お疲れさま会決定

No.3377

 火曜日になりましたので、一応締め切らせていただきました。
 集計したところ、24日(木)が一番参加者が多いようですので、この日に決定します。「メールの返信を忘れていた」という方も、予定が合えば参加してくださいませ。
「ゼミ旅行に参加してないのに・・・!」と余計な遠慮をしている方も同様です。
ただし、この場合は3日前くらいまでに連絡をして下さいね。
 卒業式&送別会シーズンですので、思っているお店の予約が取れるかどうか分かりません。また詳細は追ってご連絡致しますが、一応の予定としましては
   3月24日(木) 18時半頃から 四条河原町近辺
で考えております。ご参考までに。
 

宇治歴史散歩も24日とします。

No.3378

 ☆ 今日は京都女子大学の卒業式です。当ゼミのメンバーでは、史学科の永富絵里子さんと短期大学部の國方茉伊さんが御卒業です。おめでとうございます!!

 ところで、「お疲れ様会」が24日に決まりましたので、自動的に宇治歴史散歩も同日に行うことに決定致しました。

 13:00JR六地蔵駅改札口集合 それから徒歩にて浄妙寺跡・宇治陵(摂関家墓域)・松殿別業跡・京極殿別業跡・木幡観音院跡(頼政道近く)・許波多神社を見学の後、電車で宇治に出て、市街地遺跡の現場確認の後、バスまたはタクシーにて、宇治市歴史資料館。その後は、お疲れ様会開始時間との兼ね合いで(平等院・宇治上神社・宇治川合戦関係史跡etc)・・・という日程を考えています。一応、資料を作る予定なので、参加希望者は御連絡下さい。
 
 元木先生・美川先生・渡辺貴代さん、御都合がつけば、よろしくお願い申し上げます。

Re: お疲れさま会決定

No.3381

 宇治見学会、24日の由、確かに承りました。
 ちょうどピンポイントで空いている日に当たりました。
 誠にありがたいことです。喜んで参加させていただきます。
 先日、市内某所で宇治の発掘担当の方々とお会いする機会がありました。これも、何者かが当方を宇治に呼び寄せている予兆かも?
 冗談はともかく、当日は京大の卒様式(仮装大会?)ですので、役職上、急に呼び出されることもありえます。もちろん、どなたかの携帯に連絡しますが、そのときはご容赦ください。
 好天を祈っております。

 ところで義経、敵中元服(なんで長田が支配する内海荘にのこのこ出かけるか?)だの、経典を読んだから「義経」とか、何とも奇妙な演出の連続で、呆れてしまいます。
 先日も「夢の都」に失望したという兵庫県、神戸市関係の方々の怨嗟の声を耳にしましたが、今度の平泉もCGでも使ってもっとそれらしく描けばいいのに。すべてが中途半端な感じです。
 義経の人間像は、オーソドックスな大河ドラマの善人のイメージで、安心できる面はあります。それにしても、家来はよりによってお笑い系ばり(マツケンも含め)で、これではリアリティーを出せという方が無理です。家来の集め方はまさに桃太郎、出来上がった集団は、女性も含めた水戸黄門一行みたいなものですかね。家来はいずれも伝説上の人物だが、中にまともな人物も入れないと、真面目な義経が浮き上がってしまいます。
 平氏一門も、清盛以外は間抜けの集団のようです。無論、史実としてあの段階で、頼朝や牛若を警戒することはなかったのですが、本当に危険視したなら殺害することもできたはず。源氏の御曹司の助命がやんごとなき筋からの圧力だったとでもしておけば、殺したいが殺せない必然性が説明できたのに。また、一門の公卿と並んで家司に過ぎない盛国が座るのもおかしな話。まあ、これは演出上の都合でしょうけれど。
 史実はもちろん、原作まで捻じ曲げて、ちっとも面白くもわかりやすくもならず、おまけに物議までかもす有様には、首を傾げざるを得ません。一言で言えば、脚本家がアホですね。
 間違いが多いと、講演のネタが増えるので宜しいのですが、反面ドラマの人気がなくなると講演の依頼自体が消滅しますので、それはそれで困るのですが・・・。
 ↓で指摘された「ナンバ」歩行については、近藤先生よりご説明をお願いいたします。
  
 

悪口雑言

美川圭
No.3382

24日なら、私も行けます。宇治の歴史散歩、楽しみにしています。
それにしても、義経、元木先生のおっしゃるように、

「脚本家がアホ」につきますね。

自分で創作やフィクションがつくれる才能があると思っているとしたら、
身の程知らずというべきでしょう。努力しても無理なレベルでしょう。
あんな程度の脚本を書いたらみっともないと思うから、
私も脚本を書かないだけなんですが。
「悪貨が良貨を駆逐する」典型です。
でも、これだけみんなが見ているのですから、
これからも話題提供をお願いしたいですね。

Re: お疲れさま会決定

No.3383

↓のようなナンバの理解は、間違いとはいえませんが、左右の手足が同時に出るということだけが強調されると、大きな誤解を生みます。ナンバの基本は、専門的にいえば、股関節のか外旋位による二軸動作ということです。詳しくは、現在のナンバ研究の最先端を行くhttp://www.namiashi.com/hihoukan/ このHPや、手近なところでは、吉川弘文館のPR誌『本郷』55号(2005年1月)に掲載された拙稿「歴史的身体運用法」を御覧下さい。

ところで、今週の『義経』では、藤原の子息達が的を射ていましたが、矢が的に刺さっていました。これは征矢を使用しているからですが、的を射るためには、征矢ではなく、的矢を用います。的矢には、鏃ではなく、先端が扁平で的に当たるだけの、平題(いたつき)や神頭(じとう)などを取り付けます。的に矢が刺さっていては、的がいくつあっても足りませんね。

また、秀衡から義経へ送られた白い毛の馬を、「白馬」と表現していましたが、あれは「葦毛」というべきですね。

さらに義経の家人達が、お笑い系なのはともかく、彼等が、出家している弁慶はいいとしても、その他の人々がいずれも烏帽子を被っていないのは、おかしいことです。それでは全員が童です。どのような身分であれ、当時は成人男子ならば、烏帽子を被ったはずです。また、方言の話しも出ていますが、駿河次郎だけ方言(駿河弁)を話すのもおかしい話ですね。

もっといえば、これは今回の『義経』に限らないことですが、秀衡等が狩りの時に被っていた笠を綾藺笠といいますが、それが真ん中でふたつに折れる形でした。しかし、本来の綾藺笠はふたつに折れる形ではありません。円盤状の笠に巾子形(髻を入れるための中央の突起部分)がつくわけです。

当時の会話はいったい如何に…

No.3389

駿河の人間、京の人間、奥州の人間等々が集まると、会話はどんなふうになったのでしょうか。そういったことを言語学的に検証することはできるのでしょうか。誰かやっていないのでしょうかね。
 ちなみに、駿河次郎をやっているうじきつよしはミュージシャン、喜三太をやっている伊藤敦史は俳優です。まあ、すべてがお笑いではないにしても、うじきつよしは「お笑い系」ですかね。人物造形までふくめて、あまりにも単純で、類型化されすぎている、ということでしょう。義経が三蔵法師にしか見えなくて、困っています。