博物館実習

No.4940

 博物館実習が終わりました…。
 陽明文庫まで行き帰り1時間、バスに揺られて通った五日間ですが、体が早起きに慣れたころに終わってしまいました。
 
 雨降りだったので、あまり倉庫の中に入れなかったのですが、最終日は奇跡的に晴れて、貴重なものを運ばせていただきました。(さすがに巻かせてはいただけませんが…)近衛家の格が高すぎて、すごいんだかなんだか、後半麻痺してましたね…。先生が普通に出し入れしてくださるので。このゼミに参加している方々にとっては、馴染みの深い収蔵品がたくさんあるのだろうと思います。倉庫の中で何度、貴族大好きな尻池さんを思い出したか…。今は終わって、実習ノートをまとめながら「貴重な体験だったな~」と余韻にひたっている所です。本当に京女に入学して良かった度120%の実習でした!ただ、家に戻ると自分がショウノウ臭いので、女の子として凹んだりしました。涼しかったので、冷房なしでも汗臭くならなかっただけいいですけどね。
 仮名が読めなかったり、自分の国文学の知識の無さににショックを受けつつ(そもそも平安時代自体が怪しかったです|O_O;)勉強しなおさなきゃ~と追い立てられたので、そういう点でも良かったかな、と思います。しかも、実習生が3人とも近世史だったのが、ちょっと、いえ、だいぶ申し訳なかったです。
 つくづく、学芸員は、細やかな気配りと器用な手が必要なのね、と思い知らされました。でも、貴重な史料に囲まれて、本当にX2楽しかったです☆

とても贅沢な実習でしたね。

No.4941

 伊藤さん、書き込みありがとうございました。陽明文庫で博物館実習というのは贅沢極まれりといったところですね。
 『御堂関白記』の道長の自筆本などなど、まだ記憶にのこっているうちに、しっかりと脳裏に焼き付けておいて下さい。尻池さんが行っていたら、「大殿」と別れがたくて、倉から出てこなくなっていたのではないでしょうか?(笑)

 また、昔話になりますが、私が博物館実習をしたのは1972年の夏。ところは、鎌倉国宝館。なにしろ、ゼミの指導教授が館長をされておられましたから、毎日千葉から通いました。帰りに鎌倉駅の近くでビールを飲み、幕張駅の近くまで来たというのに、電車の窓に真っ赤な自分の顔が写っているのを見て、本当にアルコールに弱いことを実感させられたのはこの時のことでした。
 ところで、今でこそ嫌煙主義者の私ですが、この頃は平気でタバコを吸っており、昼休みに鶴岡八幡宮の参道にあった食堂でカツ丼を食べたあと、一緒に実習をしていた東洋史専攻の大久保君といつも一服ふかしておりました。今考えると周囲に対する犯罪行為ですね。
 ところで、この大久保君ですが、東洋史だけに秦の始皇帝のような風貌(髭もあり)・体躯の人物で、国宝館で軸物の寸法を測っていたところ、来館者から骨董屋さんと間違えられるという逸話をのこしました。その後、彼は小学校の先生になられたのですが、今度は新任なのに校長先生と間違われたとのことです。
 もっとも、京都には院生時代から助教授と呼ばれていた有名な研究者もおられるそうですが・・・・・。

 ☆ 本日、京都産業大学の井上満郎先生より、御高著『桓武天皇』(ミネルヴァ書房)を御恵送いただきました。井上先生は現在、京都市歴史資料館の館長を兼務されておられますが、まさにそれに相応しい御著書だと思いました。
 井上先生に、あつく御礼を申し上げます。

 ところで、↓に書いたとおり、私は高校教員時代、本当に時間との闘いの日々を送っておりましたが、そのころの座右の銘(それにしては少し長すぎるのですが)こそ井上先生が御高著『平安時代軍事制度の研究』(吉川弘文館)の「あとがき」に書かれた
「動機や理由は多様であるにせよ、みずからがみずからに課したテーマを、与えられた時間・人生のなかで研究せねばならない研究者にとって、時間の浪費は第一に避けなければならないことだ」
という一文でした。
 このことは、拙著『中世東国武士団の研究』(髙科書店)の「あとがき」にも書きましたが、今あらためて。
 それはともかく、ミネルヴァ日本評伝選『北条時政』、いよいよ焦らずにはおられなくなってまいりました。