宮津・城崎・出石

No.3810

 元木先生の書き込みにもありましたが、5月22・23日に京大人環西山研・元木研の研究室旅行に行って参りました。そのご報告をさせて頂きます。
 22日は朝9時に集合し、まず天橋立へ行きました。約30分でしたが、天橋立駅裏の展望台から天橋立を見学することができました。
 その後、元木先生が案内を書き込んでくださった古文書学会の見学会に参加するため、再び電車で宮津へ。宮津駅近くのお店で昼食をとりました。あら定食が525円というお手ごろ価格で、しかも美味しかったです。海の近くは魚好きには最高です。
 古文書学会の見学会は宮津市歴史資料館で開催され、辰巳幸司先生に常設展示と春季特別展「古代中世の宮津」の解説をしていただきました。本HPをご覧になっているかどうかわかりませんが、辰巳先生、どうもありがとうございました。
 日本最古の系図とされる海人部氏系図(870年代作成)や、日付を改変した着到状(元弘三年<1333>)等、興味深い史料が多くありました。図録を購入しましたので、ゼミ員で興味のある方は仰って下さい。
 見学会の後に、資料館近くの三上家住宅(近世の酒屋)を見学いたしました。そこのおばさんが大変面白い解説をしてくださいました。
 その後、研究室の先輩と同回生にレンタカーを運転してもらい、城崎へ。佐伯先輩が予約して下さった宿の夕食は、お刺身や蟹、但馬牛等、とても豪勢なものでした。さて、城崎といえば温泉。夕食前・夕食後・23日の朝と、ひたすら外湯(宿の外の温泉)をめぐってきました。
 23日は、レンタカーで出石へ。その途中、豊岡市の自然公園玄武洞を見学しました。玄武岩という名前を生んだという岩石の結晶は、天然記念物に指定されるだけあって美しいものでした。
 そして、但馬国一宮の出石神社にお参りした後、城下町を歩きました。きれいな町で、家老屋敷や城跡など見学すべき場所も多く、楽しかったです。城では出石そばの大食い大会が開催されておりました。
 この日、午前中は良いお天気で、昼食の後に城下町見学の予定だったのですが、車で移動中、元木先生が午後からの雨を予言(?)してくださったので、計画を変更し、雨が降る前に見学することができました。昼食には名物の出石そばを食べました。ご存知の方も多いかと思いますが、出石そばは小皿に入って出されます。当然一皿だけでなく複数皿食べるわけですが、23皿・21皿を食べた先輩方がいらっしゃる中で、僕が食べたのは16皿でした。僕以上の食いしん坊がいるわけです(笑)。
 その後、城崎へ戻って車を返し、電車で京都へ帰ってきました。
 
元木先生には、古文書学会のことや旅行のことで色々とご配慮を賜りました。この場をお借りしてお礼申し上げます。

宮津と三上次男先生

No.3813

 元木先生御主催の見学旅行の後には、この掲示板にグルメ情報も満載の詳細なレポートが書き込まれるのが通例でしたが、このところ様々な要因から、書き込みを躊躇される向きが多く、さみしく残念に思っていました。長村君、ありがとうございました。
 実に収穫の大きな旅行であったようで、羨ましい限りです。それにしても、京大の院生の方々は良くお食べになる。やはり、消化器系の性能の良い人は頭脳の活動も活発なのでしょうね。私はその段階で落伍者です。
 城崎とか出石とか宮津とか、まだゆっくり訪ねたことがないのですが、これも安土同様に車で日帰りも可能のようですから、いずれ当ゼミでも見学会を企画したいところです。
 ちなみに、宮津の三上家というのは、『陶磁の道』で有名な東洋史の泰斗・三上次男先生(1907~1987)の御生家なのではないでしょうか。先生は青山学院大学史学科創設時の主任教授で、私も謦咳に接することが出来た一人です。入学当初、なるほど本物の「学者」というのはこういう人を言うのだなと思いました。
 その三上先生御自身の生い立ちの記である『春日抄』には、
 「わたくしは明治四十年(一九〇七)、山陰の東辺、丹後国の宮津町(現宮津市)でうまれた。京都府の宮津市というより、丹後の宮津といい現した方がより実感のこもる影深い港町であり、城下町でもある。
 生家の一族は、この町にながく住みつき、江戸時代には廻船問屋、醸造業、地主などを業とするほか、宮津藩の御用金をまかなったりしていた町方の大きな商人であったが・・・明治時代には都より訪れる皇族・貴顕、あるいは文人などの宿として使われることが少なくなかったらしく、書面などの記念品が残っていた。・・・いくつかの蔵の中には旧藩主から拝領したものや・・・あつまった書画・骨董・刀剣の類がつまっており、時にはそれをかいま見ることもあった。・・・このような幼少期の環境が、いまにして思うと、後年わたくしをかりたてた、過去への興味や美術への関心と無縁ではなかったように思われる。」
と記されています。三上先生が、天の橋立に近い山や海岸で遊び回った少年時代を過ごされた宮津は、その教えを受けた私にとっても縁のないところではないようです。 

Re: 宮津・城崎・出石

長村祥知
No.3818

われわれが三上家住宅で伺った解説でも、明治時代には皇族が訪れたということでした。三上次男先生の御生家とみて間違いないようですね。

Re: 宮津・城崎・出石

No.3824

 野口先生、あの三上家が次男先生のご実家とは思いも寄りませんでした。
 宮津は、小規模ですが、伝統と歴史の重みを感じさせるいい町だと思います。その中から優秀な学者や、前尾繁三郎のような優れた政治家も登場したのでしょう。
 最近は人口も3万を割り込み、大きな産業もなく、町も活気がありません。こうした地方都市の状況を見るにつけ、今の日本の政策はこれでいいのかと思わざるを得ません。
 丹後歴史資料館の辰巳さんは本当に熱心な方で、解説は実に熱のこもったものでした。丹後にお越しのときはぜひ連絡をお取り頂き、案内をお願いしてみてください。
 それにしても、海部氏系図はもちろん、木製の板に記された六波羅探題の制札は、余り例がなく、何とも興味深いものであり、大変貴重な経験をさせてもらいましたした。古文書見学会に参加した諸君はこの経験を研究に活かしてほしいと思います。
 なお前日の晩、彼に案内してもらった魚料理の桂馬という店、抜群でした。イカ、カンパチの刺身の生きの良さ、メバルの煮付けの身のしまったうまさ、ついつい進められるままにオコゼを一匹刺身、湯引き、から揚げにしてもらい、丹後の海の幸を堪能しました(大分ビールも飲んで一人7000円は安い)。
 なお長村君がお昼を取ったのは、駅前の「富田屋」という、安い、うまいで有名な店です。昔は、店員のおばさんが無愛想、乱暴なことでも有名でしたが、そちらは改善されたようですね。
 城崎の宿を見つけたのは佐伯君の殊勲です。クーポンが値段の割りに充実していることは以前にも経験しました。宣伝効果も狙っているので当然かもしれません。今回の料理も大層なご馳走でした。長村君の記した他に、イセエビ、魚の蒸し物などもあり、都市よりは食べ切れません。
 出石そば、たしかに食べやすく、あっという間に皿を重ねてしまいます。但馬のそばは、信州から転封されてきた大名京極氏が備荒食として導入したものです。そばにとろろ、卵を付けるのは、他におかずがなくとも栄養をバランスよく摂取する生活の知恵だそうです。食事からも先人の工夫を学ばなければいけませんーこんな言い方をすると、河音先生みたいですがー。