FM cocolo 摂南大学外国語学部

No.4946

 今、どこの大学でもPRに必死です。

 そんなことで、

 今日、FM cocolo というラジオ局での収録をしてきました。
「定家の日記と中世公家文化」というトーク・テーマです。

 高校のころはよく深夜ラジオ、大学に入ってからは、FMのクラシック番組を、
聴いたものですが、最近はさっぱりです。
 
 このFM局の存在についても、実はまったく知りませんでした。
 自分がラジオに出演するなどとは、考えたこともありません。

 私の、過去のちょっとした経験からすると、
 テレビは予定が秒刻みで、しかも服装や表情に神経を使うは、
テロップを順序通りに正しく出さねばならないし、とてもせせこましい。
もう内容どころではない、といった感じです。

 ところが、ラジオはおおらかなんですね。進行表も厳密ではないし、
DJとゲストの関係の中で、どうにでもなっていくのです。

 非常に人間的なメデイアだと思いました。

 今回のDJの加美さんという人は、美術館や博物館めぐりが趣味だそうで、
私の話にびんびん響いてくれて、とても楽しかった。

 テレビで活躍しているキャスターにはラジオのDJ出身者が多く、
最近、しきりに、ラジオを懐かしがっている意味がよくわかりました。

 今後、ラジオが主要なメデイアとして復活することはないでしょうが、
とてもいいものだなあ、と感じました。また、少しラジオを聴こうかな。


 明月記を中心にした貴族の日記の性格。紙背文書の話などをしました。
 もしも興味がありましたら、神戸・大阪・京都ぐらいは受信できるようですから、
お聴きください。

http://www.setsunan.ac.jp/~kokusai/gakubu/event/FM/FMcocolo-lbu.html

Re: FM cocolo 摂南大学外国語学部

No.4948

な、なんと!それはぜひとも聞かなくては。
美川先生の出演日は10月4日なんですね。
直前になったら、ちゃんと忘れないようにしなくっちゃ。

勇気りんりん瑠璃の色

No.4949

 ラジオは本当によい世界でした。
 昔の話になると、急に元気が出て来てしまうのですが、私は子どもの頃、朝は「パパ行ってらっしゃい」、夜は「一丁目一番地」・「少年探偵団」などという番組を楽しみにしておりました。
 ちなみに、「少年探偵団」のスポンサー(当時は「提供」といいましたが)は、どこだったか御存知でしょうか?
 昨日のことは忘れても、こういうのはCMソングまで自然に口をついて出てきてしまいますね。
 
 夏休みには、ラジオ体操に行って、ハンコをもらって・・・というのもありました。

ラジオにまつわるエトセトラ

No.4950

 いまでこそ朝は「めざましテレビ」を観ていますが、昔は朝日放送の「おはようパーソナリティ道上洋三です」を聞いて朝の支度をしていました。おかげで、野球はほとんど観ないのですが、六甲おろしの一番の歌詞は覚えました。

>少年探偵団 「ぼ、ぼ、僕らは少年探偵団♪」でしょうか。
 少年探偵団の提供は存じませんが、「テレビ探偵団(TBS系)」の提供は三菱電機でした。関係なくてすみません。

>ラジオ体操 ハンコをもらうカードは一学期最終日に配られました。せっせと集めたものです。子供はせっかち(なんでも一番がいい)なので、ラジオ体操第二の最後の深呼吸をしながら、少しでもはやくハンコをもらおうとしてジリジリと「ハンコを押してくれる人」ににじり寄ったりしてました。

友よ!ほんとうに、夜明けは近いのか?

No.4951

>岩田君 レスをありがとうございます。ラジオの「少年探偵団」、提供は養命酒でした。
 貴兄は私の子供の世代ですから、相当感覚が違うはずです。私の子供時代は、テレビのない、純粋のラジオ時代でした。それから白黒テレビ、カラーテレビ、という段階を経験しておりますから。
 まあ、今のケータイなんて云う代物は、SFの中に登場する地球防衛隊の隊員の小道具が現実のものになってしまったというような感じですね。社会のあり方については、まったく予想とは異なる展開でした。
 私たちの世代は「夜明けは近い」などと歌っていましたが、今君たちはどんな気分なんでしょうか?

 ☆ 本日、国立長野高専の中澤克昭先生から御高論「居館と武士の職能-出土鉄鏃と狩猟をめぐって-」(小野正敏・萩原三雄編『鎌倉時代の考古学』 高志書院)を御恵送いただきました。狩猟や堀を武士の暴力や軍事的意図とは全く別の視角から評価した御研究。
 「たしかに、そうだなぁ」と思わせる、インパクトのある論文です。これまた、武士論専攻者は必読。
 中澤先生に、あつく御礼申しあげます。

昔のラジオとテレビ

No.4952

 野口先生の少し後に生まれた私は、
物心ついたときには、すでにテレビがありました。

 最初の記憶は、幼稚園に行くときに、
「ぶーふーうー三匹のこぶた」という子供劇を見ていたこと。
あるいは、「ちろりん村とくるみの木」という劇を楽しみにしていたことです。

 ラジオをよく聴いたのは、中学に入ってから、いわゆる深夜放送というのですね。
とくに、パックインミュージックという番組をよく聴いていました。
とくに、野沢那智と白石冬美の日が一番印象がのこっています。
調べてみたら、この番組、午前1時から5時までやっていたのですね。
中学・高校時代、学校で眠かった記憶が非常に強いのは、
こうしたラジオの深夜放送のためだったようです。