理解し難い「ボーリング」バッシング
美川圭
No.3728
この数日、たいへん怒っていることがあります。
テレビのニュースやワイドショーをつけると、
どこも同じように、JR西日本の天王寺車掌区の人たちが、
事故の日に「ボーリング」「懇親会」に行っていたことが、
ひどくバッシングされています。
居酒屋でどれだけ酒を飲んだとか、
いくらつかったかまで報道されています。
なんですか、あれは。
休暇をとっている人間が、当日レクリエーションをしたことが、
あれほど非人間的な行為のように、たたかれなければならないのでしょうか。
もちろん配慮に欠けていた行動といえばいえないこともないが、
所詮、その程度のことでしょう。
褒められることではないが、あれほど批判されるほとのことでもない。
天王寺車掌区から救援に行かなければならない状況でもない。
実際にJR内で人手が足らなくなって、大いにこまったなんて報道は聴いていません。
近所の工場などの人たちが救援したのとは、別の次元の問題でしょう。
仕事をさぼってボーリングしていたわけでもない。
被害者や遺族の苦しみは察してあまりあることです。
でも、その問題をなぜ結びつけて感情的に煽るのか。
事故現場の献花台の前で、関係者らしき人々に、
「ボーリング」のことについての予想されるコメントをとる必要があるのか。
いわゆる「自粛」ということを、感情的に強要されているにすぎません。
これのおかげで、支社長が「安全対策はそこそこに」という訓辞を垂れた
という遙かに重大な問題がかすんでしまっています。
マスコミには、もっと取材すべきことが、ほかにあると思います。
さらに、今日になって、
30日ごろのゴルフとか、1泊旅行とかまで、「不適切」とされる
報道がなされつつあります。
これでは、当分JR西日本の運転士や車掌は気晴らしもできません。
それによる過労が、逆に安全運転に悪影響をおよぼすかもしれません。
なぜ、そういうところまで、考えがおよばないのでしょうか。
理解できません。
ちょっと安心
No.3730
同じ意見の方がいるという事がわかって安心しました。
ここ数日、数mのオーバーランや、レクリエーションへの批判が続いていましたが
たいていのJR西日本への批判の内容は「ロボット的・マニュアル的すぎる」というものでした。ただ、ミスをおこせない、休みに遊びも行けない、というのは、あきらかにロボットになれと言っているようにしか聞こえず、矛盾を感じています。
どの鉄道会社でも、ホームに乗車位置を表示したり、編成の両数を時刻表に記載したり、マニュアル通り定刻に運転すること、つまりはロボットとして働く運転手を、鉄道を利用する側が求めているという状況だと思います。
新聞でも、「安全は大事だけど、復旧してくれないと正直しんどい」みたいなコメントも出てくるようになりました。鉄道は結局道具ではありますが、自分勝手すぎるように思います。
僕も・・・
No.3731
安心しました。自分のblogにこんなこと書いたら速攻で反論されたので(笑)。
僕の場合、身近に現役社員(天王寺車掌区とはモロに関係のある)と被害者(幸い無事だったそうです)がいるので、どちらの立場もわかってしまうが故に非常に心苦しいです。しかし、メディアやマスコミが世間を煽動し、必要以上に一企業を叩くのはいかがなものかと・・・。それだけ会社としての「責務」を怠った罪は深いのは重々承知ですが。
その社員の同僚は、心無い利用者から暴言を浴びさせられたそうです。それを「当然」と受け取るか、「それはないやろ」と受け取るかは人それぞれでしょうが、世間がこういったモードになってくると、「人を傷つけることを言ってはいけない」という、人間としての倫理観までひっくり返されてもそれが普通、なんて機運になってしまわないかと危惧しております。「あれだけの人の命を奪っておいて」という声を背に正当化する人もいるでしょうが、それは違う。社員も人間です。自分の仕事に誇りを持って、日々乗務に勤しんでいる社員の方々が不憫でなりません。
ちなみに、オーバーランについては明らかに“過剰報道”です。何mオーバーしようと、車両がホームにかかっていて乗降できるなら運行業務上何の問題もありません(利用者から文句は言われるでしょうが)。昔僕が乗った列車が思いっ切りオーバーランし、バックして停めようとしたらまたオーバーラン!なんてのもありましたが・・・(^^;) あと、電車の行き先表示が間違ったまま走っていた、などと鬼の首を取ったような記事を見かけましたが、そんなのしょっちゅうです。4両編成すべてバラバラの行き先を表示して走っている列車を見たこともあります(確かにアレは困ったもんだったけど・・・)。喜び勇んで記事を書いたであろう記者、レベルが低すぎます。
Re: 理解し難い「ボーリング」バッシング
No.3736
JR事故の件、たしかにマスコミは、もう少し本質的な議論をしてもらいたいですね。
もちろん、こんな事故が起こったときに、JR関係の行事として懇親会を開くのは非常識です。非難されるのは当然ですが、何次会まで行って、どれだけ金を使ったか、となると個人の問題じゃないのかと思いますね。
こうした情報は、一般視聴者に反感を与え、煽情しやすいものなので、低次元なマスコミは面白おかしく取り上げるのは当然といえるでしょう。
事故はなぜ起ったのか、会社の体質とどう関係するのか、それをいかに克服するか、また被害を受けた人たちの様々な救済は進んでいるのか、それを支援する方法はあるのか。本当に必要な情報はそうしたことだろうと思います。
以前の震災の時、百万人以上が非難し、困難な生活を強いられている時、ワイドショーは、犠牲者の話をいかにもお涙頂戴風に仕立てて報道しておりました。
もちろん、犠牲者に哀悼の意を表すことは結構なのですが、そうした光景ばかり流し続けるのは、非被災者に震災をショーとして見せているようで、不愉快でした。
それより、切実な生活情報や、再建支援につながる情報を流すべきだと腹立たしく思ったことがあります。
かつて、分割民営化された時に、利益追求、人員削減が大事故につながる、という議論がありました。もちろん、事故の原因がはっきりしないので断定はできませんが、まさにその懸念が現実のものになったように思います。どうして、マスコミはそのことに立ち返って議論しないのでしょうか。
国鉄が解体されたのは、膨大な赤字と、強くなりすぎた労組の抑圧のためでした。
言うまでもなく、膨大な赤字は、大赤字が当然の地方ローカル線を大量に作らせた政治家に大きな責任があります。そのことは、全く反省されておりません。
だから、かなり廃止はしたとはいえ、今でも当時の赤字線をJR各社は抱え続けているし、無謀な新幹線建設など、民間企業になったはずのJRに大きな負担をかける政策がとられているのです。
こうした利益と相反する「公共性」を抱えながら、「民間企業」として、利益を上げなければならない。JRが安全を犠牲にしても、利益追求に走る一因はそこにあります。まして、基盤も弱く、多くのローカル線を押し付けられた西日本が、水準の高い関西の民鉄から強引に客を奪うために、安全を軽視してでも速度を向上させ、高密度運転をしなければならないのは、当然の結果なのです。
運転士を恐怖に陥れる日勤教育こそ、かつての労使対立、労組横暴の負の遺産以外の何者でもないでしょう。そこまでして抑圧し、屈服させないと、使用者側は安心できない、そういう労使の不信感の現れではないでしょうか。
かつてのような、職場規律まで乱すような労組の行動も論外ですが、現在のような利益第一ゆえの、労組抑圧が正しいのか。それこそ、危険な運転を余儀なくされている運転士たちの声は上層部に届いていたのか。事故の原因として、もっと厳しく追求されるべきでしょう。
こうした問題は、現在の郵政はもちろん、「独法化」という名目で、独自の収入確保を強制されている「国立大学」の問題にも通じるものではないでしょうか。
単に、JRが利益追求体質だ、それがけしからん、モラルも低下していると、うわべをあげつらっても問題の解決にはつながらないでしょう。信楽鉄道の事故や、救急隊員死亡事故のときに、マスコミがもっときちんとJRの責任問題を追及していたら、今回の事故は防げた可能性は高いと思います。
あの快速の前の3両が同志社前行きでした(後ろ4両は松井山手で切り離し)。同志社前の改札は1両目が最寄でした。同志社関係者が多く犠牲になったのはこのためでした。
子息の車より、電車が確実と、電車を信頼した婦人が犠牲になったとのこと。その信頼を裏切られた無念さは如何ばかりのことでしょうか。
電車でこのような事故に遭うことなど、想像することもせず、普通に家を出た人たちが惨い運命に巻き込まれ犠牲になったことを思うと、今でも憤怒と涙を禁じることがせきません。
なくなった方のためにも、鉄道の死亡事故は、もう二度と起こさないように、国家を挙げて根本的に取り組んでもらいたいものと思います。そして、マスコミこそが、その中で大きな役割を担う存在であることを、厳しく自覚してもらいたいと思います。