残暑お見舞い申し上げます。
No.4999
ご無沙汰しております。元木でございます。
今年は、6年ぶりにややこしい委員・役職を離れた夏休み。思い切り勉強できるはずが、積年の疲労と、不摂生ですっかり不調、毎日ただひたすらボケッとしております。
予定していた仕事の半分も片付かず、イライラは募るばかりです。情けない・・・。
そんな憂鬱な気分を吹っ飛ばすべく、史跡見学旅行に参りました。
長村君が簡潔にまとめてくれていますが、是非訪問していただきたい史跡ばかりなので、少し補足しておきます。
浄瑠璃寺の本堂の九体阿弥陀仏、本堂・三重塔をはさんだ浄土庭園の素晴らしさは、申すまでもありません。岩船寺は、住職が見所を簡潔に説明してくれます。仏像や改修された三重塔も素晴らしいのですが、様々な石造遺物が境内一帯に点在していることが、一番の魅力かもしれません。この二寺は、行かれた方も多いと思います。
次の海住山寺。こののぼり道はすごい難路です。幅員が極めて狭く、車で登るのは要注意です。瀟洒な五重塔はやはり何度見ても素晴らしいものですが、裳階があるのがアクセントでもあり、余分なようでもあり・・というところでしょうか。
見落としてしまいそうな、鎌倉後期の文殊堂もなかなか端正なたたずまい。参道の山道の途中から恭仁京後が一望にできるのも、見所の一つでしょう。なお、時間の関係もあって寺宝(本尊十一面観音など)は拝観しませんでした。
次が一日目の目玉、笠置寺。笠置温泉から参拝用の山道を登りますが、海住山寺に比べればずいぶん整備されていて、走りやすさは問題になりません。寺と言っても本堂もなし。近世には無住だったようで、近代に復興したとのことです。本尊は磨崖仏ですが、既に摩滅状態ではっきり確認できません。他に文化財としては、重源寄進とされ、鐘の淵に建久七年の銘が残る梵鐘や石塔といったところでしょうか。それよりすごいのは、山岳修行の場を復元した周回路にある、蟻の戸渡し、胎内くぐりといった難路、ふもとの木津川一望の景観などでしょう。幕府の奇襲に備えて準備したが使わなかった巨岩?、後醍醐の行在所などの元弘の乱にちなんだ史跡?もあります。一周、ほぼ1時間、かなり歩きにくいので、足元に注意が必要です。
ついで、柳生に行き、有名な徳政碑文を見学。これは柳生の中心から少し南に外れたところにあり、車を降りて数分歩く必要があります。教科書で有名なものですが、写真と実物では印象が大きく異なります。笠置から柳生はすぐですが、道が極めて狭いので要注意です。
その晩は伊賀市上野(元伊賀上野市)のビジネスホテル「上野シティホテル」に宿泊。地方都市のホテルにしては上等ですが、自動販売機に1000円札を吸い取られたのには参りました。
ちなみに長村君が書き込んだしゃぶしゃぶ食べ放題は、ホテルのレストランのメニューで、2920円。ご飯つきです。お若い方には問題ないでしょうが、正直に言いますと、この年になると少し胃に応えるお肉でした・・・
翌日は名張市に南下して黒田荘の旧跡を見学。まず荘域にあった白鳳期の寺院跡夏見廃寺跡を訪問。資料館はなかなかよくできており、金堂の復元は一件の価値ありでした。
黒田荘から大和に年貢などを運んだ笠間峠に向かうも土砂崩れで通行止め。峠のあたりは石仏等史跡もあるようです。荘域を一望するなら、名張市黒田の山沿いにある勝手神社が最高です。76年、3回生の時、京大国史研究室の旅行で同地を訪れた時、荘域を一望しながら大山喬平先生のお話を伺ったのを覚えていますが、あの景色は勝手神社の境内ではなかったかと思われます。
午後は南近江に向かいました。このあたり、素晴らしい史跡があるのですが、行ったことがない方が多いのではないかと思います。
まず、滋賀県の南端甲賀市(この地名にはまだ違和感がありますね)の油日神社に参りました。室町時代の重厚で端正な神社建築です。このあたり、ご存知の通り元暦の伊賀・伊勢平氏の蜂起の古戦場。佐々木秀能が討ち死にしたのもこの辺です。
となりの湖南市(ますます違和感)には、最近湖南三山と呼ばれるようになった、国宝の3寺院があります。最初は水口に近い善水寺。
ここの国宝の本堂、仏像の素晴らしさ、歴史的価値は大きなものがありますが、なにより博学多識、篤学能弁のご住職が最大の魅力でしょう。天台建築の特徴、文化財の所在、同寺の仏像の素晴らしさ、南近江の歴史など、まさに立て板に水。実に勉強になります。是非一度お越しください。
残る二山のうち、国宝の本堂と三重塔のある常楽寺はどうしたことか、原則閉山。予約団体に限り見学可能とのことです。どういう事情か知りませんが、まことに残念なことでした。
その近くの長寿寺。ここにはやや小型ながら、滋賀県下の天台本堂建築の5国宝の一つがあります(善水寺ご住職の受け売り)。三重塔は信長に奪われたことで有名ですね。このお寺は立ち入り自由。紅葉は素晴らしいものがあります。
かくして17時過ぎに見学を終えて、18時半から京都駅前のSで打ち上げ。
評判のいい店なのですが、混雑の所為か、注文し方が悪いのか、注文してもこない、同じものが二重に来る、頼んでないものが来るなどなど、こっちも酔っ払ってわけが分からなくなるうちに、Y君を中心にお若い方々は六波羅がどうしたと熱心に議論、おじさんグループはセクハラがどうしたと下世話談義。
そうこうする間にたちまち21時をすぎ、お開きと相成りました。
他の客の分まで払わされたのでは(他所の客がこっちの分も払ったのかも)、という疑心暗鬼のうちに二次会のタワーホテルラウンジへ。
ここででも大いに盛り上がり、まさに時を忘れるひと時の後、店を出たのが22時45分でした。
張り切って階段や山道を歩き、大いに汗をかき、実に気分爽快。ビールのうまかったこと!
ところが、今朝になってみると足腰のあちこちに痛み激発。起き上がるにも難渋する始末。いやはや年齢を痛感しました・・・
今回の旅行は、毎夏、東京の漆原徹先生とご一緒して関東、関西の研究者、院生を集めて行う見学旅行の三回目です。
最初は東播磨(過去ログ参照)、去年は菅浦荘・湖東でした。そして来年は高知県に行く予定です。
大学の枠を超え、ともに史跡を体験し、議論し、学びあう楽しい機会です。是非、ご参加ください。
できれば運転可能な方、とくに酒好きな方、よろしく。
またまた当方の書き込みは長くなりましたね(笑)
なお17日は、近藤先生との懇親会。野口先生もご出席頂きました。
野口先生以下まじめな方々がお帰りのあと、能楽の井上先生ご贔屓の四条木屋町の某所に出かけました。
あのチーママ(ハイヒールのりんごのような感じを受けましたが)、好みは人それぞれでしょうが、如何なものですかね、近藤先生?
4次会は昨年末と同じミルクホール、宮津からこられた常連のお坊さんを交えて盛り上がるうちに時は過ぎ行き・・・かくしてホテル帰還は1時半。良い子は真似しちゃ駄目だよ。
11名出席。気力、体力(ついでに知力も)衰え著しく、取りまとめも面倒になってきました。誰か幹事長を代わって・・・(近藤先生のお相手できるのはお前だけだ、という声も聞こえそうですが)。
31日の件は薗田さんからどうぞ。
なお、10月14,15,16日に熊本大学で古文書学会大会があります。
阿蘇家文書の展観もありますので、是非ご参加ください。
NO.5000記念 「寝食」の大切さについて
No.5000
元木先生、17日はありがとうございました。吉田君の(アルコールを嗜まれないにも拘わらずの)御活躍に敬意を表したいと思います。それにしても4次会とは凄まじいですね。付き合いの悪い私の件。「まじめ」でそうしているのなら立派なのですが、もっぱら「生存のため」です。どうやら21:50が限度のようです。
南山城の研究室旅行。城陽で落雷があったり、豊中を豪雨が襲ったあの日だったと思いますが、見学先が悪天候にならなかったようで何よりでした。当方の昨年の鹿児島ゼミ旅行では、旅行全日程の天気予報は晴れだったにもかかわらず、宮崎空港到着と同時に「一天俄にかき曇り」大豪雨。そして、それから3日の間、大雨に苛まれ続けたのでした。
近江の甲賀から伊賀にかけては、佐々木氏や伊賀平氏の史跡が多いようですから、いずれ当方のゼミでも見学旅行を企画したいと考えております。ただし、食事はコンビニのおにぎり程度に留めたいと思います。
◎ 名著出版の第二期関東武士研究叢書、第4回配本の伊藤一美編『三浦氏の研究』の編集作業が始動したようです。すでに収録論文案がまとまり、高校教員時代の夏休みに寝食を忘れて書いた(今、これをすると「大変なことになりますよ」です)拙文の掲載依頼を頂きました。光栄なことだと思います。
私に面と向かって「最近書いたものより、30年前の論文の方がずっと読み応えがある」と仰られた(私も同感です)某国立大学院生の某君には、同書刊行後、またぜひ拙文を御味読いただきたいと存ずる次第です。
なお、20代後半~30代前半の院生諸君は、「院生でいられる幸福」を常にかみしめながら、30年後、後進にそう言われるような論文執筆に寝食を忘れて励んでいただきたいと存じます。
> 岩田君・辻君 昨日は長々と無駄話にお付き合い下さりありがとうございました。
> 辻君 宗教教育センターの電話番号ですが、075-531-7074です。有村さんの分も一緒に処理してくれるとのことですから、有村さんにもお伝えいただければ幸いです。
また、『平家物語』研究会に参加の旨、事務局にお伝えしておきます。
なお、会員・報告者以外で『平家物語』研究会(9月17日、於、慶應大学)に出席を希望する方で、まだ御連絡をいただいていないメンバーがおられましたら、早急にお知らせ下さい。
世紀を超える大事業
No.5001
野口先生、レスを有難うございます。
あの日、雨にあわなかったのは奇跡というしかありません。かなり低く垂れ込めた黒くもや、かなたで雨が降っている様子は見かけたのですが、無事でした。参加各位の心がけによるのでしょう。
なお、先生に対する暴言?、(おそらく)現指導教員としてお詫び申し上げます。本人に厳しく注意を致します。
追伸です。大事件を書き忘れておりました。
去る8月10日木曜日、立命館大学にて開催された『兵範記』輪読会で、「『兵範記』人名索引」作成のための最後の人名カードが採録されました。
1980年5月に始まった大事業が、ついに終了いたしました。もちろん、索引刊行のためには人名の同定など、難事業が残っておりますが、来年には公刊される見込みです。
この輪読会は、もともと今はなき「そしえて出版」が刊行する予定にしていた「日記」を読むシリーズの一冊として、杉橋先生が担当されることになっていた『兵範記』の付録にする人名索引を作る目的で出発したものです。
このシリーズでは、故戸田芳実先生の『中右記』が最初に刊行され、中世関係では横井清先生の『看聞御記』今谷明先生の『言継卿記』、鈴木良一先生の『大乗院寺社雑事記』等が相次いで刊行されております(他には上横手先生が『日記の始まり』、網野先生が『花園天皇日記』、石井進先生が『政基公旅引付』等をご担当になるはずでした)。
今谷先生が、1979年の夏、『言継卿記』執筆に際し、当時の古文書室助手業務の合間(実際は業務を誰かに押し付けて?)にあっという間に人名索引を作成されたので、杉橋先生も、ご執筆前の準備体操がてら、臨川書店の『兵範記』全5巻の索引作りを思い立たれたのでした。
当時院生は当方一人、ほかは現府立総合資料館の西村隆先生以下、杉橋ゼミの学生諸君数名というメンバーでした。やがて現京都造形大の石川先生、そして美川先生が参加され、1986年に京都に赴任してこられた野口先生も、鹿児島に移られるまでご参加でした。なかには名古屋からオートバイで駆けつけられた現朝倉資料館の佐藤圭氏のような方もおられました。
そのほか、京都で中世前期を専攻する立命・京大・龍谷などの院生の多くが加わり、日記を読む基礎トレーニングの場という役割を果たしてまいりました。あたかも、故林屋先生の『大乗院』の会のような様相でした。ここに参加された方々の多くは、現在各地で研究者、教員として活躍しておられます。また、現在の野口ゼミ関係者も多数参加しておられます。
これだけの方々が参加されたということは、当初予想に反し(今谷先生を基準にしたのが間違え?)作業は難航し長期化した結果でもありました。いくらなんでもそれまでにはと思われた阪神の優勝、ミレニアムにも間に合わず、ついに今年、26年目に終了と相成りました。
その間にそしえて出版は倒産、本来の目的は消滅してしまいました。
しかし、先述のように研究会として大きな意味を持つようになり、多くの研究者が集い、育成されたことは素晴しい事と思います。
また、思文閣から『陽明史学叢書』『京大史学叢書』が出版されたことにより、信範自筆浄書本の写真と刊本を対比することができるようになりました。写真を通して、『兵範記』の世界に深く分け入ることは、本当に楽しい作業でした。
索引作りは最後はCOEの一環ともなりました。完結は図らずも杉橋先生の還暦と一致、まさに大団円となりました。
『兵範記』輪読会の思い出
No.5002
元木先生、どうやら同じ時間に書き込んでいたようで、割り込んでしまい申し訳ありませんでした。
某君の一件。元木先生も私も、「某君」との親しさのゆえからジョークで書いておりますので、御覧の皆様はそのおつもりで。
ちなみに、某君(某君とは某君を指す固有名詞になりそうですね)こそ、私の知る限り、目下、まさに寝食を忘れるほどの勢いで最も学問に精励している院生だと思います。こういう人材が、将来の学界をになうようになってほしいと思っています。
さて、私も『兵範記』輪読会では、本当にお世話になりました。ちょうど、古代学協会・京都文化博物館在職中にお世話になったわけですが、あの時間は、直接学問の先端で活躍されている先生方や院生諸兄と御一緒できる至福の時間でした。
会が終了すると、杉橋先生にはいつも北大路の駅までお車(たしか三菱シャリオ)で送っていただきました。また、しばしば立命館大学近くで催された小宴も楽しい思い出です。元木先生・美川先生・西村先生と親しくなれたのも、あの会のおかげだと思います。若手では現在京都府立大におられる上島さんや亡くなられた川端さんが参加されていて、一緒に自動販売機に飲み物を買いに行ったことなどが鮮明に思い出されます。
参加の方々には、それぞれの思い出があることと思います。そんなドラマを背景に、いよいよ『『兵範記』人名索引』が出版されることになったのは、とてもうれしいことです。
こんなところで恐縮ですが、杉橋先生にあつく御礼を申しあげます。
古文書学会大会2006
No.5004
いやいや、某君が彼なら、断固厳しく接することにします。旅行では食事を制限するとか、無理やりビールを飲ませるとか、根性をたたきなおします(笑)
冗談はともかく、野口先生の書き込みで、『兵範記』輪読会の昔の様子を思い出しました。
先生が参加されていたのは1986年から。もう20年前ですね。そういう私も今年で52歳、人生の半分は輪読会に関係していたことになります。ウーン・・・
参加者の延べ人数もかなりの数になることでしょう。みんないろんな人生を歩んでいることと思います。
人名索引が学界に貢献することを期待致しております。
それはともかく、上(4999)に書き込んだ古文書学会大会、立命の花田君も報告されます。遠方ですが、一人でも多くの方に参加していただきたいと思います。
本日、宿をネットで検索したところ、10月14日が混雑していて、既に楽天トラベルでは繁華街付近(熊大にも比較的近い)の有名ホテルは軒並み予約不能でした。当方は「じゃらん」で東急インを押さえましたが、その後、「じゃらん」でも主要ホテルは消えてしまったとのことです。
まだ、色々方法はあると思いますが、参加ご希望の方は早めにご予約ください。
なお、熊大は市街地東北の黒髪地区に、月曜に阿蘇文書の展観が行われる美術館は熊本城の西側にあります。どちらも熊本駅からはかなり離れています。第一、駅前ではうまい食べ物屋もないと思います。コンビニはあると思いますが・・・
先日はありがとうございました。
No.5009
>元木先生
17日はお誘いくださいましてありがとうございました。
鴨のお刺身など珍しいものをいただけたのはもちろんですが、
上横手先生、能楽の帆足先生、井上満郎先生、近藤先生をはじめ、なかなか
お会いできない方々とお話ができ、とても楽しく過ごさせていただきました。
帆足先生と上横手先生の旧制時代トーク、噂にたがわぬ面白さでした。
昔は、はっちゃけた学生さんや個性的な先生が沢山いらしたのですね。
それから社会見学(笑)も、大変勉強になりました。
お姉さま方の気配り上手、社会性のない私には見習うところ大です。
大変恐縮ではございますが、この場を借りてお礼申し上げます。
31日につき、お気遣いくださいましてありがとうございます。
今回は月末ゆえか皆様お忙しくされてますし、少人数でささやかに、
おしゃれなイタリアンを楽しむことにいたしました。
Re: 【訂正】書評会
No.5010
薗田さん、ご丁寧な書き込み有難うございました。
楽しんでいただき、嬉しく思います。
また、懇親会を通した人脈が、お仕事に、さらに京都の文化的発展に寄与すれば幸いです(大げさ?)
ところで、31日の近藤先生の今夏第三回目の懇親会、参加者が少ないとはどうしたことでしょうね。
余計なお世話かと思いますが、近藤先生に「お洒落なイタリアン」ですか?!
ウーン・・・
Re: 『兵範記』輪読会
No.5012
>長村くん 書評会のご案内をありがとうございます。引き分けなしの延長戦を見越してゆきましょう。30日は、みなさんのご都合が宜しければ課題図書を巡る総合的な討論(歓談・雑談・etc)、或いは後期に向けての若干の相談の時間にするなどしてはいかがでしょうか。
>元木先生・野口先生 『兵範記』輪読会のお話を伺うにつけ、『吾妻鏡』の講読会もかくありたいと、野望だけは大きくしております。少しは過ごしやすくなりましたが、まだまだ残暑は厳しゅうございます。どうぞご自愛下さい。
>野口先生 先日はお忙しいところ、突然にお伺いしてすみません。貴重な論文のコピーや抜刷をお分け頂きまして、ありがとうございます。
また、『幸福の黄色いハンカチ』の高倉健さんのお説教(「みっともない!」)についても、ご教示をいただきましたおかげでずいぶんすっきりしました。
31日と1日
No.5017
おしゃれなイタリアンは、近藤先生のご希望で決定しました。
私も近藤先生のおなかが満たされるのか、若干心配しているのですが、何か秘策があるやもしれません(笑)
参加者は締め切ってしまったのですが、ご希望の方おられますか?
もしご希望でしたら、薗田までご一報くださいませ。
今からですと、あまり多くは増やせないかと思いますが。。。
なお、翌9月1日は近藤先生が泉湧寺にて歴代天皇の肖像について調査される予定で、
私はこちらにも同行しようと考えております。
警備が厳重・・・。
No.5018
みなさん、お久しぶりです。
ついに5000件突破ですね。僕がこれまで関わったプログラムの中で、いちばん繁盛している掲示板です。これからも、いろいろな方に利用していただけるよう管理・機能追加をがんばっていきたいと思います。
関係ない事ですが
今日、学校からの帰りに、車で泉涌寺の交差点に通りかかったのですが
警察官がたくさん。婦警さんとパトカー2台と白バイもいました。
もしや「近藤先生が来られるからでは?」と思いましたが、詳細は不明です。
薗田さん>×泉湧寺→○泉涌寺 ですよ~☆
(ただ、これが言いたかっただけです)
Re: 31日と1日
No.5022
本来の書評会の件とは関係ないレスで盛り上がってますねえ~。
31日・1日の上洛の際は、そーと少人数で行動しようと思っていたのですが、これだけ話題に出てしまうと、私も登場しなければなりませんね。園田さん、ぶっちゃけすぎです(笑)。
さて、改めまして、元木先生・野口先生・美川先生、17日はありがとうございました。最近、色々と悩みがあって気分が落ち込みがちだったのですが、久しぶりにそれを忘れることができました。
ところで、ちょい悪オヤジを目指している独身の私(もう充分悪いという声も・・・)としては、女性をエスコートするためのオシャレな店の一軒や二軒は知っていますよ。園田さんがご心配の量の問題も、確かに秘策があります(笑)。
というわけで、31日のオシャレなイタリアンは、園田さんに告知していただきましたが、誠に恐縮ながら、現在の少人数のままで行かせていただきたいと思います。
しかし、翌日の泉涌寺は、同行したい方はどうぞ。宝物館に展示している歴代近世天皇の肖像画をみるだけですが、私の解説が付きます。有職故実特に装束史の格好の教材ですので、私の本領が発揮できます。集合時間や場所は未定ですが、午後からであるのは間違いありません。午前中は京博で調査ですので。同行希望の方は私か園田さんまでどうぞ(園田さんいいですよね)。
>鈴木君、当日は誤解のない服装で行きます。
Re: 31日と1日
No.5023
近藤先生、実は31日、当方も大学にゆく用事ができたので、良かったらご一緒しようかと思って、薗田さんにメールしたのですが、これはとんだお邪魔虫でしたね。
その日は、知らん顔します。
女性に囲まれた近藤先生のにこやかなお顔を想像しながら、サントリーバーにでも行きます(笑)。