複合権門都市としての「宇治」。

No.3433

 昨日のゼミ宇治見学会は27日に予定されている「明月記研究会」の宇治見学御案内の予行とはいえ、院政期政治史、とりわけ宇治の都市的発展に大きく関与した藤原忠実に関する御著書のある元木先生、院政研究の第一人者にして最近「権門都市」に着目されている美川先生、考古学の立場から巨大都市複合体としての中世京都都市圏の研究を提唱・推進されている山田先生の御参加をいただいて、たいへん得るものがありました。
 当初、天候が心配されましたが、徒歩の見学の間は、幸いにも降雨に遭遇せず、宇治陵の実態について山田先生から詳しい御案内をいただくことが出来ました。
 また、宇治市歴史資料館では、同館で発掘調査に携わっておられるすべての先生方から御教示を仰ぐ機会を得、また、27日の見学会についても積極的な御協力をいただけることをうかがって、本当に楽しく、かつ安堵の思いをさせていただいた次第です。あつく御礼申し上げます。
 近年、考古学的な調査の成果に基づく新たな情報が蓄積される中で、摂関家の権門都市宇治にたいする研究は、今後活況を呈することになると思います。昨日の見学会は、若いゼミメンバーも含めて、これからこの時代の宇治の都市史研究を牽引すべき人たちが、一堂に会した観があり、ある意味で記念すべき日となったのかも知れません。
 そのようなことと、見学会が無事に終了し、27日もどうやら御案内の手順が整ったようだし・・・といった安堵感が夜の宴会における小生の饒舌につなかったのだと思います(しかし、本日は寒いこともあって、さっそく腰痛にさいなまれております)。

>元木先生  お疲れの所、遅くまでおつきあい下さり、ありがとうございました。
>田中さん  例によって目的と参加者が多様化した宴会の幹事、ありがとうございました。なかなか、良いお店でした。
 ついでながら、研究室においてある本をお忘れなく。

『明月記』研究会の皆様へ。

No.3434

 27日の宇治見学会について、幹事の尾上先生に直接メールをお送りいたしましたが、あるいは既にご出発になっておられるかも知れず、また参加者の方には事前にお知らせしておいた方がよろしいかと存じますので、ここに同内容の情報を掲載させていただきます。
 昨日、上記のように、見学会の予定コースを回ってきました。JR六地蔵駅から浄妙寺跡・宇治陵などを経て京阪木幡駅まで、約2時間を要しました。木幡からはJRでは電車の本数が少ないので、京阪を利用しました。当初は宇治に着いてから宇治市街の遺跡を御案内してから歴史資料館に向かうつもりでしたが、27日は昼食の時間や歴史資料館までの移動方法の問題で、京阪宇治駅からタクシーで直接歴史資料館に向かうことに致します。
 歴史資料館では館員の浜中邦弘先生が資料を用意して御案内してくださり、さらに平等院など宇治市街の見学についても対応していただけるとのことです。歴史資料館から昼食のお店までは、タクシーを利用することになると思います。私はこの時点で失礼させていただきたいと思います。
 なお、気のついた点を列挙しておきます。
① 朝JR六地蔵駅集合後、徒歩で2時間ほど見学の間、トイレ休憩の場所がありま
せん。
② 27日は観光シーズンの日曜なのでタクシーがつかまりにくいかもしれません。
歴史資料館への往路は駅前で客待ちの車に順次乗車ということになりますが、帰路は
電話で呼ぶことになります。なお、運賃は片道一台800円くらいです。一台に4人
乗車としても7台必要です。
③ 当日は小生の助手役として当ゼミ所属の院生・学生2名ほどが同行させていただきますが、よろしくご了承下さい。

『中世の都市と寺院』などの御紹介。

No.3435

 高志書院から吉井敏幸・百瀬正恒編『中世の都市と寺院』が刊行されました。同書には山田邦和先生の「院政期王権都市嵯峨の成立と展開」や今回の見学会でたいへん御世話になった浜中邦弘先生の「宇治の都市的空間成立と平等院」をはじめ、福原・大宰府などをテーマにした興味深い論文が収録(満載)されています(本体2500円)。
 山田邦和先生の嵯峨に関するもうひとつの論文「中世都市嵯峨」は、京大の金田章裕教授を研究代表者とする平成14~16年度科学研究費補助金基盤研究得(A)(1)研究成果報告書「平安京-京都の都市図・都市構造に関する比較統合研究とデジタルデータべースの構築」に収録されています。
 昨日、上記の『中世の都市と寺院』および掲載御高論抜刷、「中世都市嵯峨」の抜刷をいただきました。また、前にこのbbsでご紹介させていただいた元木先生の御高論「伏見中納言師仲と平治の乱」も、直接頂戴いたしました。両先生にあつく御礼申し上げます。

東大史料編纂所の高橋・保立先生から。

No.3436

 先般の東京方面のゼミ旅行で大変御世話になった東大史料編纂所の保立道久先生と高橋慎一朗先生から御高論抜刷および御共著の書籍をいただきました。
 ・保立道久「都市王権と貴族範疇-平安時代の国家と領主諸権力-」(奈良女子大学「日本史の方法」研究会『日本史の方法』創刊号、2005年3月)
 ・五味文彦・櫻井陽子編『平家物語図典』(小学館)
    高橋先生は、第四章「『平家物語』ゆかりの地」を担当され、ここに山田先生御夫妻の作図(当研究所紀要17号掲載)をべースにした「六波羅、法住寺殿周辺図」を掲載されています。
 ちなみに、この本については山田ちさ子さんのblog「平家物語」に詳しく紹介されています。
 保立先生・高橋先生に御恵送をあつく御礼申し上げます。

『中世の都市と寺院』

No.3439

野口先生、皆様、昨日はありがとうございました。楽しかったですね。

拙稿の掲載された、吉井敏幸・百瀬正恒編『中世の都市と寺院』、ご紹介いただき、ありがとうございました。(ただ、岩田書院ではありません、高志書院です)。なかなか刺激的な論文揃いです。中世の奈良の考古学なんて、他ではちょっとお目にかかれません。

定価2500円+税。希望者が集まればご連絡いただければ、著者割引もききます。

お世話になりました

No.3442

 野口先生、ご心配頂き有難うございました。
 最近行事続きで飲みすぎたのと、少々ややこしいことでめげておりました。昨秋からの疲労がボディーブローのように効いて来たようです。
 もう自分の体力、気力と相談しな意図、仕事ができない年になったことを、痛感いたしております。何がショックといって、あの程度のビールで胃がもたれ、胸焼けがするとは・・・。
 
 それはともかく、宇治というと、どうも平等院周辺のイメージしかなく、今回のように宇治陵から宇治の旧来の市街地まで、歩いてみると、宇治に対する新しいイメージが得られたように思います。
 山田先生のご解説で、宇治陵の実態が良く分かりました。道長までの摂関家は、実に貧弱な墓所しか設けておらず、先祖崇拝と結びつくイエ観念が乏しさが実感されました。
 資料館の杉本、荒川両先生の懇切なご説明には本当に感謝しております。
 浄妙寺と離れた宇治川沿いに頼通が別業をつくり、少し離れた場所に師実の泉殿、忠実の富家殿が造営され、白河金色院が出現する。12世紀初期までの宇治は、浄妙寺、平等院、金色院、諸邸宅が散在する地域だったように思われました(荒川先生のご指摘のように、こうした理解は今後の発掘によって大きく変化する可能性も高いのですが)。
 ところが、大殿忠実の時に、平等院を中心として碁盤の目のような町並みが整備され、権門都市として、凝集と発展を遂げた様相が浮かび上がります。
 逆に、保元の乱後、摂関家の別業は、松殿、あるいは岡屋と、再び散在し、平等院付近は衰退するとのこと。
 まさに複合権門の時期に、宇治は都市として最も発達したことになります。
 美川先生のご指摘のように、王家では皇統の変化とともに、権門都市は移転するのですが、宇治が衰退し、別荘が散在せざるを得なかった所に、摂関家のおかれた状態が明瞭に示されているように思われます。

 田中さん、懇親会の幹事役お疲れ様でした。多彩で味付けもあっさりした、いい料理でしたね。近藤先生ならともかく、分量も適当でした。
 あそこは、レストランスターのチェーンとのこと。スターといえば、74年春、大学に入って初めてコンパをしたのが、当時四条木屋町にあったスターでした。外観が変わっても、古くからの店が健在だと少しうれしくなります。
 こういうのも、年寄りの繰言ですかね?
 
 明日の義経、見たいような、見て血圧が上がるのも怖いような。