治承三年政変

No.3444

 本日の義経、能天気なハイキングで巴にいたぶられる義仲と越後で出会うという、驚くべき無茶苦茶な場面設定でございました。
 越後城氏は、諸国源氏の御曹司に狩猟ツアーでも呼びかけておったようですな。
 あの軽くすっとぼけた義仲なら、短期間で滅亡も当然ではありますが。でも、あんな奴がどうやって上洛するんだ!もう少し、重厚さ、荒々しさは出せんのか?
 本日はめでたく、小沢、長嶋、小泉と、各界名士のご子息、七光りトリオの競演でござった。やれやれ。

 義仲と聞いてすぐに従兄弟と分かるとは、義経もなかなか情報通のようですが、それなら兄義平に父義賢を殺され、自分の父義朝と、義賢や、その父為義が犬猿の仲だったことくらい分かりそうなものですがね。まあ、その辺は源氏は一枚岩というドラマの単純化の結果ということでしょうか。
 頼政まで招いた平氏の奇怪な酒宴も、同様の意図ということになるのでしょう。

 治承二年以降の大火、犯罪は平氏に対する怨嗟を生んだというのも、無理が多い。後白河の王権の動揺が、清盛との対立を激化させ、政変に至るのですが、これも一貫して平氏横暴という図式に単純化されたようです。
 分かりやすく、単純化するならそれで徹底すればいいのですが、おかしいのは重盛です。清盛が決断が鈍いので彼が悪役をかっていた、その彼が死んだので清盛は鬼になったとのこと???
 単純化するなら、清盛を制止していた重盛が死に、清盛がいよいよ先鋭化したと通説通りにすれば宜しい。重盛が憎まれ役を買っていたというなら、殿下乗合事件は史実通り描くべきでしょう。どうせなら、鹿ヶ谷で清盛が助けた成親を彼が暗殺したことにすればよかった。あれでは重盛の印象が薄っぺらで、何とも中途半端です。
 後白河は唖然とするだけ。これでは、折角の名優平幹二郎を持ってきた甲斐もありません。こんな間抜けな後白河なら、これこそ蛭子某氏に演じさせれば宜しい。
 この辺、天皇・王権の描き方が、かつての「新平家」や「草燃ゆる」より甘くなった感を否めません。勘ぐりすぎでしょうか。まあ、そういえば今回梶原景時を演ずる中尾某のとんでもない後白河もありましたね。
 中途半端といえば、突然お徳なる奇怪なばあさんが清盛の下に現れ、息子?を諜報担当者に推挙するのも、唐突です。宮尾さんの原作は清盛の物語であり、清盛の若い日々を見守った人物としてお徳は描かれています。それでこそ、彼女の存在は活きるのですが、義経の物語にしておいて、彼女を大きく取り上げるのは無理があります。
 原作者と、脚本家の葛藤の結果ではないでしょうか。
 
 見ものだったのは、福原の町並み模型が登場したこと。どこの漁村かと思ったら、どうも福原だったらしい。福原というより、大輪田の泊の光景のようでした。別に静止して見直そうとも思いませんでしたが・・・。
 多少進歩した点は、清盛が福原に住んでいることになったこと。だったら、いつ引っ越したのや?

 

破綻したドラマ義経

美川圭
No.3446

先週、元木先生が指摘したように、
重盛が法皇処罰を言い出す、という奇妙なドラマを創作したため、
法皇近臣にして鹿ヶ谷事件の首謀者、そして重盛の妻の兄である成親の命乞い、
という問題が、ドラマの中で説明できなくなってしまった。

そこで、今回は、死の床の重盛が、なんだかわけのわからんことを言って、
成親を謀殺した父を、やはり正しかったとかいって讃えるという、
辻褄のあわないでたらめなドラマをつくることになった。
一つ嘘をついたら、辻褄があわないので、つぎつぎと嘘をついていく典型です。
しかも、ドラマというのは虚構という一種の嘘としても、
その嘘が、実に下手である。そして、重盛という人物像が破綻している。

それにしても、清盛=悪、重盛=善という『平家物語』をむりやり、ひっくり返し、
清盛=善、重盛=悪と単純化したため、やたらにほころびがめだつ。
つまり、古典としての『平家物語』の虚構は、やはり古典となるだけあって、
説得力をもった虚構であるが、今回のドラマの虚構は、まことにお粗末の至り。

しかし、嫌なのは、視聴者の中に、これが最近の歴史学の成果に基づいている、
と誤解する人がでてくることです。『平家物語』とちがい、こちらが真実、と
思われるのも、危険だが、やはり最近の歴史学はどうしようもない、
歴史学の危機だ、なんて知ったかぶりされるのも、困ってしまいます。

  声を大にしていいたい。

けっして、最近の歴史学の成果によって、つくられたドラマではありません。
事実無根の部分を多くふくんだ、あくまでも、脚本家や演出家のつくった、
虚構なのです。それもいささか出来の悪い。

時代考証家問題

No.3448

先週・今週とドラマは未見ですが、私は、時代考証家や風俗考証家は何をしているのかといいたい。もちろん、経験上、そうした考証家は、お飾りにすぎないのは分かっていますが、だったら、考証家の名前をタイトルコールに出すな!考証家の名前を出すだけで、一般の人は、ドラマが史実だと勘違いしてしまう。

治承三年政変と高倉天皇

No.3449

元木先生、美川先生、近藤先生、みなさん、こんにちは。

>>能天気なハイキングで巴にいたぶられる義仲と越後で出会うという、 驚くべき無茶苦茶な場面設定
 ハハハハ、ホントだ。どんどんムチャクチャになってきますね。同じムチャクチャでも、「天下御免」や、大河ドラマ「花の乱」(三田佳子さんが日野富子をやった)くらいに、もはや文句を言っても無駄というレベルにまで達したムチャならば許せる(?)のですが、「義経」はまだまだ修行不足といわねばなりません。

>>一つ嘘をついたら、辻褄があわないので、つぎつぎと嘘をついていく典型です。しかも、ドラマというのは虚構という一種の嘘としても、
その嘘が、実に下手である。
 これは名言ですね。心せねばなりません。

 治承3年政変の描き方も、なんとなく心もとないものを感じました。
 私は、この政変の中では、高倉天皇の役割に注目しなければならないと思っています。なんと言っても、この政変の結果にできあがった政権は、高倉天皇――関白内大臣藤原(近衛)基通――平宗盛というトライアングル体制(後には、 この三角形の中心に安徳天皇が置かれる)なのであり、在福原の清盛(とその武力)がそれをバックアップする、というものなのですから。だから、治承3年政変の成功の要は、清盛の武力発動だけではなく、高倉天皇を自分の陣営の中心に据えることができたからだった。
 私がもしドラマ製作者ならば、この事件のなかに必ず高倉天皇を登場させ、彼にどのような表情をさせるかに工夫を凝らすでしょうね。

 そもそも、この段階の清盛は当時としてはもはや老齢にさしかかっていた。そして、最適の後継者としての重盛に先立たれた直後であった。その清盛が、自分の後継体制をどのようなものにするか、苦悩しなかったはずはありません。考えに考えたあげく、彼は自分が去った後の体制として、前述したようなトライアングルを構想したはずです。私見では、いわゆる「福原遷都」構想もまた、このトライアングル体制の中で考えねばならない。さらにいうならば、福原もまた、清盛の都であったと同時に高倉上皇の都であった、という視点から考えねばならない、と思っています(このあたりは、おそらく議論になるところでしょうが・・・)。

 かつての大河ドラマ「新平家物語」では、片岡孝夫(現・仁左衛門)さんが晴れやかで気品にあふれた高倉天皇を好演しました。片岡孝夫さんは後の大河ドラマ「太平記」でも後醍醐天皇を演じ、そのカッコ良さに魅了されました。私は、それ以来の「高倉ファン」です。

また、「とばでん」。それは江ノ電の支線?

No.3452

 昨日はいささか疲れ気味で、ちゃんと視聴していなかったのですが、それでも「とばでん」には目を覚まされてしまいました。先週の「ほうじゅうじでん」に続いてのこと。
 近藤先生の御指摘のごとく、考証とか○○言葉指導なんていう人がおられるのに。なぜ?どうして?
 最近もありましたが、テレビ局の方は歴史関連の番組制作にあたってまったく場当たり・短絡的に取材やら質問を「電話で」してくる。時には実にわけの分からないことを言ってくる場合もあるのですが、これも研究成果の社会還元に資するのならと、なんとか協力しようとする。しかし、結果的には常に誠実さを感じられない対応しかしていただけない。
 こうした事実を前提にして、テレビというメディアに協力的か否かで歴史学者としての評価が定まるようなことにならないように、と願うばかりです。

Re: 治承三年政変

No.3453

 山田先生ご指摘の片岡孝夫演ずる72年の『新平家物語』の高倉天皇、誠に懐かしく思い出されます。

 当時、女優として絶頂期にあった佐久間良子演ずる徳子と並んだ天皇・中宮は、本当に見る者を魅了したように思います。ちなみに時子は、まだ美人とみなされていた?中村玉緒、建春門院は村松英子、ついでに常盤は若尾文子、静は登場せずでした。
 
 かつて66年の『源義経』では、安徳天皇を除いて、天皇・上皇は登場せず。公卿が「法皇様のお呼びでござる」とか言いながら院御所に行く場面があり、次の場面では「法皇様は、このように仰せであった」とかいう会話の場面になっておりました。
 66年というと、当方小学校6年。この義経が今日を決めた面もありました。

 それが6年後の『新平家物語』では、天皇在位中は御簾の中だが、上皇になると顔を出し、人間として長所、短所を赤裸々に描かれるようになりました。権謀術数の権力者後白河像は、まさに当時の領主制論の描く姿そのものでした。
さらに、79年の『草燃ゆる』では、もっと陰険な後白河と、武士に打ち負かされるおろかな後鳥羽が正面から描かれておりました。武士が築く新しい時代に抗い敗北する帝王像は、それまでドラマで取り上げられるはずもないものでした。
 天皇に関するタブーが10年余りで、大きく変化したことが分かります。

 源平物以外でも、78年の『黄金の日々』では一向一揆を虐殺する信長や、朝鮮を侵略する残忍な秀吉が登場し、「出世太閤記」の能天気なイメージが崩され、80年の『獅子の時代』では自由民権運動や秩父事件が取り上げられ、明治維新の暗い側面が描き出されました。
 こうした延長上に、91年、それまで禁忌とされた『太平記』の時代をとりあげ、後醍醐天皇を正面から描く力作が生まれたものと思われます。90年代までは確実に学問的成果を吸収した丁寧な作品作りがなされていたのです。
 ところが、その翌年には緒方直人主演の『信長』が作成され、翌年の『琉球の風』と続いて、大河ドラマは無残な?学芸会シリーズに転じてしまったのです。
 
 まさか、後鳥羽を演じた尾上辰之助が数年後に急死し、後醍醐天皇役の片岡孝夫氏も一時重篤な肺疾患に陥ったことから、恐ろしくて天皇、上皇を正面から描けなくなったわけではないでしょうが・・・。

 視聴率という根本の問題があるので、難解だったり、通説と余りに離れるのは困るのでしょう。また、王権の描き方には色々議論を呼ぶ面もあるので、デリケートな性格もあるとは思います。とはいえ、ドラマとしての品格と、学問的成果を積極的に取り入れたかつての気骨を失ってほしくないものです。

 それが無理なら、美川先生の示唆されるように、学芸会・バラエティー路線で開き直るべきでしょうね。
 そして近藤先生のお怒りのように、誤解を招く時代考証などという古めかしい尻尾も切り捨てるべきでしょう。それがしたくないなら、逆に民放と相談して、水戸黄門にも時代考証の学者を起用してもらうようにすれば宜しい。

 今回のドラマ、清盛は貿易以外、何を目指したのかさっぱり分かりません。
 後白河幽閉も、単に個人的喧嘩のレベルでしか描かれておりません。
 平氏政権や、当時の朝廷に対する大きな見通しがないので、場当たり的な人物像になる面もあるのでしょう。
 義経の慈父であった清盛が、法皇幽閉のような暴虐をするのは、勇猛な重盛が死んだからという、何とも奇妙な話が強引に作られております。これで視聴者が納得するのでしょうか。
 宮尾さんの原作では、清盛は院政期の青年時代から描かれ、頑迷な貴族と戦う颯爽とした人物として活躍するのですが、テレビでは平治の乱から始めるように短縮したために、清盛の良さが描けず、無理を生じた面もある様に思われます。
 やはり脚本家の無能、不勉強ということでしょうかね。

 そういえば、当方が出演した某歴史番組では、福原からの還都の原因は疫病と飢饉だそうで、京に帰った清盛に対し、頼朝らが蜂起し、彼や義経の率いる源氏が攻め上ってくるというコメントがありました。
 番組制作者たちの頭の中は、いったいどうなっているのかと聞きたい気分です。
これも、最近の日本史教育の結果ですかね。
 そうであるならば、学生の無知、不勉強の背景も、深刻なものと受け止めて、考えなくてはなりません。
 
 山田先生、福原遷都問題と、清盛以降の政権構想については、簡単にではありますが、今度の『古代文化』の拙稿で少し触れました。
 ご意見をお願いいたします。
 
 

NHKの制作体制の変化?

美川圭
No.3456

元木先生のご意見だと、緒形直人主演の『信長』からですか、
大河の堕落は。うーん、確かにそうかもしれない。

私はある関係で、あの溝口健二監督のご遺族を知っているのですが、
溝口監督のご夫人が、生前あの『信長』を撮っていたカメラマンは、
監督に追い出された最悪のカメラマンだ、と言われたというのを、
当時、間接的に耳にしました。

とにかく、あの『信長』はやたらに画面が暗く、何をやっているのか、
よくわからない。鏡みたいに暗いので、
見ているこちら側の視聴者が画面に映りこんでしまう、
という噴飯物であったので、そのことがとくに記憶に残っています。
おどろおどろしいドラマを描く目的だったのか、画面を暗くしたら、
なにもみえなくなっちゃった、というのではとてもプロの仕事とは思えません。

たぶん、あのあたりで、NHK内での大河ドラマの制作体制に、
大きな変化があったと考えるべきなのでしょう。
配下のプロダクションへの外注、とか、NHK内での人材配置問題とか。
そう考えないと、この10年ほどの質の低下は、よくわからない。
NHK内にまったく人材が枯渇しているとは思えませんから。

去年の「新撰組」も、あまりよく見ていないですが、
脚本は売れっ子の三谷幸喜でした。
私は、なんといっても喜劇がいちばん好きなので、
けっこう三谷作品は見ています。
舞台の「笑いの大学」なんていうのは、
ほんとうにおもしろかった(映画化されましたが、映画は未見)。
あまり人気があるので、舞台のチケットがとれませんし、
「笑いの大学」も大阪近鉄劇場で、立ち見をしました。

その三谷が脚本を書いても、少し見たところでは、あの程度の大河、
ということは、やはり、制作全体の欠陥でしょう。
(彼の幕末ものは成功していないこともたしかですが)

現在の大河が、どのように制作されているのが、
非常に関心がありますね。たぶん、時代考証の歴史家が、
口をはさむ余地などないのでしょう。
時代考証に意見をもとめるときは、たぶん脚本はできていて、
撮影もすでに進みつつあり、もう直しようもないし、
そこで直しをもとめるような、うるさい歴史家には依頼しない。
といったことかと、素人目に推測しているのですが、
実際はどうなんでしょうね。

私は、物心ついたときにはもうテレビがあった、という第一世代、
ぐらいかもしれませんので、どっぷりテレビにつかって生きてきましたが、
最近のテレビは、とにかく欠陥ばかりが目につくメデイアになりました。
NHKの不祥事とか、フジ・ライブドア問題とか、大河ドラマの不調と
皆つながっているんでしょうか。

Re: 治承三年政変

No.3457

  美川先生のご指摘の通り、『信長』はひどかった!だから、最初を除いて、ほとんど見ておりません。
 確か、あの時からNHK何とかという下請け会社に委託するようになったはずです。番組の質の著しい低下の一因がそこにあったことは間違えありません。その体制がずっと続いているかどうかは存じませんが。

 時代考証の実態については、どこかで入間田宣夫先生が述べておられましたし、我らが近藤先生も、実質的にご担当だったとのこと。近藤先生の詳しい体験談など、お伺いいたしたいと存じます。

 当方出演の某番組では、下請けがいい加減なヴィデオを作成しており、こちらがコメントできるのは、向こうが聞いてきたことだけでした。清盛の「その時」が仁安2年ではなく、治承3年11月であったと変更したことは良かったのですが、ヴィデオの方はひどいものでした。
 平治の乱に「熊野水軍」が参戦した、一昨年発二重の壕とともに邸宅も発掘され、福原が考古学的に初めて裏付けられた、そして還都のあとで頼朝が蜂起した等等の、でたらめな情報が垂れ流しとなってしまいました。
 関係者によると、学問的な裏づけを取ってなかったとのこと。安易な下請け依存の結果でしょうが、視聴者をたばかるにも程があります。
 下請けビデオ優先の姿勢は、上横手先生がご出演になった日本テレビの「知ってるつもり」も同様でした。あの時は「民放はひどいですね」などと笑ったものですが、もはやそんなことを言っている場合ではありません。受信料を取られて、いい加減な番組を見せ付けられているのですから。

 美川先生の言われるように、テレビ界は大きな問題を抱えているように思います。
 その最たるものは、テレビ関係者の横暴、無自覚と言うことかもしれませんね。それが、国民にどのような影響を与えるのか。考えると恐ろしいことです。

テレビ関係者の常識

美川圭
No.3458

>テレビ関係者の横暴、無自覚と言うことかもしれませんね。

ということで、ちょっと思い出しました。
私、たまたま寝屋川市史の仕事をしているのですが、
例の小学校教諭刺殺事件のとき、市史編纂室のある
教育委員会の建物が、記者会見場になっていました。

編纂室の人の話だと、1週間たいへんだったとのこと。
一番驚いたのは、マスコミ関係者のハイヤー。
教育委員会の駐車場にぎっしりのそのハイヤーが、
一日中、運転手が待機してエンジンをかけっぱなし。

アイドリング状態なんだそうです。

いつでもすぐに移動できるためかもしれませんが、
実際には、そんなに出入りはなかったとのこと。
昔のポンコツ車ならいざしらず、昨今の車が、
そんなにエンジンがかかりにくいはずもなし。
緊急事態だったら、すぐエンジンをかければいいのでしょう。

ところが、昔の習慣を踏襲しているのか、
アイドリングしっぱなしを、不思議にも何にも思っておらず、
環境問題なんて、地球温暖化問題なんて、どこか別の星のこと。
自分たちは正義の味方の、特権階級とでも思っているのでしょうか。

とにかく、そういうところから、世間の常識をとりもどしてほしいです。
いざとなると、「庶民の見方」とか、を報道のなかで、ふりまわして、
攻撃するわけですから。

考証の実態

No.3461

今週分の義経、今日、ビデオでみました。このドラマ、はじめの頃は面白いかなと思っていたのですが(もちろんドラマとして)、今回は見るに堪えませんでした。いくかネタ探しとはいえ、もう見るのはやめようかとも思いましたが、来週からはいよいよ内乱が始まるということで、期待はできませんが、見続けることになると思います。

ところで、時代考証の件ですが、私が参加したのは、奥州藤原三代を扱った渡辺謙主役の「炎立つ」です。元木先生のレスで出ている「琉球の風」と抱き合わせで、はじめてともに一年間ではなく、数ヶ月という短い期間の大河ドラマでした。この制作は、NHKエンタープライズという子会社でした。ともに視聴率は最低レベルだったと思います。

その時の時代考証は、やはり元木先生のレスでお名前の出ている入間田宣夫先生、風俗考証は山中裕先生で、私は山中先生の補佐のような形で、武具考証を担当しました。だから、タイトルコールで私の名前は出ていません。

考証現場の実態は、美川先生のご推察の通りです。はじめに制作側の意向がありきで、こちらの意見を聞いて修正するなどという気はありません。すべてに「先生には正しいことを言っていただきました。でも、それには従えません」という感じです。実際にもそう言われました。しかも向こうからの質問は、こちらの意見を求めているのではなく、イエスという答えだけを求めるものばかりです。しかも即答で。では、考証の先生方はなんのためにいるのかと聞いたところ、一般視聴者に対する楯だという答えでした。つまり考証の先生がついているのだから、内容に文句をいうなよ、という感じですね。だから、考証家なんて、名前だけでいいんですよ。それも著名な。私のような無名の者は名前を出す意味がないわけですね。

実際に私が行った仕事は、甲冑を中心とした蝦夷の武具を作るということでした。蝦夷の武具など、ありもしないわけで、美術スタッフがデザインしたまったくの創作ですが、私の仕事はそれをいかに実際らしくみせて作るかということです。日本では、小道具の制作費が高く、鎧一領で一千万円くらいかかるそうですが、中国では五十万くらいでできるということで、三泊四日で中国に行かされ、中国の小道具制作の技術者に甲冑をはじめとする日本の武具の講義をしました。もっとも、昼・夜ともに豪華な中華料理の接待だったので、中華料理が大好きな私としては、その点では大満足でしたが。

それにしても、その後、歴博の「十三湊」展を見ていたら、最後の「伝説の十三湊」と題した展示室に、その時の蝦夷の甲冑や衣装が展示されているのを見てびっくりしました。それも、大河ドラマで使われた小道具であることを説明したキャプションもなく。しかも、所蔵先は、十三湊が所在する自治体(百石町でしか)所蔵となっていました。これでは、展示を見た人が実際の蝦夷の甲冑だと誤解しても当然です。当時から共同研究員などしていましたから、早速、佐原真館長に抗議文を出し、歴博内部ですったもんだの末、最終日前日にやっと撤去したようです。後で聞いた話では、NHKがその自治体にドラマ終了後に払い下げたそうです。そんなものを展示する歴博も歴博ですが、美術スタッフが創作した小道具をありがたがる自治体も自治体で、NHKの影響力の大きさを思い知ったわけです。

その意味でも、大河ドラマに時代考証、風俗考証やその他なんたら考証といって、研究者の名前を出すのはやめるべきですね。名前を出される方も、ドラマの内容によっては名前を出すのを拒否するとか、そういう気概はないんでしょうかね。もっとも、そういう人には考証依頼は来ないでしょうが。

日テレ特番の「虚偽」

美川圭
No.3463

歴史の話ではないんですが、
今日のYahooニュースで一瞬、かなり大きく取り上げられ、
朝日新聞にも、小さな記事で載っていた問題があります。

日本テレビが26日に放送した
特番「ビートたけしの歴史的大発見 名画モナリザはもう一枚あった」
に対し、北大大学院の田中英道教授(西洋美術史)が、
「存在はすでに知られ、コピーであることも学界では結論づけられている。
あたかも『大発見』であるかのような演出で、虚偽報道だ」と指摘している、
というのです。

私は、ひょんなことから、この番組の後半を見ていたのです。
というのも、たけしと大竹しのぶとともに、出演していた
絹谷幸二という洋画家を知っているためなのです。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050329-00000036-sanspo-ent

http://www.ntv.co.jp/louvre/0326sp/main.html

たけしにほとんど興味がない私が仕事をしていると、
家内が「絹谷さんがたけしの番組に出ているわよ」と
呼びにきたので、思わずそのあとを見てしまったのです。

番組自体は、『ダビンチコード』という最近話題の小説にからませた、
民放らしい胡散臭さがにおってくるような番組でしたが、
問題は、「新発見」とされる、もう一つのモナリザが、専門家の鑑定により、
間違いなく、ダビンチの真筆だということを前提としていること。
(前半を見ていないので、その「科学的」根拠は私にはわからない)

でも、ルーブルのモナリザと比較すると、素人目にも魅力がない。
引きつけるところがない。描写があきらかに平板である。
つまり出来がちがうのである。ということで、ダビンチにも、
失敗作もあるのか、と思いながらも、合点がいかなかったわけ。

しかし、もしも田中教授の言が正しいとすると、
たけしなどとテーブルを同じくして座っていた、
絹谷には責任はないのか、ということになります。

絹谷幸二の肩書きは、東京芸術大学教授 日本芸術院会員です。
とくに日本芸術院会員の洋画家は、現在13人しかいない。
しかも最年少です。
肩書きはまあ、日本の絵描きとしては、これ以上ない。

私、この人、40年近く前(つまり私の子供時代)から知っているのですが、
どちらかというと能天気な人なので、
おもしろそうだというので、ほいほい出て行ったのでしょう。
この前の話だと、倒れる前の長島茂雄に絵を教えていたとのこと。

あるいは、たけしがこんど東京芸大教授になるそうなので
(映画学科をつくるんだったか、これもちょっと信じられませんが)
そういう関係もあるのかもしれません。

私としては、素人の目にもおかしいとわかるものを、
あつかっている、かなりあぶない番組になんで出るのか、
なんで現在の日本を代表する洋画家のはずなのに、
あの絵の不出来がわからないのか、
と思うのですが、いずれにせよ、近藤先生がおっしゃることは、
歴史番組だけではないのです。
そのことが、このたぶんに個人的な事件でも、身にしみました。
思いっきり、利用されてしまうのです。

千葉で義経の展覧会があります。

No.3466

 小生の本貫地千葉県に所在する千葉市美術館で、「義経展-源氏・平氏・奥州藤原氏の至宝-」という企画展が開催されますので御紹介いたします。
 ご期待に違わず、主催者には同美術館のほかNHK千葉放送局、NHKプロモーションが名を連ねております。
 出展されるのは、高野山金剛峯寺所蔵の国宝「源義経自筆書状」、厳島神社像の国宝「紺糸威鎧 兜・大袖付」(伝・平重盛所用)・国宝平家納経のうち「法華経 如来神力品第二十一」、静岡県鉄舟寺所蔵の「龍笛 銘 薄墨」などで、全国各地に散在する義経関連の名宝が一堂に会するというのはなかなかの企画だと思います。

   http://www.city.chiba.jp/art/

 ただし、いつも思うのですが、もっとも義経と関係の深い京都関係の出展があまり目につきません。関連の遺品・遺物はいくらでもあるのに、平泉などばかりがクローズアップされているのは、実に不可思議なことで、「義経好きは京都嫌いなのか」と勘ぐりたくなってしまいます。