遅くなりましたが…

新地 浩一郎
No.3654

 野口先生、皆さん、こんばんは。遅くなりましたが、『紫苑』を送っていただきありがとうございました。4月から勤務場所が変わり荷物の移動と業務引継ぎのため、いまだに公民館と役場を行ったり来たりの生活で、今日やっと自分宛の郵便物を確認することができました。落ち着いてからゆっくり読ませていただきたいと思います。

 鹿児島のおすすめの場所として、さっき思い出したのですが、現在は薩摩川内市になってしまった入来文書で有名な旧入来町はいかがでしょうか。中世から近世まで入来院氏(渋谷氏)が本拠を構えた地域で、特徴的な石塔群もありますし、武家屋敷の玉石を積んでつくられた石垣もよく残っています。少し走れば薩摩国分寺跡や新田神宮のある旧川内市域も近いです。
 その他の鹿児島県内の主要な史跡と博物館(資料館)についても、鹿児島市からの距離と所要時間は大体頭に入っていますので、お越しの折はナビとして活用してください。

 それでは。

THE DOCUMENTS OF IRIKI

No.3672

 新地さん、旧入来町の御紹介、ありがとうございます。
 「入来院」というと、大学生時代に、ある知ったかぶりの後輩が「にゅうらいいん」と言っていたのを思い出します。
 旧入来町は、1993年の中世史サマーセミナーの見学地でした。そういえば、あの時は仁木先生・京樂先生もお見えでしたね。暑い一日でした。
 入来町は薩摩川内市になったのですか。川内市(せんだいし)は仙台市と訓みが同じで、しばしば混乱することがありましたから、「薩摩」をつければ解消という訳でしょうか。
 ところで「入来文書」は朝河貫一氏によって英訳されていて欧米の研究者にも有名です。かつて大阪市立大学では河音能平先生がこの英訳を使ってゼミをされていたと聞いたことがあります。当ゼミでもやりましょうか。須田春子先生の遺してくださった旧蔵書の中に、この本を見つけました。
 「古文書大好き、英語大嫌い」という人の、英語克服には最適かも知れません。

最後の「日本人」

No.3673

新地さん>
 こんばんは。勤務地が変わったとのこと、教育関係の職場の辞令は年度末ギリギリですし、大変だったかと思います。お疲れ様でした。
 私も学部生時代にゼミ旅行で北薩めぐりをしました。入来町は甫場整備が進んでいないため、中世の景観が残っている希有な地域ですよね。私はゼミで扱った相論の舞台で、下地中分線が確認できてワクワクしました。ほかにも北郷(ほんごう)氏の墓地、川内市の近世の船着場も海岸線が特殊でおもしろいと思います。食べ物は「アラカブ」がおすすめです。
野口先生>私は古文書の授業でどうしても言葉の意味がわからないときに、こっそり「入来文書」の英訳本と文書を比較して活用しておりました。英訳をされた朝川貫一氏は歴史学者ではないのに、文書の意味を的確に把握して訳をされていますよね。たいへん御世話になった本です。

 ちなみに朝川氏に関しては『最後の「日本人」』(阿部善雄著 岩波書店)という伝記もありますので、興味のあるかたは是非に。以上、ご当地PRでした♪