一の谷、福原、湊川 神戸見学会

No.4773

 去る20日、当方の研究室メンバーとともに、新入生歓迎遠足を致ました。行き先は表題のところです。誰も書き込んでくれないので(インパクトがなかったのか,皆ご多用なのかな?)、主催者が自分で書きます。
 朝のうちは前日からの大雨。中止すらありうる状態でしたが、集合時間には雨も上がり、午後は五月晴れ。絶好の行楽日和でした。誰かの行いのお蔭でしょうか?
 10時半に高速神戸東改札口に集合。
 隣接する湊川神社を見学。楠正成の墓所もあり、中世の史跡ではありますが、むしろ幕末以後の正成信仰の史跡という方が良いかもしれません。
 ついで、すぐ北の神戸大付属病院へ。かの二重堀の発掘地を見学しました。といっても、今は看板でかつてを偲ぶのみ。あの発掘当時の熱気を思うと無念ですが、しかし構築物を工夫して遺跡を残された関係者のご尽力には感謝せねばなりません。
 ついですぐ西の荒田八幡。北行して雪見御所跡(かつては湊山小学校の敷地内に石碑がありましたが、昨年北側の道路沿いに移転されました)、その北にある『山槐記』治承3年6月22日条にみえる「湯屋」の名残ともされる鉱泉の前を通り、祇園神社に登って福原・兵庫を一望。そのふもとの祇園遺跡跡を見学し、高速神戸に戻りました。
 駅に戻ったのがちょうど13時頃、二時間半の行程です。付近で昼食を取りました。
 高速神戸西口改札付近のすし屋に参りましたが、このあたり、およそ「神戸の地下街」という印象とは程遠いところです。ちなみにその上が、現代の「福原」です・・・。
 13時41分発の山陽の普通電車で、のーんびりと須磨寺へ。
 当方、最近では三度目(ちなみに2003年暮に美川・近藤先生はじめ院生諸君とまいりました。その時のことは当時、この掲示板に書き込まれています。過去ログ参照)ですが、これまでは人気のない時期だったのに、今回は誠ににぎやか。露天が軒を連ね、門前では市会議員が演説し(誰も立ち止まらず)、参詣者は押すな押すな。庶民信仰の寺の面目躍如と言うところでした。宝物などのご感想は、どなたかお願いします。
 14時43分の普通で須磨浦公園へ。歩いても変わらない速度、というと言いすぎですが、そんな電車に乗るのも悪いことではありません。
 駅前の敦盛塚(4メートルもある中世末期の五輪塔)を見学後、ロープウェーで展望台、さらにカーレーターなる奇怪な乗り物で回転展望台に参りました。
 雨上がりの快晴、もやも照り返しもなく、淡路島から大阪まで一望の絶景でした。
 ここも三回目ですが、こんな素晴らしい景色は初めてでした。
 ついで、後ろの旗振り山にも登り、摂津・播磨の国境を確認。
 神戸、大阪湾の展望を堪能し、一の谷合戦にあれこれ思いをめぐらし、須磨浦公園駅に戻ったのがほぼ17時。
 兵庫津、清盛塚は断念し、元町まで出て、元町商店街、南京町、旧居留地等、近代神戸の史跡を経て、河原兄弟を祭る三宮神社、その北にある生田神社と生田の森を見学。
 中山手通りからトアロードを経て、中華料理「順徳」に参りました。
 グルメについてはどなたかよろしく。

 近代の神戸の風景もインパクトがあったようで、今度は『細雪』の舞台をめぐる見学会をしようということになりました。おりしも、谷崎の旧邸鎖瀾邸が来年3月復旧との事。そのときは是非『細雪』ごっこ?を致しましょう。今から貞之助気分の元酒呑童子より。

Re: 一の谷、福原、湊川 神戸見学会

No.4777

元木先生、先日はどうもありがとうございました。
幸い好天にも恵まれて、本当に充実した一日でした。

以下、自分の感想ですが。
福原については、例えば楠・荒田町遺跡は、先生がお書きになられている通り、発掘された二重の堀はもう埋め返されて現物は見ることができません。
けれど、現地を歩くと、直接歩くことで得られる地理感覚や距離感覚とか、あるいはその他明確な形は取らなくても、触発される何かがあるように思います。
これは色々な遺跡や故地を歩くといつも感じることなのですが、特に福原の場合は、普段から良く接している史料と関わる土地なので、
なお一層、読んだ史料をあらためて咀嚼しているような気分を強く感じました。

午後から回った、須磨寺、鉄拐山~旗振山など、一ノ谷合戦で義経軍が進軍したルートと伝えられている史跡を巡ったのは、私は今回が初めてでした。
あの強烈な断崖絶壁は、やはり強く印象に残りました。
山頂からの眺望はもう本当に素晴らしくて、絶品の一言でした。
また、山の上から東を見ると、神戸市内が遠望できて、地勢がとても良くわかり、この点でも非常に興味深かったです。

市街地へ帰ってきてからも、三宮神社・生田神社と、まだ行ったことがなかった神社を回ることが出来て、嬉しかったです。
これで一ノ谷合戦関連の場所はほぼ全て回ったわけで、大満足の一日でした。
野口ゼミの方もそうでない方も、この掲示板をご覧の方で、「まだ行ったことがない」という方は、ぜひ一度行ってみて下さい!
どの史跡も本当にいいところです。

『順徳』も初めて行ったのですが、美味しい中華料理とはこういうものか!と思いました。
肉料理も海鮮料理も麺料理もご飯ものもその他なんでも、出てくる料理は全て美味しかったです。至福。
もちろん、大人数で和やかに食べればこそ、美味しい料理がなお一層引き立てられるわけでして。
最初はたった一人のゼミ生だった私としては、いい仲間がこんなに増えて嬉しいなあと思うことしきりです。

>元木先生
本当にどうもありがとうございました。
ご報告やお礼が遅くなり、申し訳ありませんでした。
書き込みしなかったのは、私たちのゼミの見学会だから…と思って少し遠慮していたからであって、
「インパクトがなかった」などということは全くありません。
色々なことがとても強く印象に残る、楽しい見学会でした。
次の機会もぜひ楽しみにしております。

留守番係

No.4778

 普段は何かとコメントを付けて下さる野口先生が木幡に不在のため、同郷のよしみ(?)で岩田がお邪魔します。野口先生のような、気の利いたシャレはご用意できませんのであしからず。

 元木研究室のみなさん、一の谷、福原、湊川 神戸見学会、おつかれさまでした。土曜日の午前中は京都市内も変なお天気でしたが、神戸は好天に恵まれたようで何よりでしたね。史跡の場所から、眺望から、実際に位置関係を確かめられたことが有意義だったようですね。

 ところで、さすが元木先生だと思うのですが、電車の時間はやはり「分単位」での表記なのですね。それでも、歩いても変わらない速度というのがふるっていますね。の~んびりと分単位のスケジュール…。
 須磨寺は私も一度行ってみたことがあるのですが、あの「下駄占い」はまだあるんでしょうか。バコン!と、かなりインパクトのある占い機だったのですが。

 佐伯さんも『順徳』で大変ご満足なさったようですね。タンパク質と炭水化物をバランス良く摂取して喜びに浸る佐伯さんが目に浮かぶようです(目に浮かべるのもどうかと思いますが)。もしやここでも、大食いの人たち同士は互いに席を遠ざけ合って、無用な奪い合いをせぬように配慮していたのでしょうか、長村くん?

Re: 一の谷、福原、湊川 神戸見学会

No.4779

小生も上記見学会に参加させていただきました。
昨日は家の用事でばたばたしており書き込めませんでしたが、遅ればせながら。

20日朝、何日かぶりに早起きすると、自宅の所持する京都府南部は晴れていました。
しかし、電車に乗る内に雨がちらほら。
幸い、集合時間頃には曇り空となり、楠・荒田町遺跡の跡地周辺を歩く頃には快晴となりました。
雨がやんだのは、南北朝期研究に携わっておられる方々の研究が楠正成の霊に、
好天に恵まれたのは、先生の平氏政権論・義経論が清盛らの霊に、
それぞれ受け入れられたからでしょうか。

神戸を歩いて、河の位置による規制や、場所によっては意外に起伏があることなど、
地図からだけでは読み取りにくい情報を得ることができました。

次に行った須磨寺の宝物展示(無料)には、
寿永二年の弁慶筆とされる古文書がありました(笑)。

先生や佐伯さんも仰っている通り、須磨浦公園駅からロープウェイおよび
「カーレーター」(やはり名物と言えましょう)に乗って行く展望台からの見晴らしは
最高でした。
そしてなによりも素晴らしかったことは、その展望台から神戸市街を見下ろして、
元木先生のご解説を拝聴できたことです。
実際の地形を眼前にして戦闘経過を思い描くことができ、大変勉強になりました。

夕食をした『順徳』は、鎌倉時代研究者に周知の天皇の名前ではなく、中国の地名とのこと。勿論、元木先生が選んで下さったお店です。
料理が運ばれてくるたびに、「美味しい!」を連呼する学生達があっという間に食べるという光景が繰り返されました。

元木先生、本当にありがとうございました。お疲れが出ておられないとよいのですが。

そして。
小生自身はまだまだ大学院に入学したばかりの気分が抜けませんが、
佐伯さん同様、身近に同学が増えて、とてもうれしく思います。
新たに研究室に来られたお二人を始め、院生室を同じくする先輩・同回生と、
これからも切磋琢磨していきたい思います。

続・順徳

No.4780

岩田さん
人数がさほど多くなかったので博士課程の男性三人で横並びに座りましたが、
譲り合いの精神で、美味しく楽しくいただきましたよ(笑)

戦略的配置

No.4785

 >長村くん
 要らぬ詮索をしてすいませんでした。なにしろ伊豆での合宿の折、「これはまずい」と言いながらおもむろに座る位置を調整していたのが、とても印象に残っていたもので…。 ということは、いつもながら「わけわけ」していただいたわけですね。