今回の義経

No.3745

 まったく恒例になってきましたね。義経ネタ。 と、いうことで、今回も悪口を書こうと思ったけれど も・・・ しかし! 悪くなかった!(今回だけは)。

 もともと今回は、清盛病に伏す→死ぬ→みんな、涙にくれる、という単純な構成ですから、変な小細工はしたくてもできない、というところはあったと思います。
 でも、平盛国邸でしみじみと酒を酌み交わしている時に発作をおこして倒れる、というのは、なかなか良い設定です。そうでもしなければ、なぜ清盛が盛国邸で死去した(これは歴史的事実)のかの説明が難しい。それから、「頼朝の首を墓前に供えろ」という清盛の遺言を時子の創作としたところも、従来の無理無体の辻褄をなんとかあわせましたね。今回のドラマの温厚で優柔不断な清盛があの強烈な遺言をどうやってするのかと思っていましたが、なんとか破綻を回避しました。めでたしめでたし。
 と、いうことで、今回は合格点。中井貴一の頼朝もなかなかサマになってきましたし。

 とはいうものの、これは今回の放映に限ったことであって、歴史的事実と比べると物足りないところがあります。それは、養和元年(治承5年、1181)閏2月4日の清盛の薨去の直前に、もうひとり、大事な人物が世を去っていることがまったく描かれていないことです。それは、その2ヶ月前の1月14日に崩御した新院・高倉上皇その人です。今回のドラマでは新院がまったく描かれていません。しかし、私が以前から強調しているように、高倉上皇こそは清盛の政権の要ともいえる人物であり、彼が崩じたことによって清盛の政権構想はガラガラと音をたてて崩れ去るのです(ところで、今回のドラマで高倉上皇を演じていたのは誰でしたっけ・・・ それほど影が薄いんですね)。

 細かいことでケチをつけると、熱を下げるために清盛のまわりに立てられていた氷柱。まったくの氷の塊ですね。氷はあってもいいのですが、冷蔵庫はないのですから、氷は板状であったような気がします。どうでもいいことですが・・・

 あと、清盛が眺めていた西八条第の「蓬壺」という蓬畑。なんか変なシーンですが、ウチの奥さんによるとやっぱり変だったようです。詳しくは彼女から聞いてくださいませ。

追記:今回の「義経」について、東京都立大学の川合康先生が好意的な評価を書いておられます。同感です。http://blogs.yahoo.co.jp/kibamusya2005/MYBLOG/yblog.html

猛き者も、ついには滅びぬ。

No.3746

 元木先生は、すっかりお見捨てになられましたが、小生は「或る人」からの要請もあることなので一言。
 史実という点から言えば、落とせないのは高倉上皇の死とともに、還都後の平家がかなり積極的に動いているという点です。まずは八条~九条末における新首都構想の実現に向けて動き出している。平盛国の邸で清盛が死んだのは、たまたま滞在していたからではなく、その新首都の中核的位置に盛国邸があったからであることは明らかです。この点については、盛国邸が九条河原ではなく八条河原に位置していたことともに、高橋昌明先生が最近の論文(↓で紹介)で指摘されるところです。
 また、宗盛が畿内近国の総官に、家人の平盛俊が丹波国諸荘園総下司職に補任されて独自の総力戦体制を構築し、それがある程度成功していた状況もドラマとはだいぶ異なります。
 清盛の遺言も右大臣九条兼実の日記『玉葉』に「我が子孫、一人生き残る者といえども、骸を頼朝の前に曝すべし」という武士の棟梁らしい恐ろしくも気迫に満ちたものであったことが伝えられていて、これは富士川合戦敗戦後の彼の態度などから考えても事実と見てよいと思います。
 なにしろ治承五年二月段階で、平家は近江・美濃の反乱軍の鎮圧に成功しており、あらたな体制作りに邁進する段階でした。
 これらの点については、ドラマに呆れてしまわれた元木先生の『平清盛の闘い 幻の中世国家』(角川書店)を是非ともお読み下さい。
 ところで、清盛の葬儀の際に、鴨川を挟んで八条河原対岸にあって後白河のいた最勝光院御所(現在の一橋小学校のあたり)から今様乱舞の声が聞こえたというストーリー構成上、好都合な事実があるのですが、これをドラマに取り入れないのは実に勿体ないと思いました。変なフィクションを考えなくても史実の中に面白い材料はゴロゴロしていると思うのですが。もっとも次回の放送に出て来るのかも知れませんね。

 もうひとつ気になったのは、鼓判官こと平知康の位置。院の近臣とはいえ、たかだか検非違使の尉が内大臣宗盛に尊大な態度をとっていましたが(大会社の社長秘書が系列会社の社長に対するがごときものでしょうか?)、あのような場面設定は可能なものかどうか、美川先生にお教えいただければ幸いです。
 ちなみに、先頃鎌倉で開かれたシンポジウムの講演において、上横手雅敬先生が在京中の義経を「後白河近臣の武官として平知康と同様な存在」と評価されたとのことで、これは一部の義経ファンにショックを招いたようです。

義経は平知康にあらず

前川佳代
No.3747

 ショックを受けた(というか逆上した)義経ファンの前川です。おそらく上横手先生がおっしゃりたかったのは、後白河院の側近でいうなら知康と同じ立場ということであったかと想像されたのですが、上横手先生の応援に駆けつけた身としては、我が耳を疑いつつ、その真意を質問してしまった次第です。冷静に考えるなら鎌倉で、しかも鶴ヶ岡八幡宮の境内で催されたシンポジウムだったので、リップサービスもあったことと存じます。他の先生方も義経には冷たく、まるで大河「義経」の鎌倉滞在中の義経をみるがごとくでした。鎌倉は鬼門です・・・
 昨日の義経では、頼朝の大倉御所の一郭に義経館が設けられてあり、頼朝の家人も「九郎御曹司」と呼んでいたところが印象的でした。上横手先生が注目されていることですが、『玉葉』や『平家物語』に頼朝と義経は「父子の契り」をなしたと出て参ります。養父子関係を結び、曹司住まいだったのでしょうか。『玉葉』には頼朝の代わりに「九郎御曹司」が上洛してくるらしいとの記事を載せており、「九郎御曹司」という呼び名であったことがわかります。次回登場の範頼は鎌倉でどうしていたのでしょう?小山氏、安達氏の近くにいたのでしょうか。
 土曜に亀岡で開催され、元木先生が基調講演された「頼政と義経」のシンポジウムでは、会場から「政子は本当に義経をいじめていたのですか?」という質問がありました。私の従兄弟からも、「毎回義経はみているけれど、本当に義経はかわいそうね」とメールがきてます。どうしてあんなに「可哀想な義経」にする必要があるのですか。
 普通に『平家物語』や『義経記』を読んだだけでも「可哀想」な人生と理解でき、判官びいきが生まれたのだから、これ以上「可哀想」を演出する必要などありません。あまりにも義経が気の毒すぎる。それゆえか、タッキーらしい義経が出てこない。対平家戦の初陣で、なぜにあのような愁いをこめた表情をせねばならぬのか。
 義経のすごさは、「可哀想」ではなくて、「可哀想」な人生であっても精一杯彼なりに生きたという証を八〇〇年を越えて残しているということです。私は、義経は逆境に負けない、もっと強く明るく、そして優しい人だと思っています。そこを強調して欲しいと願います。
 「義経展」のチケットが手に入りました。ご入り用の方はおっしゃってください。

義経展のチケット

No.3748

 前川さん、昨日は近藤好和先生ご登場の週刊誌をありがとうございました。ようやく拝見することが叶いました。また、上の書き込みで、いかに前川さんが義経に心酔されているかが、多くの方々に理解されたことと思います。前川さんの義経がらみの歴史叙述は黒板勝美著のごとしと、言われるてしまうかも知れませんよ。
 
 また、ありがたいお申し出に感謝します。
 義経展のチケットの必要なゼミメンバーは、明日のゼミ史料講読会・例会のときか研究室宛のメールで今週中に小生まで御連絡下さい。前川さんに一括して必要な枚数をお願いすることにします。
 なお、義経展では、元木先生の御講演も企画されています。できれば、その日に合わせて出掛けられたらよいと思います。

西八条殿の蓬壺。

No.3749

 タイトルの件について、山田ちさ子さんがblog「平家物語」に卓見を示しておられます。
 
 http://heike.cocolog-nifty.com/heike/

 ここに示された山田さんの御見解、これはまさしく正解だと思います。すでに趣味の域を脱していますね。
 

ありがとうございます

No.3751

わ~い。
野口先生、ありがとうございます。
ちゃんと立証できる史料を探そうと鋭意努力中です。

義経、せっかくのタッキーなのだから、もっとがんばって欲しいです。
わたしの中の義経を志垣太郎からタッキーに変えたいのですが、これでは志垣太郎のままかも。

蓬壺

No.3752

蓬壺と言えば、つぎの漢詩を思い出します。

  晁卿衡を哭す
  日本の晁卿 帝都を辞し
  征帆一片 蓬壺を遶る
  明月帰らずして 碧海に沈み
  白雲愁色 蒼梧に満つ

友人の阿倍仲麻呂の乗った帰国船が転覆し、死んだものと思った唐の李白が、その死を悼んで詠んだ「哭晁卿衡」の詩。結局仲麻呂は助かっていたのですが(^^;)
ここでいう「蓬壺」は、東の海中にある神仙の島ないし蓬莱山がイメージされていると思いますが、それを朝廷や宮殿を指すものとして利用した可能性はあるかも…、ですね。また中国との関係が深い平氏の邸宅に、この語句を用いたのは面白いなぁと思います。ちなみに『宋史』芸文志には『陶植蓬壺集』三巻・『蓬壺集』一巻という書物が載っております。