今日の『義経』もよろしく。

No.3368

 この掲示板。ご覧になっている方の範囲(地域も含む)は想像を絶する勢いで広がっております。ゼミ生の郷里の御家族が、この掲示板で京都にいる娘さんの勉学や生活の様子を見て安心して下さっているという話をうかがったこともありますが、小生自身についても、世界中にいる友人たちがこれを見ていてくれるようです。
 そのうちの一人、現在、東京は池袋で税理士事務所を開いているピーター・セラーズ(本人によれば、アラン・ドロン)によく似た高校時代からの親友から、この掲示板についてメールが届きました。
 すなわち、・・・大河ドラマ『義経』にたいする諸先生方によるコメントがじつに面白い。歴史の素人としては義経放送後の掲示板が楽しみである。・・・さらには、「ほりえもん」に頑張ってもらって、義経放送と同時並行で掲示板のやりとりを双方向で流してもらいたい。・・・などという、要望までございました。
 おそらく、多くの「視(聴)者」の方々も同様にお考えのことと思いますので、これまで御登場の先生方、それにNHK関係者の石浜さん、ゼミメンバー諸姉兄、なにとぞ「よしなに」お願い申しあげます。
 そのうち、当掲示板の書き込みからどこぞの大学の入試問題が作成されることになるかも知れませんね。
  わが親友云わく、「掲示板を見る楽しみが又一つ増えた」。

晴れの服装

No.3371

 『義経』のことははじめて書きます。
 今日は藤原秀衡が登場したのですが、その初登場シーンで秀衡が両腕を大きく振ってのしのし現れましたね。個人的な感想と言われればそれまでなのですが、洋服と違って袖が大きい狩衣を着て、腕を大きく振るとなんだかとてもみっともなく見えました。当時の人はあんな歩き方をしたのでしょうか。僅かワンシーンだったのですが、着崩れしないかと心配にもなりました。
 スーツなどの洋服は大きく腕を振って歩いても様になって見えると思うのですが、袖が大きい狩衣や直垂は腕の振りが小さい歩き方のほうがいいのではないかと思いました。陸上選手の末続慎吾さんが取り入れて話題になった「ナンバ」というのが、これに当たるのかどうかはわかりませんが。
http://hc2.seikyou.ne.jp/home/jcfa-osakanisi/taikyokuken/nanba.htm
 今週・来週は各地で卒業式が行われ、和服を着る人も多いと思いますが、どうぞ着崩れにはお気を付けください。卒業式に狩衣や直垂を着る人はいないと思いますが。

本日の『義経』、付、宇治歴史散歩。

No.3372

 本日は突っ込みどころが少なかったのですが、藤原基成を登場させれば、歴史的事実に即した形で、よりストーリーを面白く、分かりやすく展開出来たのではないかと思いました。また、平泉藤原氏の一族と家人が居並ぶ場面では、やはり例の柳の御所跡から出土した折敷墨書を思い出さざるを得ませんでした。きっと、岡田清一先生もそうだったと思います。
 ちなみに、今回の制作者は馬に気を遣っておられるようで、外来種ではないように見えますが、実のところ、もう今では純国産種の馬などはいないのだろうと思います。
 義経は平泉で、妻(佐藤継信・忠信兄弟の姉妹か?)を娶り、子(娘)もなしていますから、かなりよい待遇をうけていたのではないかと考えています。ちなみに、保立道久先生は『義経の登場』において、この娘(源有綱の妻となる)を義経の年齢から「妹」と解しておられますが、その必要はないのではないかと小生は思っています。

 ところで、当ゼミの宇治の歴史散歩ですが、設定された日に御用がなければ、元木先生も参加していただける由。朗報です。これまで、平安時代の宇治については、源氏物語的発想からか、道長・頼通・寛子の時代にのみ関心が向けられていた観がありますが、「権門都市」として完成を見たのは忠実の時代でありましょう。かかる観点からすれば、元木先生は宇治を語るに際して、第一に御登場願うべき研究者なのです。さらに「権門都市」と言えば、美川先生。御都合が宜しければ美川先生も是非とも。

 >岡田清一先生  みやぎ県民大学のテープ起こし原稿に基づく講演録、おそくなりましたが、昨日添付ファイルにて送信させていただきました。

昨日の義経

美川圭
No.3375

昨日の義経、奥州での生活が主でしたが、
あの弁慶をはじめとする義経の家来たち、
いったい、何をしているんでしょうか。
一応、畠をつくって、自給自足らしいのですが、
また、ちょこっと土地の庶民との交流?
もっとほかにやることあるんでは?
たとえば、藤原氏の人々との関係を密にするために、
奔走するとか。
あれでは、まったく下宿の居候です。

それから、奥州藤原氏の雰囲気が希薄です。
まるで関東のどっかの武士団のようです。
何か装束とか、立ち振る舞いとかに特徴はだせないのでしょうか。
このあたりは、私も奥州のことがわかりませんので、
どうのこうのいえませんが。
あの地域の豪族の特徴を出すくふうが必要です。

それから、ドラマ全体にそうなのですが、
季節感が希薄ですね。
とくに東北にきたのに、いつも夏のようです。
京都も冬寒いですが、それに較べると、
やはり一段ときびしい気候なはずです。
そういうことを描くことを、すっかり忘れてしまっているのでは。

うつぼ、という女の子が、京都からやってきましたが、
まるで隣村から来たみたいな雰囲気です。
もっとデイテールというものにこだわらないと、
どうせ奥州での話は90パーセント以上が虚構なのですから、
いくら虚構でも、それらしいリアリテイがうまれません。

あと泰衡が狩りではぐれたそうですが、
そうすると命が危ういんですかね。
何か、別の勢力に命をねらわれているのか。
夜になると寒いので凍えてしまうのか。
その辺がまったく描かれていないので、
これもまったく危機感がありません。
義経が一人で探しにいくようですね。
ここでも、いったい家来はどうなっているのか。
自分で行かずに、家来を派遣してやるほうが、効果的では。
ろくに現地を知らないのに、やみくもに探してもだめで、
そのへんは秀衡の言うとおり。
それでも、義経は超人で、探し出すらしい。

まあ、
泰衡を義経がたすけて、仲良しになるようなストーリーらしいですが、
それだと、なんだか、もう幼稚園のお芝居みたいで。
もうひとひねりを期待しましょう。

>野口先生
ぜひ宇治の歴史散歩、参加させてください。もちろん、予定があえば。
よろしくお願いいたします。

言語学的見地から見た「義経」の疑問

No.3376

何やらたいそうなタイトルをつけてみましたが・・・。
長らくROM(Read Only Member?)してたので、久々にネタ提供します。

僕は歴史学には素人なので、毎回見終わった後に皆さんの掲示板のやりとりを読んでフラッシュバックする、
って感じなのですが、僕の専門分野であった言語学(厳密には英語言語学でしたが・・・)に照らし合わせて
「ん~?」と思うことがあります。それは、登場人物の使う「ことば」。

日本語は、当時の日本の中心であった京都から、同心円状に日本列島に広まって行ったと考えられています。
したがって、現在東北や九州など、京都から遠く離れた地域で使われている言語の源流は、
かつて京都で使われていたものと考えられます。「義経」の時代の京都で使われていた言葉は、
今の「京都弁」とは違うもののはずなのですが、ドラマで京の町衆(って言うのかな??)が
それに近い言葉で話しているのを見ると「ホンマかいな~?」と思ってしまうわけです。
もちろん、ドラマの演出上の理由はあるでしょうけど。

逆に、義経や弁慶、平家の面々はどのような言葉を話していたのだろう?といった興味も湧いてきて、
それはそれで面白いんですけどね(笑)。機会があったら日本語学の本でも読んでみます。

長文(戯言)失礼致しました。

なんだかんだで、やっぱり見てしまう「義経」

No.3379

 以前、新歓コンパ的に開催された陰陽師ツアーで、「陰陽師Ⅱ」を劇場で見ましたが、その時も京都と出雲の国が、数時間の距離で結ばれている錯覚に陥るようなストーリー展開でしたが、今回の義経も似たような感じでした。
 オープニングには、時代考証・風俗考証・建築考証・衣装考証と名前が出ていますが、考証という仕事はどういう内容なのでしょうか。

 高校の時、大河ドラマで御所ことば監修などをされていた堀井令以知先生が社会人講師として授業に来られた事がありました。当時の言葉をそのままテレビでオンエアすると、視聴者が意味が分からなくなるし、役者さんがきっちりとした発音が出来ない時もあったり、状況に応じて現代風にアレンジする必要が出てくる、という話でした。
 
 製作側にもいろいろと訳があるのだと思いますが、議論の必要は大のようですね。

 最初、義経専用掲示板をつくろうかと考えていましたが、ページを分散してしまうと、お客さんが減ってしまうという過去の経験がありますので、このままで行こうかと考えています。(大河ドラマ終了後に、関連した投稿をまとめたページでも作ろうかと考えています)