伊勢の斎宮博物館で頼朝を語って来ました。

No.4373

 三重県立斎宮歴史博物館における歴史講座「源平合戦とその時代」(5回シリーズ)の第4回「源頼朝と東国武士団」、無事?に済ませて参りました。
 満席の会場で熱心に話を聴いてくださった皆様、ありがとうございました。そして次回の山田先生のお話に御期待下さい。
 なお、講演の前後、博物館やその周辺の史跡を御案内下さった斎宮歴史博物館の天野秀昭先生および今回の講座を担当された財団法人国史跡斎宮跡保存協会の松月浩子先生にあつく御礼を申し上げます。講演に行ったというより、私自身が大変勉強になった一日でした。
 2004年2月に実施された伊勢ゼミ旅行のさい、私は「いつきのみや歴史体験館」には行けなかったのですが、今回、御案内をいただき、末松さんが十二単を身にまとった現場を確認することが出来ました。さすがに、衣装を着ることまではいたしませんでしたが、木靴の履きごこちや蹴鞠の感触を味わせていただきました。盤上遊技というよりもむしろ中世では博奕だった「すごろく」も実際にやってみることが出来るようになっていて、興味津々といったところでした。
 帰りの近鉄電車の車中から若草山の山焼きが望見できたのも、思いがけない収穫でした。松阪の駅で「松阪牛弁当」、大和八木の駅で「柿の葉寿司」を買い、帰宅後、ビデオにとっておいた大学ラグビーの決勝戦を見ながらいただきました。早稲田の圧勝に感激し、いい気になって食べ過ぎ状態です。

 今日は京都と三重県を近鉄で往復したわけですが、これはすなわち伊賀国を東西から横断したということで、伊賀の地理的性格について再考しなければならない。また、13世紀半ばから14世紀半ばまでの約1世紀の間、この国の守護が千葉介であったことについて、もう一度考えてみたい・・・と思い至りました。何か関連する史料・研究などがございましたら、宜しく御教示下さい。

>金澤正大先生  お書き込みをありがとうございました。ずいぶん以前より、先生の御研究からは多くの学恩を蒙らせていただいております。拙文など御高覧に供させていただきたいと存じますので、もし、宜しければ国内における送付先を当方のメール宛てに(赤い文字の名前をクリックしていただきますと、メール送信が出来ます)御教示いただければ幸いに存じます。なお、今後ともよろしくお願い申しあげます。
 ちなみに、当ゼミメンバーも一名、北京の大学に留学中です。

Re: 酒呑童子の会の「大坂冬の陣」

No.4374

 野口先生、斎宮歴史博物館でのご講演おつかれさまでした。
 遅ればせながら、1/6(金)に行われました、元木先生のご案内による新年会の報告です。

 当日は18:00に梅田〈スエヒロ〉http://r.gnavi.co.jp/k345800/menu3.htm
にて集合、まずはビールなどで乾杯いたしました。
 洋食好きの私としてはたまらないメニューの目白押しでしたが、特製牛ロースのタタキ・イカのお造り・貝柱マリネ・ポークジンジャーステーキ サラダ添えなどをまずいただきました。牛ロースのタタキは、お肉はもちろん付け合わせの野菜にも味が染みこんだ逸品。ポークジンジャーステーキはお箸で簡単に切り分けられるほどの柔らかさでした。こちらの付け合わせの野菜もとても美味しかったです。
 その次はカキフライをいただきました。こちらのカキフライは、近年食べたことのあるカキフライの中で(ということは今まで食べた中で)いちばん美味しかったです。黙々と味わいましたが、叫び出したい旨さでした。このへんですでにそろそろおなか一杯だったので、数個しか食べられなかったのが残念です。
 その後、特製ビーフシチューとシーフードピラフをいただきました。ビーフシチューは肉の旨味と赤ワインの香りが絶妙でした。〆のピラフはなんでまたあんなにおいしいんでしょうね。
 デザートにいただいたフルーツも本当に美味しかったです。
 …というように、新年から申し訳ないくらい美味しいものをたくさんいただきました。
 その後、新阪急ホテルのバーに移り、しばしご歓談。私はもっぱら聞き役にまわりましたが、ここではピアノの生演奏を聴くことができました。ピアノといえば自動演奏(そういうのは大抵どこかで半音ズレてる)くらいしか知らない者にとっては、これまた未知との遭遇でありました。
 元木先生、ありがとうございます。

 ところで今日はこのあと14:00から高校サッカーの決勝です。高校サッカーを80分観るのはけっこう疲れると思うのですが、決勝に進んだ滋賀の野洲高校は確かにちょっと他の出場チームとは違うので、興味のある方はどうぞご覧下さい。
 印象を一言でいうと、イングランドプレミアリーグのアーセナルのような(それが大袈裟なら、アーセン=ベンゲルさんが監督だった頃の名古屋グランパスのような)攻撃の組み立てをするチームです。DFラインはあまり動きませんが(それでもボール回しはうまい)、中盤から前ではうまくスペースを使いながら選手が流動的に動いてテンポ良くボールを回し、アタッキングゾーンではドリブルなどを駆使して攻めるあたりが、上に書いたようなチームを彷彿とさせます。
 ただ、たまに軽いプレーがあったり、中盤のボール回しのペースが単調であったりする(グランパスでいうストイコビッチ、アーセナルでいうベルカンプがいない)ので、そこを鹿児島実業に突かれたらどうするか…と思わないではないですが。

>野口先生 松阪の駅で「松阪牛弁当」というのをお買い上げになったそうですが、蓋が牛の顔で、その蓋を開けると「ふるさと(兎追いし彼の山~)」のメロディーが流れ出す…というお弁当も一緒に並んでなかったでしょうか。以前そんなお弁当を見たことがあるのですが。

団塊世代の老齢化と大河ドラマの配役考

No.4375

 さすがは酒呑童子の会。豪華メニューを拝見しただけでまさに「垂涎」。

 昨夜はラグビーの後に大河ドラマの録画まで見てしまったので眠くて仕事になりません・・・との口実で、また出て参りました。
 
 体力の衰えは覆うべくもありません。その端緒は20代の後半から(八井君もそう感じているらしい)。それまで、東京発の夜行バスで早朝京都に着いてすぐ飛鳥や安土あたりに飛びしていたのが、そうは行かなくなったのは大学院のDCに入った頃のことでした。でも、博士論文を執筆した時は問題山積みの新設高校のクラス担任・社会科主任で、通勤時間は片道2時間半、睡眠時間3時間で生きていられましたから、今とは比べようもないほど元気だったとは思います。
 
 山本君や薗田さんからいただいたゼミ旅行の写真の中の己の姿を見ると、本当に年をとったと思います。それにひきかえ、柴又の帝釈天参道でお団子をほおばっている山岡さんや山内さんのなんとお若いこと。まあ、順番だから仕方ありませんが。
 
 そこで、昨日の大河ドラマを思い出すわけですが、あの配役には驚きました。桶狭間の合戦の時、まさに20代半ば頃だったはずの織田信長を信長の死んだ年齢より上の館ひろしが演じている。信長より若い木下藤吉郎(秀吉)にいたっては、名優とはいえさらに年長の柄本明。走り回ってさぞお疲れだったことと思います。館ひろしも柄本明も私より年長です(もっとも、あるサイトに学者の世界では還暦を過ぎても若手といわれる例として私の名前があげられていたそうですから、私は相当年寄りじみているのかも知れませんが)。
 
 元木先生流に解釈すると、今年の大河ドラマには団塊世代に対する「年金などアテにしないでもっと働いて税金(受信料も)を納めろよ」というメッセージが籠められているのかも知れません。しかし、人間というのは若い時と年をとってからとでは、内面も外面も別物のように変化するものでありまして、その妙が実に面白いのですが。

 それにいたしまても、今年の大河ドラマは私の守備範囲外の時代のお話しですので、商売っ気(言い換えると職業的使命感)をおこさずに多少気楽に見ていられるのが救いです。
 今川義元の江守徹はそれらしかったし、その家来に斬られ役の名優福本清三が出て、ちゃんと斬られていた(なかなか危険な演技だったと思います)のも嬉しいところでした。

 >岩田君 その、蓋が牛の顔というお弁当には気がつきませんでした。
  「兎肉弁当」の蓋をあけたら「ウサギ美味し~♪」というのはどうでしょう?
  お料理も西洋の歌も得意な佐伯君にでも作っていただきましょうか?

 >永富さん ゼミ旅行の写真。期待しています。なぜか史料編纂所前の集合写真と夏のゼミ旅行の写真が今のところ皆無なのです。尻池さんが持っているのかな?

 ☆ 先日、京女の図書館でお目にかかったT君をはじめ、修士論文を執筆中の皆さん、栄養と睡眠はしっかりとって、そのうえで最後の仕上げを頑張ってください。
 
 ★ そして、『紫苑』の執筆者の皆さん、締切はいよいよ明後日(11日午後2~4時受付)ですから。
   放りだして「三条大橋西詰」辺りに遊びに出ていたりいたしますと、即座に通報されかねない恐い世の中ですぞ!

Re: 伊勢の斎宮博物館で頼朝を語って来ました。

No.4376

今年初めて書き込ませていただきます。
 野口先生、ゼミの各位、今年もよろしくお願い申し上げます。

 岩田君、詳細な報告、有難うございました。
 こういってもらえるとご案内した甲斐があったというものです。
 修論関係者が一段落したら、次回を考えましょう。
 なお、スエヒロの「イタヤ貝」のから揚げも当方は好物です。
 
 その前の見学会、太融寺の淀殿(淀君ではありません)の墓、お初天神、梅田新道の大阪道路原票を見たあたりで午後4時、日が翳り、あまりに寒いので屋外を回避、天六の「住まいのミュージアム」に赴きました。ここで閉館まですごし、その後は駅前第三ビルの最上階の展望台に登ったのですが・・・
 この辺のご感想は山岡さんからお願いします。

 先生方には新書完成、御原稿ご進捗との事。羨ましい限りです。当方、一向に進まず、イライラするうちに休みも終わり。気分不快の極です。トホホ・・・

大阪見学会。

山岡 瞳
No.4378

 すっかり出遅れてしまいましたが、今年もよろしくお願いいたします。

 上の元木先生の書き込みにありますように、1月6日大阪で見学会が行われました。
 まずはじめに太融寺に行き、淀殿の墓をお参りしました。淀殿・淀君と何気なく使っていましたが、先生がおっしゃるまで淀君が蔑称になるとは知りませんでした。
 その後お初天神に。私はここで初詣を兼ねることができ、学問の神様である菅原道真を前に今年もしっかり勉強しようと決意を新たにしました。(今年は卒論提出が控えています・・・)また、このお初は曽根崎心中に由来するそうです。
 この日は本当に寒い日で、これ以上屋外にいては風邪をひいてしまう!!ということで地下鉄に乗り「住まいのミュージアム」に移動しました。近世の大阪の町並みが再現されており、照明で一日の変化を体感することもでき、さらに展示案内をされていた方が着物姿と、ちょっとしたタイムスリップを体験することができるようになっていました。下の階では近代の大阪の町並みを中心とした展示がされており、近世のようには再現されていませんでしたが、模型で町並みが再現されていました。床には大きな大阪の地図があり、鉄道の発達を踏まえながらの先生のお話を聞き、今の路線になるまでの経過を知りました。
 最後にビルの最上階から夜景を眺めました。あっちが京都で、こっちが・・・と丁寧な解説をしていただき、地理関係を掴む上で大変勉強になりました。残念なことに高いビルが多いため大阪城は見ることができませんでした。
 京都に住んで3年が経過しているにもかかわらず、大阪をほとんど歩いたことがない私にとってはどこも初めて訪れる場所ばかりで、人の多さに驚き、はぐれないように必死でしたが、大変充実した時間でした。

お忙しい中ご案内してくださった元木先生、ありがとうございました。

書き込みが遅くなってしまい、申し訳ありませんでした。