義経やっと2回分

美川圭
No.3773

一昨日夜半から高熱を発し、けっきょく2日間自宅謹慎。
昨日の小山先生のご葬儀にも参列できなかった次第です。

そのため、やっと今日、二回分の義経を見ました。

前回の清盛死の回。野口先生からの私めへの宿題がありました。
なんだか、野口先生ご自身が、平安時代史事典の知康項目を書かれているので、
模範解答はすでにご準備、とも思えるのですが、一応。

平知康は清盛が死んだ治承五年(1181)閏二月というと、
その年の正月4日に左衛門尉を解官、清盛に逮捕され禁獄(『玉葉』)。
ですから、清盛が死んだ時はおそらくまだ禁獄中。清盛死後、釈放され、
しばらくしてから本官復帰(たぶん清盛死後の院政復活による)。
しかも、北面下臈であり、叙爵もしておらず、検非違使でもない。
そんな人間がいくら「法皇近日第一近習」(『玉葉』正月七日条)としても、
平氏との伝奏取次役をつとめられるはずがありません。
清盛死後、後白河院政復活で、伝奏役として記録に見られるのは、
下郡剛先生の研究によれば、権中納言藤原成範、従三位藤原脩範、
参議藤原定能などの、すくなくとも公卿なんです。
ですから、その役を五位にもなっていない知康がやることはありえません。
もしもそんな男が取次に出てきたり、院の仰を伝えたら、
平家は、清盛が逮捕して解官したものでもあるし、とんでもないといって、
拒絶しなければなりません。そんなこともできないのなら、腰抜けだ。

ということで、野口先生、何点いただけますでしょうか。

清盛の死の回は、たしかに比較的よいできでした。
たぶんに、清盛役の渡哲也さんの熱演によるものでもありますが。
ただし、歴史的事実との相違は、野口先生のおっしゃる通りです。
なんだか、ぼけ老人のように死んでいく清盛像は納得できかねます。
時子の偽遺言も、演出としてはおもしろいけれど、歴史的事実とは、
考えられません。

次の回は、すっかり、もとの水準にもどりました。
まったくコメントがどなたからもなかったのもうなづけます。

私は、毎回、あの丹後局と北条政子にうんざりしています。
女性重視(あの時子の偽遺言も)路線も、わかりますが、
これじゃ逆効果ではないのかな。まさに、女が政治に口をはさむから、
国が乱れて、戦争になってしまうみたいな描き方です。
とくに、義経を前にした、政子の目のいやらしさ。
あんな女の演説で、いったい承久の乱で勝てるのか疑問です。
ついでに、頼朝も一流の政治家とは思えない台詞。
義経や範頼を前にして、自分は一門を重んじない、などど。
あんなこと目の前で言われたら、義経や範頼は働きませんよ。
少なくとも、平氏滅亡までは、命をかけて兄のために闘うのだから、
それなりの台詞をはかせないと。
それとも、義経・範頼は、「日勤なんとか」を恐れて、
突っ走ったとでもいうのでしょうか。

簡単に終わるつもりが、また長くなってしまいました。

『延慶本平家物語全注釈』刊行開始!

No.3775

 このところ各方面から邪険にされ、美川先生からも忘れられてしまったのかと嘆いていたところ、丁寧な御回答をいただいて感謝感激です。
 じつは小生も『平安時代史事典』では「平知康」について誰が何と書いているのかと頁をめくったのですが、自分で書いていたとは・・・。
 それに致しましても、演習でいい加減な内容の報告をした学生さんに「君、それ何で調べたの?」と問う。「『平安時代史事典』です」とこたえが返される。そこで再び、「じゃあ、その項目誰が書いてるの?」と問う。すると、すこしの沈黙の後、「野口先生です」・・・というケースが、よくございます。
 ですので、採点など、とてもとてもです。
 ちなみに、復刊ドットコムで、『平安時代史事典』は、いよいよ交渉開始の100票にせまっているとのこと。もし、再刊が決まった場合は、ぜひ相応なギャラを前提に各項目の補足修正の機会を頂きたいものと考えます。
 しかし、あの編集作業は大変でした。今さらながら、小生が編集室から去った後、刊行に漕ぎつけてくださった編集スタッフの皆さまの御苦労に対し、頭(こうべ)を垂れたいと思います。

 事典の編集作業はもとより、単著も編著も本を出すことの苦労は多く経験しているつもりですが、大部の古典籍の注釈を複数の研究者の共同作業で作り上げることは並大抵のことではないと思います。
 本日、そうした大変な研究・作業の御成果をいただきました。延慶本注釈の会編『延慶本平家物語全注釈 第一本(巻一)』(汲古書院)です。652頁箱入りの立派な装丁の本です。釈文も注解もたいへん充実したもので、国文学のみならず歴史学研究に裨益するところは多大であると思います。
 連名で御恵送下さった佐伯真一先生・清水眞澄先生・平藤幸先生・大橋直義先生にあつく御礼を申し上げる次第です。

 ☆ 大河ドラマ評は、馬鹿馬鹿しくも思えますが、樋口大祐先生の御高論にあった「物語と史実との緊張関係」という観点、あるいはかつて自分自身が「NHKの大河ドラマで取り上げられるような歴史上の事件についても、日本史研究者は一般市民の歴史認識の形成という点においては小説家・作家と称するアマチュアの前に明らかに屈服している。僭越な言いようだが、私はその日本史研究者の一員として苛立ちを隠せないでいる」(「日本史に見る老人像-「たくましい老人」再生のために-」染谷俶子編『老いと家族』ミネルヴァ書房、2000年)と書いた(書いてしまった)手前もあり、しばらく撤退は控えたいと考えております。美川先生をはじめ、諸先生方、ゼミメンバーのみなさん、宜しくお付き合い下されば幸いです。