追悼・佐藤和彦先生

No.4757

 昨日、佐藤和彦先生が急逝されました。
 故小山靖憲先生の追悼フォーラムに出席され、発言を終えられた直後に昏倒され、懸命の手当てもむなしく、搬送先の病院でなくなられたとの事です。
 享年69歳。心より哀悼の意を表します。
 
 ご存知のように、先生の主著は『南北朝内乱史論』(東大出版、1979)、また1975年の小学館の日本の歴史でも『南北朝の内乱』をご執筆でした。
 悪党など、荘園制に抵抗する人民・民衆闘争を中心に内乱期を解明され、学界に大きな影響を与えました。とくに、歴史学研究会の指導者として、研究をリードされたのは申すまでもありません。
 かつて日本史研究会大会には必ず出席され、美川先生や当方の報告に際して、「人民が報告に取り上げられていない」といったご批判をされたものでした。ある意味では、最後まで民衆闘争を基盤とした歴史認識にこだわりをお持ちの先生でした。
 25年ほど前、京大の大山先生の研究室に内地留学にお越しになり、ゼミや日本史研究会でご一緒したことがありました。教科書問題に関係して部会報告をお願いした時も、突然ややこしいお願いを申し上げたにもかかわらず、ご快諾を頂いたこと。あるいは、日ごろから高田馬場のスポーツジムで体を鍛えているが、学生時代は100メーターを12秒台で走れたのに今は大分遅くなってしまった等と笑いながらお話になったことが思い出されます。
 そうした、気さくなスポーツマンタイプで、何事もてきぱきと処理される先生という印象が残っております。
 ちなみにかなりの巨人ファンで、現在B女子大学のU先生が、「あんな巨人ファンのくせに、何が民衆闘争よ!」とお怒りだったことが思い出されます。
 最近はさすがに民衆闘争云々は仰らなくなりましたが、南北朝期の人物などを一般に紹介される書物などを書かれて、活躍しておられました。急逝が誠に無念であり、とても信じられない思いです。
 2004年暮の熱田先生を偲ぶ会に出席された小山先生が、その半年後に急逝され、その小山先生を偲ぶ集いで佐藤先生が慌しく逝ってしまわれました。何か因縁めいたものを感じます。
 佐藤先生の御逝去にてよって、中世史研究の一つの時代が過ぎ去ったことを痛感させられる思いが致します。
 改めて、ご冥福をお祈り申し上げる次第です。 
 

Re: 追悼・佐藤和彦先生

No.4758

 びっくりしました。
 もう10年ほど前になりますか、主に早稲田大学御出身の方たちが執筆されたある本の出版祝いの会でお話をしたことや、歴史学研究会の大会の日本中世史の会場にいつもお出でになっておられたことを思い出しました。
 戦後の歴史学の担い手がまた去って行かれました。この時世にこそ、継承していかなければならないことがあまりに大きいと思います。
 慎んで御冥福をお祈り申し上げます。

Re: 追悼・佐藤和彦先生

美川圭
No.4759

 当日、フオーラムの場にいたもので、いまだに信じられない光景がよみがえってまいります。休憩時間に、トイレですれちがったとき、簡単に会釈をし、佐藤先生が東京からおみえなんだな、と認識しておりました。そして、討論での2人目にフロアーから佐藤先生が発言。今日東京に帰るので、早めに発言したいということでした。

 雨の中、和歌山大学の院生・学生が看板をもって、路次案内に立っていたことへのねぎらいと感激、一部の先生の尽力だけで会が開かれたのではない、という、民衆史観をモットーとする先生ならではのご発言。あるいは、小山先生の史料編纂所での研鑽生活の想い出、などを、今話しておかねばという勢いで、堂々と披露されたのです。日本史研究会の大会での「名物」であった佐藤発言そのままの、元気はつらつたるものでした。

 ところが、それへの壇上の方々の回答がされる最中のことでした。私はかなり前の方の席に座っておりましたので、斜め右後方で大きな物音とともに、周囲から「佐藤先生」という悲鳴にも似た声が上がりました。振り返ると、廻りの方が先生を並べた倚子の上に寝かせるところでした。それからまもなく大きないびきのような声が数回。その後ほとんど先生の体は動かなくなってしまいました。看護大学の先生をされている小山先生のお嬢さん?がてきぱきと指示をとばされ、即脈、心臓、呼吸の有無、119番連絡、などが進みました。すでにその時点で、心肺停止状態。すぐさま、人工呼吸と心臓マッサージ。あるいは数度にわたるよびかけ。会場が県立図書館だったので、館内に医師の免許をもっている方がいないかどうかの放送、あるいは近所の医院へ館員などが走りまわっておりました。残念ながら、その場で医師をみつけることはできませんでした。約20分後(確か正確に計測していたので22分)に救急車到着。病院に搬送されたのです。救急車が思いの外遅かったことを除けば、現場では最善の措置がなされました。ほぼ即死の状態ではなかったかと推察いたします。

 よく知っている先生が、しかも中世史の研究者が多く出席しているあのような場で、ほとんど最期を迎える。しかも、あのような発言の直後。まったく、現実とは思えないような情景でした。いまだにショックでなかなか仕事も手につかない状態です。ご冥福をお祈りしたいと存じます。