衣笠貞之助監督、第三作『義経と静』は菅原謙次、淡島千景共演、嶋耕次監督で作成されております。

Re: 溝口「新・平家物語」の放映

山田邦和(花園大学・考古学)
No.5011

 元木先生、こちらこそご無沙汰しております。

 録画でチェックしてみましたら、久我良子演ずる時子の後ろで糸染めに勤しむ、質素な作業着姿の女性が写っていました。あれっ、と思ったら、やはり滋子(もちろん、後の建春門院)でした。顔がよく見えないので、名も知れぬ女優さんが起用されたのだろうな、と思っていたのですが、インターネットで検索してみてびっくり。滋子を演じたのは、なんと、若き日の中村珠緒でした。私たちの世代にとって珠緒さんといえば、大河ドラマの「新平家物語」では時子を演じたのが記憶に残っていますが、滋子を演じたこともあったのですね。知らなかった~。

 >このあと、第二作『義仲をめぐる三人の女』は
 >長谷川一夫、京マチ子、山本富士子、高峰秀子競演、衣笠貞之助監督、
 >第三作『義経と静』は菅原謙次、淡島千景共演、嶋耕次監督
 >で作成されております。

 「義仲をめぐる三人の女」、京マチ子演ずる巴御前も独特の存在感を発揮していましたが、なんといっても凄いのは、義仲を最期まで慕い続ける「山吹」を演じた山本富士子。煤と土にまみれた田舎娘なのに、清楚にして光り輝くような美貌で周囲を圧していました。

Re: 溝口「新・平家物語」の放映

No.5013

 私も蛇塚に驚いた記憶があります。京都撮影所で撮影した映画には昔の京都周辺の思わぬ貴重な景観が記録されていたりします。誰か研究費を取って取り組みませんか?

 それにしても、この映画に描かれている平家は明らかに新興勢力=武士階級の側にたっています。戦後歴史学というか、戦後の一般的な成立期の武士認識が反映された映画として御覧になると面白い映画です。ちなみに、原作者の吉川英治氏は、戦後中世史の一方の担い手であった豊田武先生と親交があったようです。
 ところで、久我「良子」は美子が正しいのでは?

Re: 溝口「新・平家物語」の放映

No.5019

 山田先生、レスを有難うございました。京マチ子の巴も当たり役でしたが、山吹の山本富士子、たしかに良かったですね。
 野口先生、ご指摘の通りです。「久我美子」の誤りですので、謹んで訂正致ます。
 いよいよ老耄の気配が濃厚になってまいりました・・・
 ちなみ、TVでご本人が話されたところでは、ご本名は同じ漢字で、「こがはるこ」と読むそうです。本名のままでデビューしようとしたら、映画会社から「誰にも読めない」と反対され、「くがよしこ」と読むようにしたとのことです。お蔭で、PCの誤変換を生じてしまったわけですが。
 彼女は村上源氏の嫡流、久我公爵家の出身で、先年の久我家文書展では、テープカットをしていたのが思い出されます。
 『酔いどれ天使』の鮮烈なデビュー、そして『また逢う日まで』の入魂の演技が思い起こされます。
 ちなみに、大河ドラマでは1972年のTV版『新平家物語』で、落魄の待賢門院を演じておりました。閑院流は村上源氏のライバルだったのですが・・・
 ついでにその時の崇徳は田村正和、為朝は伊吹吾郎でした。なお、中村玉緒の時子のほか、平家関係の女性の配役は、建春門院が村松英子、祇園女御が新珠三千代(かつて上横手先生と共演?)、徳子は佐久間良子、常盤が若尾文子、祇王が波乃久里子(現中村勘三郎の姉)でした。

 なお、先日、たまった上新電機のポイントで、66年版『源義経』のDVDを購入致ました。現在、Nさんにお貸ししていますが、ご返却いただいたら、野口ゼミにお貸ししたいと思います。本当の殺し合いを経験した人が作る戦闘場面、ハムレットvs緋牡丹お竜など、お楽しみに。

Re: 溝口「新・平家物語」の放映

No.5021

 元木先生、ありがとうございます。
 岩田君が、30日に課題図書を巡る総合的な討論、或いは後期に向けての若干の相談の時間を提案されていましたが、この機会に共同研究室の大型液晶テレビで例の「千葉テレビ」録画の鑑賞?(間違い捜し)でもしていただこうかと思っていたところでした。
 『源義経』も来月あたりということに出来れば幸いですね。

 >元木先生  四条の川床の場面。元木先生と対面する形で二名の方(美川先生と坂口君?)の背中が映っていました。その日の鴨川はかなり増水してはいなかったでしょうか?

 >美川先生  そういえば私は大昔、上司(美川先生もよくご存知の先生です)に連れられて(でも、私の運転で)中村利則先生のオフィスに御挨拶にうかがった記憶があります。

 >岩田君  『幸福の黄色いハンカチ』の高倉健さんのお説教(「みっともない!」)、どのくらいの方が何のことかおわかりでしょうかね?
 ちなみに、『男はつらいよ』のシリーズでは、第21作「寅次郎わが道をゆく」に武田鉄矢、第23作「翔んでる寅次郎」に桃井かおりが出演しております。
 なお、われわれの世代の青春時代に御関心があるのならば、その高校時代版としてお薦めしたいのが、大林宣彦監督の『青春デンデケデケデケ』です。
 この映画は香川県の観音寺が舞台なのですが、当時の我が母校千葉東高校の出来事にもオーバーラップするところがかなりあります。今の55~6のオヤジたちは、たしかにあんな高校時代を送っていたのです。

 >鈴木君  本当にいつも縁の下の力持ち、ありがとうございます。永富さんとともに、これからもどうぞよろしく、お願いいたします。

Re: 溝口「新・平家物語」の放映

No.5024

 なにやら主におじさん族によって、掲示板が劇的に動いておりますね。
 鴨川の件、その通りです。鴨川が珍しく濁流で、あれに落ちたら死ぬかも知れないなどと話したのを覚えています。
 そういえば、四条大橋から撮影していたような記憶もあります。
 飲みっぷりが良かったので撮影されたのでしょうか?

テレビっこにつき

No.5025

>野口先生 「千葉テレビ」録画の鑑賞!に異存はございません。というよりもむしろ、観たいです。後期に向けての若干の相談はまた追々行いましょう。

 大林宣彦監督の『青春デンデケデケデケ』は、評判は聞きますがまだ観たことがありません。是非チェックしてみたいと思います。'70年前後を舞台にした映画では、他に村上龍さん原作の『69 sixty nine』も楽しい作品でした。当時の高校生はみんなあんなに賑やかだったんですかねぇ、とうらやましくなりました。
 京都の祇園会館では、9/9(土)から『ALWAYS 三丁目の夕日』と『初恋』という二本立てが始まります。こちらも気になります。

山本富士子、トリビア的ネタ

山田邦和(花園大学・考古学)
No.5028

 ちなみに、「日本一の美女」と呼ばれた山本富士子は、生まれは大阪(育ちは大阪府和泉市らしい)ですが、後には京都に住んでおられました。寺町通三条下ル西側がその旧地にあたります。近年、同所にその邸宅跡を顕彰するための石碑が建立されたというのですが、私はいつも通っていながら気が付いていませんでした。ホンマかいな?と思って行ってみたら、たしかにありました! 同所のビルの壁面に、石碑というか石板がはめ込まれていて、そこに「女優 山本富士子邸跡」という文字が刻まれています。いつ頃まで住んでおられたのか知りませんが、もしかしてあの附近で御本人とすれ違っていることがあるかも知れない、と思うと、なんだか妙な気分です。京都にはいろんな史跡の石碑がありますが、現代の女優さんの家の跡を示す、というのは珍しいことですね。

日本一の美女

No.5035

 山本富士子の石碑とはすごいですね。第一まだ彼女は健在で、舞台で活躍しているのでに、もう石碑ですか!
 それこそ今の方には分からないでしょうが、60年代までは、日常会話でも、漫才でも、コントでも、美女のたとえといえば「山本富士子」の名前が出されたものです(一時、彼女に対抗する存在として、嵯峨美智子の名前があがったことがあります)。
 仮に今、女優で「日本一の美女」というたとえに、多くの人が一致して名前を挙げる人がいるでしょうか。N、Y、I?較べようもありませんね。もちろん、最近は女優の評価の基準が、「美女」というより個性ということもありますが。多少それに近かったのは、一時の佐久間良子、あるいは70年代前半の岩下志麻くらいでしょうか(ちなみに当方の好きな女優は永久に『夏目雅子』です)。
 
 山本富士子は京都のイメージが強く、たしか府立第一高女の卒業と聞いていたのですが、Wikipediaによると、泉大津高校の卒業とのこと、本当なんでしょうか?山田先生ご存じないですか?
 Wikipedeiaによると、日銀の採用試験に赴いた彼女は、あまりに美しかったので、男子行員の気が散るという理由で、能力とは無関係に不採用になったとか。
 しかし、Wikipediaはあまり信用できません。彼女の女優としての最高の演技を示した作品と評価の高い『夜の河』が触れられていないのですから。西陣の染色工芸家の彼女が、妻を病気で失う大学教授(上原謙)と恋愛に陥るが、悲恋に終わるという内容。
 昔の大学教授はもてるということになっていたんですね・・・・
 それに忘れられないのは、59年の『細雪』の雪子です。ドラマの自体は、どうしても幸子(京マチ子)が中心ですが、楚々として怜悧な美しさは、原作の雪子を髣髴とさせ、素晴らしいものがありました。
 余談ですが、この作品は、時代を59年に設定し、オール芦屋、夙川ロケを敢行したものでした。戦争をはさんだ30年代後半と50年代後半は、まだ文化でも生活感覚でも共通していたのだと言うことを痛感させられます。
 (83年の市川崑の作品は1938年が舞台です。高槻・上牧間の築堤を住吉川に見立てて阪急の900型を走らせたり、大井川鉄道のC11に、特急燕牽引用のC53の標識をつけてみたり、鉄道趣味でも面白いものがありました・・なんのこっちゃ)