「お疲れさま会」参加者の確認

No.3417

タイトルの件、最終確認です。
 野口実先生・野口孝子先生・元木先生・美川先生・山田先生
 植村先生・高重先生・山内さん・山岡さん・長村くん・門屋くん
山田さん・永富さん・末松さん・鈴木くん・鍛冶くん・田中
以上17名です。今日・明日中にお店に最終の連絡をしなければ
なりませんので、間違い等ありましたらお手数ですが上記のメール
アドレスまでご連絡下さい。

山田先生御夫妻の健闘に拍手。

No.3418

 田中さん、面倒な幹事役をありがとうございます。田中さんの「お疲れ様会」もやらねばならなくなりそうです。
 ところで、前に「人気blogランキング」(歴史ジャンル)というのを御紹介いたしましたが、先程覗いてみたところ、山田邦和先生の「平安京閑話」が第一位、ちさ子さんの「平家物語」が第二位とトップを御夫婦で独占されていました。「夫唱婦随」(死語?)とはこのことを言うのでしょう。まずは、おめでとうございます。
 「平安京閑話」は、無論歴史学・考古学(さらには国文学)に関する山田先生の新鮮な御見解のみならず、第一線に立っている研究者の生活を知る上で後進にとってはとくに貴重なものと思えますし、「平家物語」はまさしく『平家物語』関連の情報(それも、学問的な枠組みを踏まえながらも楽しみつつ)の山が構築されています。ぜひ、末永く上位を独占してほしいものです。
 これに肉薄している中村武生先生の「歴史と地理な日々」のご健闘も祈ります。

 小生も本日は研究室で「宇治歴史散歩(六地蔵・木幡編)」のレジュメ作りに「健闘?」しておりましたが、途中、「弁慶」云々で朝日放送「探偵ナイトスクープ」の担当の方から電話があったりいたしました。後で調べてみたら、この番組はずいぶん視聴率が高いようです。ちなみに、当bbsも諸先生方の『義経』評のためか、日に400件もアクセスがあったりして驚いています。

 ところで、山田さんと言えば、ゼミ旅行に参加してくれた千葉の山田さんはお元気ですか?
 
 >永富さん  路上に出れば、免許取得まであと僅かです。

探偵ナイト・スクープ

美川圭
No.3420

>野口先生
24日はよろしくお願いします。
ところで、探偵ナイトスクープからどんなお電話?
あの番組、ここのところ、『義経』以外で唯一私が毎週見ている番組です。
たしか、野口先生もよくご存じの在東京の歴史家(もと在関西)
もこの番組を欠かさず見ているという話を聞きました。
実にくだらないのですが、そのくだらなさがなんとも心地よい番組です。
うちの娘もいっしょに見ているので、私をねたに応募するかも知れないと、
さいきん戦々恐々としているのですが。

Re: 山田先生御夫妻の健闘に拍手。

No.3422

>野口先生
「人気blogランキング」(歴史ジャンル)のお話、ご紹介いただいて恐縮です。でも、なんか恥ずかしいので、もうこのランキングから撤退しようかと、家で話し合っています。急に消え去ってもご不審に思われないでくださいませ。
でも、こういう形で自分の記録を残しておくのは悪くないと思います。遠い将来の文献史学は、紙に書かれた記録よりも、あちらこちらのメイン・サーバーに埋もれているデジタル文字情報を「発掘」するのが中心的な仕事になるという予感がいたします。明るい未来なのか悲惨な未来なのかは知りませんが・・・・

年寄のぼやき

美川圭
No.3423

>山田先生
>「人気blogランキング」(歴史ジャンル)のお話、ご紹介いただいて恐縮です。でも、なんか恥ずかしいので、もうこのランキングから撤退しようかと、家で話し合っています。急に消え去ってもご不審に思われないでくださいませ。

「人気blogランキング」(歴史ジャンル)1位2位独占。やー驚きです。
私など、自分の日記さえ、いつも半月遅れで、電子手帳の予定をながめながら、
時間のあるときに書いているぐらいですから。

さて、インターネットが一般に本格化したのは、1995年(異論もありましょうが)。
ウインドウズ95が出た年だったと思います。
私は、その年の夏、学生を98人も引き連れて、
シアトルのワシントン大学に行ったのですが、
シアトルはいわずと知れたビル・ゲイツの本拠。
インターネットの段違いの普及に目をみはり、
ホリエモンじゃないけれど、
これからは、このメデイアが世界を支配すると確信しました。
その後の10年間、予想通り、インターネットの普及はものすごい。
でも、私は、もうかなり冷めているところもあります。
裏もずいぶん見てしまったから、95年のころのような、すべてバラ色、
ではありません。しかも95年のアメリカも輝いていた。
なにせ、部外者にとてもやさしかった。
ワシントン大学の図書館の本が、書庫まで入れて、自由に読めたのは、
感激でした。あれから、アメリカもずいぶんと変わりました。

>でも、こういう形で自分の記録を残しておくのは悪くないと思います。遠い将来の文献史学は、紙に書かれた記録よりも、あちらこちらのメイン・サーバーに埋もれているデジタル文字情報を「発掘」するのが中心的な仕事になるという予感がいたします。明るい未来なのか悲惨な未来なのかは知りませんが・・・・

しかし、紙とちがって、電子(デジタル)情報はもろいですからね。
テレビは残っているとしても、昔のものはすべて磁気情報でした。
これもフィルムより弱い。あっというまに消滅するのです。
記録媒体の問題は、歴史家にとっても、総合的に考えてみる必要があります。

前にウイーンの街で、建物の外壁をはがして、
何百年前の建物を「発掘」するのを目にしました。
考古学は、地下を掘るだけではないのですね。
日本で言うと木造古建築の解体修理のときの調査にあたるんでしょうか。

昔の大河ドラマが、ほとんどといっていいほど、
もう消えてしまっています。
あの、私の将来を決めた1965年「太閤記」など、本能寺の変しか、
残っていないのではないでしょうか(詳細は拙著『院政の研究』あとがき)。

それから、大河ではないですが、
やはりNHK、1971年の「天下御免」。山口崇が平賀源内を演じた歴史ドラマ。
早坂暁の脚本は冴えまくり、あのわくわくする史実を離れた創作には、
毎回、熱中しました。とんでもないドラマでしたが、とにかくおもしろかった。
たしか、最後、源内はフランス革命のさなかのフランスへ行くんじゃなかったかな。
今年の「義経」チンギスカンにさえ、ならんだろう。
歴史家をコケにして、史実をふみはずすんだったら、そこまでやらなかったら。

当時中学生だった私は、東京六本木が通学路だったのですが、
あるとき、テレビ朝日のまえの交差点で、源内の恋人役を演じていた
デビューしたばかりの中野良子さんにすれちがったときは、
狂喜乱舞したのを覚えています。
このドラマももうほとんど消えてしまって、
山口崇が自分で個人的に家庭用ビデオで録っておいた1回分のビデオしかありません。
民放のドラマの方が保存されているようですが、それにしても、
1970年代のテレビ作品でもこのありさまです。
そのおかげて、今年の「義経」程度のできでも、みな喜んで見ているのかも。

若い皆さん、昔のNHKの歴史ドラマはおもしろかったんですよ。

Re:年寄のぼやき

No.3424

>美川先生
完全同意です。

理系(特にコンピューター関係)の連中や、文系でもやたらにコンピューターを使いたがる連中は、これからはすべてデジタル情報の時代だ、といいたがりますが、彼らは情報の保存ということにまったく興味がない。
理系では論文を公表するとき、紙媒体ではなくインターネットで流すことがもはや常識となっていて、文系でもそれに追随する方向性があるようですが、しかし、その論文の「保存」は誰が保証してくれるのか? 紙媒体であれば、少なくとも近代のものであれば、探しまくればどこかには保管されているだろう。しかし、電子情報は、世界中のどこにでも瞬時に流せる代わりに、気が付いてみたら世界中のどこにも残っていなかったということが起こりうるのです。日進月歩で過去の論文などすぐにゴミになる理系ならばいざしらず、何十年・何百年先を見透さなければならない文系の学問としては、これでは困るのです。

さらに、コンピューターの場合、情報が残っていても、それを読むことのできるアプリケーションが使えないということがありうる。コンピューターやソフトの技術者は未来ばかりを見ていますから、そういうことをまったく考慮しないのですね。
私の論文や図面のかなりの部分は、古い古いソフトで作られています。ソフト会社がなくなっていたり、会社は残っていてもそのソフトは見放されているのです。今、手元にあるパソコンではなんとかそのワープロや図面ソフトが動くのでまだ安心なのですが、パソコンを買い換えたら、それらはもう動かないかもしれない。そうなると、せっかく蓄えてきた資産がパーになるかもしれないのです。

コンピューター関係者にそう愚痴ると、今のソフトに対応できる形式に変換すりゃいいじゃないか、と言って一顧だにしてくれません。しかし、数限りないデータをいちいち変換するのは考えただけでも気が遠くなりそうな作業です。図面データにいたっては変換すらできません。
ですから、最近では、文字情報はテキストファイルで、写真はJPEGでとにかく残すようにしています。この両者とていつまで持つか安心はできませんが、栄枯盛衰の激しい他の形式に比べるとまだしもだろう、ということです。(しかし、テキストファイルは漢文の返り点がちゃんと打てないという別問題がでてくる)。困るのは図面。将来を考えると薄氷を踏んでいるような気がします。

とにかく、文系が一致して、コンピューター業界の暴走を食いとめる方法はないものでしょうかね。

Re:??年寄のぼやき2

No.3425

>美川先生
書き忘れた。山口崇の「天下御免」、私も子供の頃見ていました。とにかく楽しかった~っ。テーマソングの断片を今だに覚えています。たしかに、今から思い出しても、あれだけハチャメチャならば、逆に歴史学研究者は文句のつけようがありませんよね。

パソコンの功罪、手書きの効用。

No.3426

 >山田先生  人気blogランキングは、ベストセラーのランキングみたいなものですから、あえて撤退の要はないかと思います。
 それから、元木先生や美川先生・山田先生までが老人とか年寄りと自称されるのは困ります。小生、身の置き所がありません。
 先日、16歳の伊藤さんからの書き込みをいただきましたが、このbbsに書き込んだ最高齢者はひょっとすると・・・?

 コンピューターの件は、理系の鈴木君からコメントをいただきたいところですが、小生が問題にしたいのは、手書き論文の消滅によって学問そのものが如何なる影響を受けているかということです。
 手書きとパソコン入力とでは、脳の活動にだいぶ差がある由。我々の世代は、院生の頃までは論文を手書きで書いていました。拙著『坂東武士団の成立と発展』など、全部手書きで、索引はいちいちカードを作って、たいへんな時間を要して完成させたものです。
 史料からの検索など、今ではパソコンで済ます人が多いようですが、かつては、これも本をめくりながらカードやノートを作成してという方法でした。しかし、その作業の過程で、予期せぬ多くの発見や思考の整理がされたり致しました。
 いまの院生等若い方たちの論文を読むと、データはびっしりなのに、変な表現ですが、血の通った論旨が伝わってこないものに出くわすことがあります。
 論文が手書きからワープロやパソコンで書かれるようになってからの変化、プラス・マイナスについて、そろそろ考えるべき段階に来ているのかも知れません。
 パソコンを使えないと生きてはいけない時代ですが、これからは手書きやアナログが再評価されるようになると思います。やはり、研究者たる者は、すべからく、家に大きな書庫を持ち、本の重さを体感しながら、学問に打ち込まざるを得ないでしょう。
 小生も能書の山岡さんから毛筆の手ほどきを受けたいと思っております。ちなみに、近刊の『紫苑』第3号の題字は、山岡さんの手になるものです。

 >美川先生  小生も『天下御免』視ておりました。林隆三がよかったです。
 ほかに、あのころのNHKでは、柴俊夫と西田敏行の出ていた『坊ちゃん』の愉快さも忘れがたいです。たしかに、昔のNHKはまともでした。大河ドラマでも美川先生の人生を決した『太閤記』や『龍馬がゆく』など、じつに少年の心を捉えるようなインパクトがありましたね。

『天下御免』の田沼意次像

美川圭
No.3427

『天下御免』についてもう少し。
実は、はちゃめちゃなドラマに見えて、きちんと歴史学の成果も受け入れて、
作られていたということを思い出します。
学校の教科書などでは、田沼意次は賄賂政治の権化で、ひどい扱いをうけていたのですが、ドラマの中では、源内を支持する準主役級で、非常に魅力的で清新な政治家として登場していました。
江戸時代の商業流通経済の発達に見合った、あるいはその流れを積極的に推進した政治を行った政治家という、意次再評価の流れを受容したドラマ作りがなされていたのだと思います。ということで、最近の大河ドラマなどの、歴史学説のつまみ食い、本質無視の姿勢とは、はちゃめちゃドラマといっても、その性格が大きく異なっていたのです。
ひとこと付け加えておきます。ただし、なにせ中学の記憶ですから、間違いの可能性もありますが。

白河のきよき流れに耐えかねて・・・

No.3428

 美川先生の『天下御免』における田沼意次像の御指摘、その通りでした。たしか仲谷昇が演じていたはずです。今は秋野太作と名を変えている津坂匡章も稲葉小僧という役で出ていて、これも良かった。

デジタルにおける情報の保存について

No.3430

 電子化、高度情報化におけるメリット・デメリットというのは、新しい処理手段が出てくる時にかならずついてくる問題でもありますが
 やはり、便利だからこれだけ普及するのだと思います。

 山田先生のご指摘の、理系人間は情報の保存に興味がないとの事ですが
 僕個人としては、理系の人間ほどデータのバックアップに細心の注意を払っているのでは、と感じています。
 大学の情報処理センターのバイトでも、学部生・院生の場合で、論文をフロッピー一つで管理しているような危うい状態の人は、国語・社会の学科の人間が多かったです。
 コンピュータの雑誌等でも、企業向け広告の3分の1は、バックアップ関連製品でもあったりします。大量に情報を扱うような業務の場合は、情報の管理や保存はとてもシビアにやっていると思います。

 情報の「保存」の保障は、自分でやらなければならないと思います。紙媒体でも地震や災害に対しては全く太刀打ちできません。コピーを取ろうと思うとお金もかかります。逆にデジタルデータは、全く同一内容のものを瞬時に複製できます。面倒ではありますが、いろんな場所に複数のコピーを作成するのが、鉄則です。

 東大史料編纂所の感想にも書いたように思うのですが、大きな所でも予算などの関係上、離れた場所への遠隔バックアップなどはまだまだ整備されていないのが現状です。紙媒体の保存にくらべて、電子情報に関することもまだまだ理解されていないからだとも思います。メディアの特性にあった管理方法さえきっちりしていれば、紙も電子データも有意さは変わらないと僕は思います。

 逮捕者がでたファイル共有ソフトのWinnyですが、自分の持っているファイルを他の人のディスクへ分散させて保存し、データの散逸を防ぐという機能もあったりします。不正コピーはだめですが、コミュニティ全体で情報を共有しデータも相互に持ち合うという仕組みは、↑にあるようの管理方法の新しい形を示していたとも言えます。

 安くコピー出来てしまうだけに、面倒だったり高価なバックアップサービスは敬遠されてしまうのですが、対価を払わない限りはやはり安全性は保障されないのは、紙媒体もデジタルデータも同じだと思います。

P.S.僕自身は、プログラムを書くときなど、紙に印刷してチェックすることがほとんどです。パソコンの中で完結してしまうのは、未だに怖いです。
 こういった、メディアの違いによるメリット・デメリットをきっちり把握して、適切な手段を選ぶことができるような、そういう勉強のできる「情報」の授業を4月からやっていきたいなと考えています。(不安でいっぱい☆)

情報の発掘に関して

No.3431

情報の保存に関しては、いろいろと問題があるのですが
発掘に関しては、もうあと数年で解決しそうな感じです。

来年あたり、トレンドになるのが「デスクトップ検索」という機能です。
ホームページの検索については、ここ数年でめざましい進歩をとげて、とても便利になりました。その技術を個々のパソコンへ応用しようとするものです。
[参考]http://www.google.co.jp/intl/ja/press/desktopsearch.html

また、Windowsの次のバージョンでは、ファイルの検索をすばやくするための仕組みが、はじめから導入されて、「デスクトップ検索」も標準装備の予定です。

ジャストシステムなどの研究によって、日本語の文脈解析などは使い物になるようになってきていますし、「○○についての資料」というキーワードだけで、過去に収集したハードディスク上のワードファイルを探しだしてくれる...みたいな事はもう少しで実現されそうです!!

Re: デジタルにおける情報の保存について

No.3438

?>鈴木 潤様

 ちょっと議論がすれ違っていますね。私は、個人個人のデータのバックアップを問題にしているわけではないのです。情報を、未来永劫、人類社会がどう保持してくか、ということを心配しているのです。

 紙媒体が万全でないことはいうまでもありません。しかし、その万全でない紙媒体を人間は数千年使い続け、試行錯誤しながら、そこに載せられた情報を永久保存する方法を開発してきました。それが、図書館や文書館、文庫、土蔵、(敦煌の石窟や正倉院も含まれるかも)といった設備です。もちろんこれらにしても、保存される紙媒体は九牛の一毛にすぎないかもしれません。しかし、そうした設備は、「情報を未来に伝えよう」という、人間の熱い思いの結晶だということができます。

 それに比べて、電子データはどうでしょう。人間は、電子データの永久保存について紙媒体のような苦闘の歴史を持っていません。たとえば、インターネットに流される情報はほとんど無限大に近い。しかし、その情報のすべてを永久保存するシステムは、世界のどこにおいても存在しないはずです。

 そもそも、電子データは刻々と変わるものです。掲示板などはリアルタイムで成長するし、ホームページも毎回更新されます。その点では、電子データを固定し、保存するというのは論理矛盾なのかもしれない。しかし、日々刻々と変わるということは、ある日突然なくなってしまう、ということもありうるのです。それは、個人的なバックアップの範囲を遥かに超えている問題であり、全社会的な課題であるはずです。

 さらに、前項で指摘しましたが、電子データだけを残していても、それを読むことのできるアプリケーションが使用不能になる、という危険は、バックアップをとることによっては決して解決されません。ある研究者は、すべての情報はテキストファイルかHTMLかPDFに変換して保存すべきだ、と主張しています。確かに、無数にある電子データ形式の中では、この3者はまだしも信頼に足るかもしれない。ただ、本当は、この3者でさえ未来永劫かといわれると、首をかしげますね。

たとえば、この掲示板の情報、千年後に残すためにはどうしたら良いか、それを真剣に考えるべきだと思います。
(電子データが不便だといっているわけではないし、電子データ不必要論を唱えているわけでもない。紙媒体の方が電子データよりもすべての局面で優れているといっているわけではない。そのあたりのことを誤解しないでください)

 

Re: 「お疲れさま会」参加者の確認

No.3440

山田先生

 僕自身、感情的になっている所もありましたので、その点についてはお詫びいたします。
 千年の保存という点では、先生の仰る通りで、電子データに勝ち目はないと思います。
 ただ、図書館や文書館も「情報を未来に伝えよう」という思いの根元には、持っていると価値がある、身分が保証される、「かっこいい」等の、保存する側のメリットが存在するから、行われていた行為だとも思います。その分、電子データについては容易に複製が聴くために、所持している事自体へのメリットはあまり無いでしょう。
 このあたりは、CDのデジタル複製についての議論とも同じだと思いますが。

 銀行や役所でも、電子化はしていても情報を持っている事自体の価値があるために、マイクロフィルムやプリントアウトなどの、いわゆる物理的な媒体への複製は行われています。結局は、再利用(つまりコピー&ペースト)するための利点は無くなりますが、現状でも保存については印刷するしかないのだと思います。

 電子データ、特にインターネットは、声の同じような特性のものだと思います。結局は他人とやりとりする回線でしかないと。固定するためには、やはり変換が必要です。
 インターネットに関しては、発信者側が保存する努力をする、という事しか対処が出来なさそうです。

 50年くらい先の事を考えると、電子データも“電子”ではなく、物質的にガラスみたいな材質のものに、ホログラムとして記録するという事が可能になるはずです。
 電子データはかなり若いメディアです。数年もすると、古文書演習の授業のように、古データ形式解析演習のような授業も出てくるかもしれません。
 コンピュータ業界の暴走という表現になるのが残念なのですが、情報の価値、媒体の特性をきっちり理解されているような、世の中になって欲しいと思います。