ちょっと大河ドラマの想い出
美川圭
No.361
私の『院政の研究』のあとがき、にも書いたのですが。
私が、日本史の世界に入るきっかけは、大河ドラマの「太閤記」です。小学校3年生の時だったのではないかと思います。
本能寺での信長の死にはまり、毎時間学校の授業中に、ものさしで切腹をし、おかげで、いつも廊下に出されて、ろくに授業をうけさせてもらえなかったからです。それほど、高橋幸治演ずる信長の本能寺は衝撃的だったのでしょう。
この大河はほとんど残っていませんが、一部本能寺のシーンが残っています。ただ、私がよく思い出すのは、朝歯をみがいている信長とそこに矢が飛んできて、信長の腕にあたり、負傷するシーンです。へんなシーンです。それから、信長の死を知った緒形拳ふんする秀吉が、戦場で長ネギに塩をふりかけて食うシーンです。
ちなみに、当時の私は、切腹をするか、「人間五十年・・・」と敦盛を舞うかしか能のないできの悪い小学生でした。
その小学生も、そろそろ「人間五十年」に近くなってきました。
私が、日本史の世界に入るきっかけは、大河ドラマの「太閤記」です。小学校3年生の時だったのではないかと思います。
本能寺での信長の死にはまり、毎時間学校の授業中に、ものさしで切腹をし、おかげで、いつも廊下に出されて、ろくに授業をうけさせてもらえなかったからです。それほど、高橋幸治演ずる信長の本能寺は衝撃的だったのでしょう。
この大河はほとんど残っていませんが、一部本能寺のシーンが残っています。ただ、私がよく思い出すのは、朝歯をみがいている信長とそこに矢が飛んできて、信長の腕にあたり、負傷するシーンです。へんなシーンです。それから、信長の死を知った緒形拳ふんする秀吉が、戦場で長ネギに塩をふりかけて食うシーンです。
ちなみに、当時の私は、切腹をするか、「人間五十年・・・」と敦盛を舞うかしか能のないできの悪い小学生でした。
その小学生も、そろそろ「人間五十年」に近くなってきました。