島根県立出雲高校の皆さんへ。

No.3395

 昨日は出張講義「武士の都としての平安京・京都」を、とても熱心に聴いてくださってありがとうございました。伯備線で島根県まで出掛けたのは、じつに約30年ぶりのことだったのですが、みなさんのようなとても将来楽しみな高校生の存在を実感できて、たいへん嬉しく思っています。
 帰りに駅までお付き合いいただいた3人の一年生には、とくに御礼を申し上げます。彼女たちは、とても高校1年生・16歳とは思えない、しっかりした知識をもち、意志も明確で、将来が非常に楽しみです。2年したら京都の大学に進学して、ぜひ当ゼミに遊びに来てほしいものです。
 最後になりましたが、進路指導部の先生ならびに講義を聴講してくださった先生方に、あつく御礼を申し上げます。

先日はありがとうございました。

No.3398

こちらでははじめまして。
あの時の伊藤です。
先日はありがとうございました。
学校の授業とは一味も二味も違う授業が聞けてとても楽しかったです。

今日も、部活の時間に昨日の講義の話を大國さんとしていました。
『5つの鎧が見つかったって書いてあるけど、結局人は埋まってたの?』
という疑問が浮上し、部活中にも関わらず二人で頭を抱えていました。
結局はどうだったのでしょう?

電車の時間さえなければもっとお話をしたかったのですが、残念です。
最近、進路の授業なども増えていて将来について考える事も多かったのですが、先生のアドヴァイスやお話を聞く機会を持つことができて、本当に良かったと思います。
ありがとうございました。

法住寺殿跡出土の武将墓について。

No.3399

 >伊藤千春さん  こんばんは。本当に昨日は時間が無くて残念でしたね。
 ところで、5つの鎧が見つかった武将の墓ですが、じつは昨日配ったプリントの図面に波線で示してあるように、南北に棺が一つ置かれていた痕跡があり、歯も一つだけ残っていたのです。ですから被葬者は一人。この重要なお話をする時間がありませんでした。
 では、その被葬者は誰なのか?そして、どうしてあのような埋葬形態がとられたのか?ということが次の問題になるわけですね。・・・・・どう、思いますか?
 その答、というより、私の考えは、昨日御紹介した『武家の棟梁の条件』(中公新書)に書いてありますから、ご覧になって下さい。講義を聴講してくれた日本史の先生が、学校の図書館にあると仰っていましたよ。
 
 この掲示板には、院政期政治史研究の第一人者である京都大学大学院の先生や業界のカリスマ編集者をはじめとする、その道の「権威」から、今月は大学生だけど来月から中学・高校の先生になるという前途洋々たる「新人」まで、なにしろ今、学問・文化の世界の最前線で活躍している方たちが、ご覧になったり書き込まれたりしていますから、もし進路のことなどで聞きたいことがあったら、遠慮なくドンドン書き込んでアドバイスを求めて下さい。そういえば、伊藤さんは出版・編集に関心があると言っていましたね。
 大國さんや秦さんにも宜しくお伝え下さい。君たちとは本当に良いご縁が出来たと思っています。本当に一人くらい京都の大学に来てほしいものです。

 ところで、高校1年生の伊藤千春さんは、おそらく、この掲示板に書き込んだ人の中で最年少の新記録を樹立されたのだと思います。スゴイ!!