また『義経』です。

No.3400

 この掲示板に書かれた、大河ドラマ『義経』に対するコメントをもとにして、さらにコメントを付したサイトのあるのを見つけて驚くとともに、これはいい加減な発言は出来ないと思い、今日は放送前に今までの放送で気になったことを先に述べておきたいと思います。
 ① 元木先生が講演会で速射砲のように指摘されたように、制作者に中世前期の各層における女性の存在形態に関する認識に欠けるところが大きく、近世・近代的な日本女性のあり方が再生産されている。あるいは、意図的にでしょうか?
 ② 「武士」と「貴族」に対する理解も同様の旧態依然たる認識に基づいていて、それに立脚することによって、実は大変面白くできるはずのストーリーを単純化している。これもまた、あるいは意図的にでしょうか?

 これらは、大河ドラマが国民の歴史認識を形成する上で、あるいは学校教育以上の威力を有している現状を踏まえるならば、いささか問題とせざるを得ません。
 なにしろ、この国では高等学校で自分の国の歴史が必修科目になっていないのですから。
 
 義経の家来については、みなさんの言われるように、桃太郎・三蔵法師や水戸黄門の家来を思い出してしまいます。
 伊勢三郎は、実在が確認できて「侍身分」を有した存在と考えられるますし(拙著『武家の棟梁源氏はなぜ滅んだのか』参照)、金売り吉次のモデルは、当時、列島規模の遠隔地交易に携わっていた摂関家あるいは院の御厩舎人であることが五味文彦氏によって指摘されているのですから(同氏「日宋貿易の社会構造」参照)、ちょっとやり過ぎという印象をもっています。

Re: また『義経』です。

No.3402

こんばんは

>これらは、大河ドラマが国民の歴史認識を形成する上で、あるいは学校教育以上の威力を有している現状を踏まえるならば、いささか問題とせざるを得ません。
とのお話ですが...実際に影響を与えている例を見つけてしまいました。

アルバイトの関係上、同志社香里中の過去問を数年分のぞいていたのですが
 社会の問題で、大河ドラマのタイトルとテーマ・時代と放映年における主な出来事を表に示して、虫食いの穴埋めという形式で出題されていました。
 もちろん、ドラマの内容に関する出題では無いですが、このような形で取り上げられるとなると、小学生や中学生の受験生達もニュース同様に大河ドラマを見なければならない状況だとも言えると思います。

 確かに、大人からみれば「おもしろい問題」ですが、受験する彼らにとってはシャレにならないので難しい所ですね。

 P.S.福岡・佐賀の方で大きな地震があったようですが、野口ゼミ関係者にも震源地近辺にお家があるという方もたくさんおられたと思います。大丈夫でしたか??
 松山市内の友達にきくと、愛媛でもかなり揺れたとの事でした。(NHKでは、80周年記念番組をずっとやっていましたが...)

Re: また『義経』です。

No.3403

なんと、母校がそんな入試問題を・・・(^^;)
社会科の先生方は個性的だったからなぁ。

小学生時代に通っていた塾の先生は「大河ドラマを見て勉強しよう」
なんて言ってたような気がしますが、果たしてちゃんとした歴史認識が
あっての発言だったのかどうかは定かではありません。

香里の歴史の先生にはテレビ番組の歴史認識に電話で抗議した、なんて
誇らしげに言ってた人もいましたが・・・ねっ、門屋くん!(笑)

「ほうじゅうじでん」は困ります。

No.3404

 今日の放送は、「ドラマはドラマ」と雲の上から高みの見物というわけにはいきませんでした。
 ドラマがはじまる前の「解説」?で、「家人と家礼」の説明がはじまり、「おっ、佐藤進一説の紹介」かと思いきや、「家礼には恩賞がないが複数の主人に仕える権利があり、家人は一人の主人しか仕えられないが恩賞がもらえる」というような変な解説がされていたと小生には受け取られたのですが如何でしたか?これは、マズイのではないでしょうか。明らかに嘘でしょう。
 そのうえ、ドラマでは、あの気持ちの悪いナレーションで「ほうじゅうじでん」とやられては堪りません。これから、講演や授業で「法住寺殿(ほうじゅうじどの)」と話すと、かならず「先生、それは『ほうじゅうじでん』と読むのではないですか」という人が出てきて、「いや『ほうじゅうじどの』です」と答えると、疑わしそうな目つきで「でも、大河ドラマでは『ほうじゅうじでん』って言ってましたよ」・・・という場面が想定される訳であります。なにしろ、NHK大河ドラマの権威はたいそうなものなのです。
 ところで、山田先生も同志社香里の御出身でしたよね?

 ★ 北九州の地震ですが、福岡県の平田さん・笠(旧姓)さんの御実家、佐賀県の田中さんの御親戚やゼミ旅行でお世話になった小城市の方々のことが心配です。
 大丈夫だったでしょうか?

不可!

No.3406

 野口先生、お怒りはごもっとも。家人・家礼の解説は全く話になりません。
 最近は見るたびに腹が立つので、見るものかと思っていたのですが、本日の『義経』、たまたま食事と重なり、最初から見たところが、あの珍妙な「家人」と「家礼(来)」の解説。ドラマの中なら、所詮はフィクションですから多少でたらめも許されますが、今回は冒頭の解説ですから、いい加減な解説は許されないはずです。
 仮に試験で、家人と家礼について本日のように説明した答案があれば、ためらわずに不可をつけます。こんな誤謬がどうしてまかり通るのでしょうか。
 どこの馬の骨やら分からんということになっている義経の従者連中が、どうして主君に対し自立的性格を持った「家礼」なのでしょうか。「家礼」は同盟軍的であるがゆえに、主君から尊重されるのであり、恩賞ももらえないとは、よく言ったものです。 
 大河ドラマの国民に対する影響力を考慮すると、由々しき事態です。
 
 また、鹿ヶ谷事件では、重盛が法皇処罰を言い出すとの事。『平家物語』で周知の挿話をどうして珍妙な形にデフォルメするのか、やはり意味が分かりません。
 今回のような事態を目の当たりにすると、毎回きちんとチェックする必要があると思い直しました。
 それにしても、『義経』、回が進むにつれてだんだんひどくなるようです。
このような無法がまかり通るなら、もう受信料は払いません!!

10時からの再放送

No.3407

 やっと見れました。
 そして「ほうじゅうじでん」には、音速でツッコミを入れました。「清涼殿」「紫宸
殿」の並びだとでも思っているのでしょうか?
 そして時子の「もしも姫が生まれても、私は男として育てます」というような発言には
「んんん??」と。嫌な予感がしてきました。まさか「姫」として生まれてきたり・・・
しませんよね?
 義経周辺の話では、えらく軽装で船に乗り込んだうつぼを見た母が「こんな軽装でいい
の?」と怪しんでいました。更に、うつぼを見送る人たちを見て、平安時代の人たちは手を振るときには前後に振っていたの?と。ぜひ先生に聞いて欲しいそうなので、書いておきました。

 今朝の地震、佐賀県に住む祖母にすぐ連絡をしたところ、幸いにも「こけし」が二つ倒れただけで済んだようです。この地震で祖母が得た教訓は「こけしは高いところに置いておくと危ない」まるで落語のような祖母です。ご心配ありがとうございました。

Re: また『義経』です。

No.3408

 皆様、こんばんは。
 田中さんおっしゃる通り、松坂慶子さん演ずる時子さまのセリフに仰け反りましたね。何を言い出すかと思ったら、「もし姫宮ならば、男の子として育てる」って・・・ オイオイ、このドラマ、それで押し通すつもりじゃねぇだろな・・・
 確かに、安徳が実は男子ではなく女の子だったという「俗説」はありました。出所は『平家物語』(巻3、公卿揃)に、「后が御産の時には御殿の棟より甑<コシキ>を落とす風習がある。皇子誕生の時には南へ、皇女誕生では北へ落とす。それが、安徳誕生の時には最初に北へ落とし、あわてて南へ落とし直した」という記事です。
 無責任な江戸時代の連中はこれを囃し立て、まことしやかに安徳=女性説を言いふらしました。川柳には「檜扇子<ひおうぎ>の 御手を清盛 笏にさせ(女の子の持つ檜扇を、男の子用の笏に無理矢理持ち替えさせた)」、「人の見ぬ 方へ二位殿 ししを遣り(時子は安徳におしっこさせるのに、人の見ていない方にさせた)」などというのが残っています。(いささか品のない話ですみません)。
 でも、それでこのドラマを作ってしまうと、たぶん収拾がつかなくなるでしょうね。でも言い出してしまったからには、まったく意味のないセリフにするわけにもいかないだろうし・・・ どうするんでしょうね?

 ただ、平家の女人がみんなで泥塔を作っていたのは、ちょっと面白かった。モデルは六波羅蜜寺の本堂下から出土した泥塔群(国指定重要有形民俗文化財)かな? 六波羅蜜寺のよりも少し大きめに見えましたがね。ただ、どっちかというと「円塔」(空飛ぶ円盤のような形の土製品で、緑釉をかける)の方がふさわしいような気もするんですが・・・

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野口先生、ご明察の通り、同志社香里高校は私の母校です。

毎週楽しみにしてます

重政 誠
No.3409

ご無沙汰しております。学習院の重政です。
毎週日曜更新のこのコーナー楽しく勉強しながら拝見させていただいております。
数日前、田中さんにもその旨伝えた所なので、今回は初めてコメントを。

嗚呼.....「安元御賀」!青海波を舞うのが維盛と資盛だなんて.....。
成宗とは言わないまでも、せめて隆房あたりでお願いしますよ......。
私、そのあたりの論文をこの前書いたばっかりなので非常に気になりました。
摂関家を押しのけて平家二人で青海波を舞えるほど、平家の権勢が強かったと言う事でしょうか?
『花揃』が使われてたのは面白かったですけどね、変な所でマニアック!

野口先生、次回の平家物語研究会を楽しみにしております。

完全に、出遅れました

美川圭
No.3410

義経10:00からのBSで見たのですが、出遅れて、冒頭の解説は未見です。

ばかばかしいので、今日借りてきた
名匠山本薩夫監督の『白い巨塔』(田宮二郎主演)のDVDを見始めたら、
とまらなくなり、さっき見終わったところです。
原作は、続編が蛇足ですが、この映画は、財前勝訴で終わります。
はじめて見たのですが、傑作です。原作を凌駕する映画といえましょう。
俳優もすごいです。こんなにすごい俳優が昔はいたのか、と改めて。

ということで、義経評に完全に出遅れました。
というより、ああいう映画を見た後だと、
義経のような学芸会並みのドラマ(小6娘の評)はもういいということで、
今回はコメントなし。

老人の繰言?

No.3411

 美川先生、『白い巨塔』の映画をごらんの由ですが、あれはテレビと異なり、短い時間にストーリーが凝集されているだけに、緊張感と迫力のある作品でしたね。
 田宮はまだ若いのですが、財前のぎらぎらした野心をよく表現していたし、医学部長の狡猾で小役人的ないやらしさを見事に演じた小沢栄太郎、学者馬鹿を絵に描いたような大河内役の加藤嘉は、ともにのちに78年の田宮版のテレビでも同じ役を演じただけに、まさに当たり役でした。
 ただ、里見の田村高広は、善人ではあるが弱弱しい感じで、78年の山本学に及ばなかったように思います。
 しかし、映画の出演者で白眉は、やはり東大船尾教授役の滝沢修でしょう。
 東教授(東野栄治郎、名優だがどうも水戸黄門のイメージがつきまとうようです)の後任をめぐる人事にさいして、東大系のポストを守るためになりふり構わず、耳鼻科学会会長のポストをえさに耳鼻科教授(加藤武)を篭絡しようとする裏工作も平然と行ったかと思えば、財前の医療裁判では今度は国立大学の権威を守るためと称して、突然煮え湯を飲まされた財前の弁護に回る。 
 船尾豹変の背景は、裁判後の大阪空港の場面に見事に描かれておりました。東京に帰る船尾を三拝九拝して見送る医学部長。つまり、船尾は東の後任ポストは奪われたが、財前を弁護することで難波大学医学部そのものを屈服、従属させたことになる・・・。
 滝沢は、何ともえげつない学界ボスを、たなんる悪党ではなく、社会的名士であり、堂々たる貫禄の持ち主として見事に演じておりました。あの姿と、京大の某総長が重なって見えたものです。
 
 昔の大河ドラマは、歌舞伎、時代劇映画(多くは歌舞伎の流れ)といった時代劇の型をもった俳優と、長年新劇で鍛え上げられた俳優が中心でした。だから、ドラマは品格があり、表現も芸術的でした。
 ちなみに滝沢修は、64年の『赤穂浪士』で、子供心にも恐ろしい吉良を演じ、当方恥ずかしながら本当の悪人と思い込んでおりました。それが66年の『源義経』では、まさに威風堂々として、義経には慈父のごとき秀衡を演じ、前のイメージをすっかり忘れさせてくれました。ついでに言えば、72年の『新平家物語』では、まさに権謀術数の後白河。領主制論のイメージを見事に演じきっておりました。
 近年はそういう力量のある俳優が減少してしまったこと、それに中心人物にアイドル・お笑い系の連中を多数起用して、様々な層に迎合しようとする無理が重なって、ドラマとしてのレベル低下は目を覆うばかりです。
 しかし、今回の最大の問題は、脚本のお粗末さ、とくに、清盛中心の原作を無理に義経中心に変えたために、義経周辺の珍妙な話題をかき集めなければならなくなったことも、無理が多いストーリーになった一因でしょうね。
 それに、今回の「解説」の出鱈目さからも分かるように、制作側にまともな歴史知識もないのですから、ドラマに品格とリアリティーが欠如するのも当然でしょう。NHKの杜撰さには呆れるとともに、憤慨を禁じえません。
 『その時歴史が動いた』の制作姿勢といい、あまりに学問を軽視してはいないでしょうか。
 受信料を制作に使わず遊興に使った結果でしょうかね。

義経にもマツケンサンバを

美川圭
No.3412

往年の名画といったら、この人、という元木先生。
白い巨塔劇場版についての詳細な書き込みどうもありがとうございます。

アマゾンの書き込みなどを見ると、この映画はヒットしなかったようで、
これが一つの原因で大映が倒産に向かったとのこと。
田宮二郎の大映内での評判が悪く、宣伝がろくになされなかったとか。
その辺の事情の真偽は、私にはよくわかりません。

でもこの映画(というか山本薩夫の作品が)、社会派作品といわれていますが、
私は非常に良質な娯楽大作だと思います。
人物は、大多数の悪人と、里見のような弱々しい善人とではっきり区分けされてます。
それぞれの人物の内面描写なんて、ほとんどなきに等しい。
そのなかで、田宮が1回目の教授会投票のあとにみせる、ガラスのような弱々しい内面が印象的です。あれ演技に見えません。こちらが田宮の最後を知っているからかもしれないのですが。あれだけの名優のすごい演技のなかにあって、若い田宮の迫力。私のようなクイズ・タイムショックの田宮の印象が強い人間にとっては、衝撃的です。いやあ、語り継がれているだけあります。

うちの家内は、手術や解剖シーンがあまりにリアルでいやだ、と目をそむけました。私は、あれは白黒ゆええがけるので、カラー作品だったら、撮れないんだと妙なところで感心しました。しかしそんなところが拒絶反応をよんだ可能性もあります。

それから、小川真由美の愛人は、あまりにも薄っぺらで嫌ですね。その後のテレビリメーク(田宮主演)では太地喜和子。どうなんだろう。ここだけはやはり、最近のテレビ版での黒木瞳がいい。たしか原作では医学部出身(中退?)のマダムという設定だったはずです。黒木瞳はあれだけ貧弱な体でしかも知的なのに、演技でエロスを見せられる希有の女優です。小川も太地もむっちりで痴的ではあるが、あまり知的な感じではないので、ここはかないません(といっても太地喜和子の愛人よく覚えていませんが)。

それにしても、この映画を見ると、滝沢修がどれほどすごい俳優かが実感できます。
最後の裁判での証言から大阪空港までの存在感、思わず笑ってしまうほどです。
私、なんども滝沢の舞台をみたのですが、私が未熟だったのか、うまいうまいといわれるほどに、舞台上ではそれを実感できたことがありませんでした。

最後に、義経についてちょっと。
せっかくマツケンが出ているんだから、
毎回、どっかで「突然・マツケンサンバ」を入れると視聴率あがるのにな。
今回でいえば、だれきった義経とうつぼの学芸会シーンの間とか。
あるいは、おざなりの鹿ヶ谷事件の最中に、脈略なく突然とか。

娯楽だったら、もっと視聴者楽しませなけりゃ。
今回は、どのタイミングでマツケンサンバがあるか、
と少なくとも根が不真面目な私は期待します。

実は去年の末の紅白、マツケンサンバだけ見ました。

地震のこと

平田樹理
No.3415

野口先生>ご心配ありがとうございます。
昨日は地震発生から二時間近く実家と連絡がとれなくて心配しましたが、家族・家ともに何事もなかったようです。
ただ、余震はずっと続いているらしく(二十分前にも震度三のものがきたようです)、皆不安気に過ごしています。
九州北部は百余年ほど大規模な地震はなかったので(私自身も地震の体験はほとんどありません)、今回の地震は本当に驚いています。