ゼミメンバーにもとめる?もの。

No.4328

 立花さんをはじめ、卒論を執筆中の皆さん、寒さに負けずに頑張ってください。

 このところ論文の校正が四件も重なって混乱状態が続いています。論文を執筆し終えても、校正が完了するまでは関係する史料や論文を片付けないでおりますので、自宅でも研究室でも机の回りの収拾がつかなくなって参りました。
 そんな中で、『北条時政』の資料収集を進めておりますが、伊豆の国市社会教育課の文化財担当の方から「直接現地にて発掘調査現場や中世遺跡・出土遺物などを案内する」との心強いお言葉をいただいて感謝感激しています。昨年、すでにビニールシートのかかった北条氏邸跡に御一緒した山田先生、また如何でしょうか?
 ゼミ旅行も伊豆が候補に挙がっていながら不発に終わったことがありましたが、また計画を立ててみませんか?

 ところで、ゼミ旅行といえば、再三お願いしている集合写真。春の旅行では国立歴史民俗博物館・東大史料編纂所、夏の旅行では霧島神宮や歴史交流館金峰前などで撮影したものの供出をお願いいたします。カメラを持ってきておられたメンバーには、本日個別に催促メールをお送りしましたが、目下、中世後期、国人に見放された守護にシンパシーを感じる心境です(笑)。
 
 ☆ 本日、慶應大学大学院の桃崎有一郎さんから、御高論「〔史料紹介〕『荒暦』永徳元年・二年記の翻刻」(『年報三田中世史研究』12抜刷)を御恵送いただきました。たいへん着実なお仕事に敬服いたしました。あつく御礼申しあげます。
 また、NHK出版の石浜哲士さんから、新刊の齋藤孝『教育欲を取り戻せ!』(生活人新書)を御恵送いただきました。いつものようにベストセラーになることでしょう。ありがとうございました。
 
 ちなみに、『年報三田中世史研究』ですが、抜刷が出たということは既に本誌は刊行済みということでしょうか?しかし、定期購読をお願いしているのに未だ届いておりません。関西ではなかなか拝読できない雑誌です。当方の研究室の架蔵のものをアテにしている院生諸姉兄も何人かおられますので、何とかしなければなりませんね。

「架空請求」=説教オヤジの反省

No.4330

上記の大番催促ならぬ写真催促について、主要メンバーから御返信を頂きました。どうやら、私はカメラを持っていなかった方たちにばかり「催促令」を発したようで、まことにもって耄碌をさらけ出した感があります。
 「カメラを持っていっておりませんので、・・・供出したいのはやまやまなんですが・・」という方には大変申し訳ないことを致しましたが、カメラ本体を紛失したという深刻な事態に遭遇した方、さらには「電車」の写真ならあるという方もおられました。
 山岡さんが金龍寺と千葉市の博物館前で撮った写真をお持ちでしたが、使い捨てカメラなのでちょっと不鮮明なのが残念。あと期待できるのは鈴木君・永富さん・山内さん・尻池さん辺りでしょうか?よろしく、ご確認をお願いします。

 伊豆旅行の提案については、八井君から宿についていろいろ調べて頂けるとのメッセージ、そして佐伯君からも、ぜひ参加したいとのお申し出とともに準備段階から手伝いたいとの、これまたありがたいお申し出をいただきました。
 先に伊豆旅行の幹事を引き受けてくれた山本君・平田さん、再起の時が来たようですよ!
 もっとも、一番楽しみにしているのは、卒論で伊豆北条氏を書いている(目下手書きで清書中)の立花さんのようです。実現できると良いですね。
 なお、北条氏邸跡の発掘調査は今年度は3月中旬頃までおこなっているとのことで、伊豆の国市教育委員会の池谷初恵先生から「ゼミの学生さん達にも見ていただき、ご意見をうかがいたいです」との、ありがたいメッセージを頂いております。

 先に御紹介した石浜さんから頂戴した齋藤孝『教育欲を取り戻せ!』は、このところ説教オヤジをやっている私には良い反省材料を提供してくれました。説教オヤジに迷惑をかけられている方やご自分の説教オヤジ化に危惧をいだいている人、また学校で先生をやっている人には一読をお勧めいたします。

 26日の例会と「一年間お疲れ様会@研究室」について、岩田君・山岡さん・山内さん、宜しくお願いいたします。私は来週、キャンパスプラザの講義の翌日から、しばらく京都を退去して西海に逃れます。かわって近藤好和先生が<大軍を率いて>御上洛の由。
 今頃、元木先生が、日記に「凡近藤氏為体、威勢厳粛、其性強烈、成敗分明、理非断決云々」なんて、お書きになっておられるかも知れませんね。

最終回だけの感想

No.4335

 近藤氏の上洛を待ちかねる?元木でございます。
 さて、何やかやで話題となった大河ドラマ『義経』、終わりました。
 ありがたいことに、関連本が多数出版され、上横手先生の御編著『源義経 流浪の王者』、近藤先生のミネルヴァ評伝選『源義経』、大三輪・関・福田氏編『義経とその時代』、菱沼一樹氏の『源義経の合戦と戦略』、をはじめ、史料や事実の根本的見直しを迫る研究が相次いだことは、学界のためにまことに慶賀すべきことと思われました。
 当方も、再三講演の機会を得て、義経、そして鎌倉幕府成立問題に関する知見を深めることができました(無論、飲み代も大分頂戴いたしました・・・でも、飲みすぎて足が出たかも?)。
 その意味では、今回の大河ドラマに感謝しております。

 しかし、ドラマ自体は、というと、どうも不可解な解釈や、史実改変が相次ぎ、何ともしらけるばかりでした。
 見る気にもならず、目にすることもなかったのですが、たまたま食事時間と重なったことから最終回だけを視聴いたしました。やっぱり、変なドラマでした。
 最後までキーワードは「新しき国」だったようですが、それは一体そんな国だったのでしょうか。一年継続するドラマなら、それをめぐる葛藤を骨太に描く必要があったのですが、はたして実現していたのでしょうか。
 普通は新しい武士と、古めかしいおろかな貴族という対比がなされるのですが、後白河は戯画化されるばかり。貴族と言えば、朝廷には平知康しかいなかったようです。どうも彼らはお添え物程度で、「古き国」の中心と言うような悪者に仕立てるつもりもなかったようです。
 では平氏が悪者かというと、平清盛はむしろ義経の目指すものだったようです。しかし、義経はその平氏を滅ぼした。脚本家の意図はどうなっているのでしょうか。
 また、頼朝との葛藤はどのように描かれていたのでしょう。宮田敬三氏の研究を援用すれば、戦争の早期解決を目指し、平和を希求する義経と、東国武士の好戦的性格を理解し、そのために敢えて合戦を長引かさざるを得ない頼朝の苦悩と確執、といったテーマ設定ができたはずですが。
 個人の思惑を超えた時代の軋み、それに翻弄され、悲劇に巻き込まれる人々、といった描き方が大河ドラマには求められると思います。今回は如何なものでしょうか。

 当初、義経は殺生を嫌うヒューマニストのように描かれていたようです。ならば、平泉と頼朝との対決を回避すべく努力するはずだし、自分の存在が戦争の引き金になるなら、自害するか亡命するはずではないでしょうか。家来を道連れに、合戦の末に自殺すると言う選択肢は奇妙です。
 むしろ、うつぼあたりが船を持ち出して、北方に「新しき国」を求めて逃亡する設定の方が自然にさえ思えます。

 結局、義経の理想郷は死後の世界にしかないと言うことでしょうか。家来たちは、愛する女性も捨てて、「君」のために死ぬことを喜ぶ。何人かは、まさに「莞爾」として、死んでゆきました。彼らは死後の理想郷で、主君たちと再会することを信じて。
 この演出に何らかの政治的意図を感じた人は多いのではないでしょうか。無論、毎回見た方なら、ちがう感想も御有りでしょうが。
 ちなみに、NHKの番組HPにおける最終回のあらすじによると、「戦争を知らない泰衡」が、頼朝との戦争を恐れ、結局誤った判断を下し、平泉を滅亡に導いたという説明があります。
 平和ボケは、的確な判断を鈍らせ、国を誤らせるということでしょうか。
 
 別に首相のご子息が出演したことと関係はないのでしょうが、なにやらきな臭いドラマのように思えてきます。
 そういえば、ご子息演ずる資盛は「殿下乗合」事件の張本人ではなく、むしろ三位殿とやらに襲撃される被害者でしたし、屋島では継信を射殺する戦功をたてておりました。ひょっとして、父上に配慮したのか、はたまた圧力でもあったのか。

 衰えたりとは言え、大河ドラマの影響力は小さいものではありません。
 かなり学問的な成果を反映させながら、あえてタブーとされた南北朝にいどみ、後醍醐天皇を登場させた『太平記』のころが、懐かしく思われます。
 BSでご覧になった方は、今回のドラマとの相違、とくに演出や脚色、学問との兼ね合い、製作意図の相違について、一度思いをめぐらしてみてください。

 さて・・・。
 50歳をすぎたし、もう徴兵は大丈夫やろな。いや、このご時勢、年金もらえへんうちは、召集されるかも。
 それやったら志願して仕官になって、情けない若いやつらを張り倒すのもええかも知れまへんな。近藤先生が張り倒したら、みんな死んでしまうかも。
 おまけに、今度は男女平等やさかいに、女の方もにげられまへんで。
 どこに亡命すれば良いのでしょうか・・・・・