『自転車泥棒』。

No.3635

 昔、こういうタイトルの映画がありましたが、昨夜、これが当家にあらわれたようです。永富さんに差し上げる予定の自転車が盗まれてしまいました。もちろん、門の中、玄関前に置いておいたのですが。こどものころ、小生の三輪車が盗まれた経験がありますが、それ以来のことです。街中に駐輪していて、盗まれたという話はよくきいていましたが、まさか深夜の住宅街にまでとは。おそらく、わざわざ探しに回っている窃盗団がいるのでしょう。
 家族が大切にしていたものだけに、気分じつに不愉快です。悲しむべきことに、どうも当節、治安上、「性善説」は通用しがたくなったようです。
 この場に書き込むべき話でないとも思いましたが、これを教訓に、みなさまもどうぞお気をつけください。
 そう言う次第で、永富さん、申し訳ありません。

Re: 『自転車泥棒』。

美川圭
No.3638

朝よく見ているフジ系のワイドショーの司会者小倉さんが、
車(ランドクルーザー)を自宅から盗まれたそうで、
この前、自分でその一部始終を話していました。
あっという間に、ナンバープレートや、車内の物品が、
某所にまきちらされていたようです。車体を特定できないように。
それはそれは早業だそうです。
もう野口先生のところにあった自転車も、某国に入国しているのかなあ。

盗品=「ぬしの心わからざらんもの」。

No.3639

 ちょっとしたことですが、自分の身辺に起きると疑心暗鬼が生じて、家の前を歩く通行人が盗人のように思えて困ります。
 このところ(思うに高度経済成長期以後の社会)、自転車や傘など、平気で他人様のものを持ち去ってしまう手合いが横行しているようです。
 かつて人々は、他人の所有していた「物」には、所有者の魂が付着していると考え、そのために、一度それを神に返付してその付着を消去できる場である「市」の空間で、商いが行われたはずなのですが、そういう意識が人々の心から消え失せているのでしょう。そのうち、「遺品」とか「形見」とか、そんなものに心動かされる人もいなくなってしまうのでしょうか?
 そうなると、いよいよ前近代の歴史が理解できなくなる。故・網野善彦氏の指摘した、日本史上第二番目の分水嶺は予想以上に高く険しいものであったように思われます。
 
 ちなみに、小生の住む宇治市平尾台は山科の勧修寺まで徒歩で30分ほどのところですが、応永33年(1426)6月、勧修寺で竹を盗んだ醍醐小野の住民が「法に任せた」当然の処置として死刑に処せられています。

 ついでに、フランシスコ・シャヴィエルの1549年11月5日付け書簡
「窃盗はきわめて稀である。死刑を以て処刑されるからである。彼らは盗みの悪を非常に憎んでいる」(『大航海時代叢書』による)

〔参考文献〕笠松宏至「盗み」(網野善彦ほか編『中世の罪と罰』東大出版会、1983年) 

御愁傷様です・・・

鍜治 利雄
No.3640

自分も実家にいた時は、玄関先に置いていたにもかかわらず、
自転車が4~5台、挙句の果てにはバイクまで盗まれました。
(バイクは後日見つかりました。盗むためにかなりイジられてましたが…)

やり場の無い怒りを覚えるのと、少々心が傷つきます…よね。

Re: 『自転車泥棒』。

No.3651

野口先生>レスが遅くなりましてすみません。
自転車の件、残念ですが仕方ないですね。もう少し早く取りにいければよかったですね・・・すみません☆

まさか犯人はこの掲示板で情報を得て野口先生宅へ・・・なんてことはないですよね_(^^;)(笑)

美川先生>我が家の車もランドクルーザーです。父が乗っているものの他に部品取り用に庭に二台ほどほっぽらかしてます。でも残念ながら我が家は田舎なので誰もわざわざ盗みには来ないようです・・・☆いいのかわるいのか・・・これで本当に右京区なのか・・・

Re: 『自転車泥棒』。

美川圭
No.3653

>永富さん
北海道でランドクルーザー盗難が、ものすごいようです。
ですから、油断は禁物と、お父上にお知らせください。

文教中にうちの娘の友人が2人入ったようです。
洛央小と六条院小の出身の子に聞いてみて。