教員採用試験

No.4936

 ゼミメンバーのうちの何人かは、このところ教員採用試験にエネルギーを費やしていることと思います。
 私も1978年の8月、大学院のDCに籍を置いていたときに、千葉県の採用試験を受けています。そして、その採用試験とは関係なく、この年の二学期、若松高校という都賀駅から少し歩いたところにある高校で、世界史を担当しました。
 採用試験には何とかパスし、二次の面接試験を経て、翌年の四月、新設されたばかりの流山市内の高校(南柏駅から徒歩30分)に勤めることになりました。新設校ですから、社会科の教師は私一人。したがって、教科主任。一年目の担当は地理。二年目、世界史。三年目にして、ようやく日本史を教えることが出来ました。日本史で大学院のDCまで行っていながら、日本史を教えられないのは悔しいことでした。
 通勤は満員電車で片道2時間半かかり、今さらながらよく身体がもったと思います。一年目からクラス担任を仰せつかり、想像を絶する高校の実情に生徒指導は大変でした。ふりかえって、後悔するところ無くはありませんが、一人一人の生徒の人生に対して責任を果たす義務を負って、私なりに頑張ったつもりです。
 このころは、勉強をするために、時間が惜しくて惜しくてたまらなかったものです。そういう過去を背負っておりますので、現今の(一部の?)院生さん達には、切迫感のなさを感じてしまうのでしょう。
 余計な思い出話まで書いてしまいましたが、教員採用試験、しばらく先になるでしょうが、朗報を期待したいところです。

 >松薗先生  当方のゼミ生(京女生)には、大学に入学してから一番最初に授業担当の先生に薦められて読んだのが松薗先生の御著書だったので、思い出があり、チラリとでもお顔を拝見するだけでも幸せ、という方がおられます。できますれば、会ってあげて下さい。 

 >山田先生  昨日、京都テレビでお姿を拝見いたしました。山田先生は私にとっては未だに若手のイメージなのですが、さすがに貫禄が出てまいりましたね。

 >山田先生の奥様をはじめ、平安時代史事典編集室にお勤めだったみなさん  本日の京都新聞に、元同僚で現在ダンサーとして御活躍中の隅地さん(NO.4798)が写真入りで大々的に紹介されています。流石だと思いました。