平治の乱・源義朝の練兵場と抜刷御礼

No.3354

 元木泰雄先生の『保元・平治の乱を読みなおす』168ページに、このような一節があるのをご存じでしょうか。
 「信頼は父譲りの馬芸を磨いていたことになるが、彼自身の訓練もさることながら、京周辺に所領を有さない義朝が、東国から上洛させた軍勢を隠匿し密かに訓練させた可能性も高い」
 これは、平治の乱で藤原信頼と最後まで行動をともにした源師仲の伏見の所領について述べたものです。「京都周辺における武士の拠点」を研究課題の一つとする小生にとって看過できない指摘であるわけですが、このたび、元木先生がその師仲とかれの伏見の所領に関する専論を発表されたので御紹介いたします。
 「伏見中納言師仲と平治の乱」(伏見稲荷大社『朱』第48号、平成17年3月)

 保元・平治の乱といえば、本日、名古屋学院大学の早川厚一先生より御高論「『保元物語』の諸問題」(『名古屋学院大学論集』人文・自然科学篇41-2,2005年)・「『平家物語』の成立-一谷合戦をめぐって-」抜刷を御恵送いただきました。早川先生にあつく御礼申しあげます。なお、各数部余分にお送りいただきましたので、必要な人は申し出てください(国文専攻の院生を優先)。
 また、南山大学の青山幹哉先生から、御高論「<顕す系図>としての氏系図-坂東平氏系図を中心に-」(『伝承文学研究』54号、2004年)抜刷をお送りいただきました。中世前期の研究に於いて系図を史料として活用する際、あるいは系図を歴史叙述として評価する場合に必読の文献だと思います。青山先生にあつく御礼を申し上げます。

 ☆ ↓にも書きましたが、今週は月曜以来「論文講読会」が続いています。岩田師範の御指導よろしきを得て、また佐伯智広君など優れた院生諸姉兄の御協力により、じつに有意義かつ白熱した勉強会になっています。とりわけ、学部2回生(山岡さん・山内さん・鍛治君)の発表の充実ぶりは目を見張らせるものがあり、小生、見張った後の目を細めております。明日は最終日、また楽しみです。

第20回宇治市発掘調査報告会

No.3356

 「論文講読会」はみなさんのご協力により順調に日程をこなしております。言い出しっぺとして、参加者のみなさんにはただただ感謝するばかりです。参加者あっての勉強会ですから。僕のいやらしいプレッシャーをものともせず、山岡さん・山内さん・鍛治くんはそれぞれの個性を発揮した発表を行ってくれて、本当に感謝しています。

 ところで、3/12(土)に、宇治市の中央公民館展示集会室で、〈第20回宇治市発掘調査報告会〉というのが行われます。 

http://www.city.uji.kyoto.jp/cgi-bin/odb-get.exe?WIT_template=AC020000&WIT_oid=icityv2::Contents::1658

 宇治市街遺跡・浄妙寺跡・菟道遺跡の発掘成果報告と、国立歴史民俗博物館教授の広瀬和雄氏の講演が行われるそうで、申込不要・入場無料だそうです。
「教育委員会 教育施設 歴史資料館」
TEL 0774-39-9260/E-Mail shiryoukan@city.uji.kyoto.jp

 木幡の浄妙寺跡の話があるというので行ってみたかったのですが、この日はバイトが入ってしまったので行けなくなってしまいました。残念。
 そういうわけで、みなさんにもお知らせを共有したいと思います。

行ってきました。宇治の史跡散歩をしよう。

No.3361

 岩田師範の御教示を受け、ちょうど講演記録のテープ起こし原稿の修正作業が終わって、仕事に一区切りついたということもあり、宇治の歴史資料館に行ってきました。宇治市街地遺跡と浄妙寺遺跡については、現説にも行っていたので、発掘成果がよく理解できました。資料館の研究員の方々のお話をうかがって、新参ながら、宇治市民として、いよいよ「権門都市」宇治の評価を高めていかなければならないと再確認した次第です。
 広瀬和雄氏の講演「前方後円墳とはなにか」も大変面白かった。時に、専門外の分野のお話をうかがうのも大いに意味のあることを痛感させられました。本題から離れたところで、いろいろ研究上のヒントを得ることも出来ました。
 そして、本日、資料館に行った最大の収穫は、いつも宇治市内の発掘調査に参加されている京都女子大学考古学研究会の代表である渡辺貴代さんに久しぶりに会えたこと。渡辺さんには27日、『明月記』研究会の宇治見学の際に案内を手伝ってくれるようにお願いすることができました。これで大安心。
 その予行演習を兼ねて、今度のゼミ旅行打ち上げ同日の昼間、宇治の歴史散歩を企画したいと考えているので、これにも参加を願いたいと思っています。もっとも、渡辺さんがこれまで何回か当ゼミ例会に参加したことは、ご存じの通り。「渡りに船」とはこのことです。

『明月記』研究会の見学会

No.3363

野口先生>『明月記』研究会の見学会の件につき、ご配慮いただき、ありがとうございます。また、多大なご負担をお掛けしているようで、大変恐縮に存じております。私は研究会の代表でも見学会の幹事でもありませんが、会と野口先生との窓口となった者として、御礼とお詫びを申し上げます。同時に、当日は、よろしくお願いします。

渡辺様>初めまして。野口先生に見学会の件を依頼したろ『明月記』研究会の近藤好和です。見学会のお手伝いをいただけるようで、ありがとうございます。お手数ですが、当日はよろしくお願いいたします。

野口ゼミの皆さん>見学会には、みなさんにも参加してもらっても良いかなと私自身は考えていたのですが、研究会のメンバーそのものの人数も多く、あまり人数が増えても不都合であるという、会の代表の五味文彦先生のご意向もあり、今回は野口先生だけにお声をお掛けしました。ご了承下さい。

宇治

渡辺貴代
No.3364

野口先生>昨日はお疲れ様でした。お力になれればと思います。
近藤様>はじめまして京都女子大学の渡辺と申します。昨日の宇治発掘調査報告を聞いて改めて宇治を掘る楽しさを感じました。
今回、宇治にいらっしゃるとのことで、微力ながらお役に立てればと思っております。

渡辺さんありがとう。山田先生、よろしく。

No.3367

 渡辺さん、ありがとうございます。
 渡辺さんは、京都市埋蔵文化財調査センター副所長の梶川敏夫先生に御指導いただいている京都女子大学考古学研究会の代表で、今年度前期には小生の総合教育科目演習の受講生でした。そのときのレポート(承久の乱に関するもの)で取り上げた人物(ここでは内緒)はとても興味深い存在で、さすがに考古学で頑張っておられるだけあって、文献史料からの発掘もなかなかの腕前だと感心したことがあります。
 浄妙寺跡や宇治市街地遺跡の発掘調査に積極的に参加されていて、やがてこの方面(地方自治体における埋蔵文化財の調査・研究)での活躍が期待されます。今回も即、快諾してくれたように、「気持ちよく積極的」な渡辺さんを、ぜひ考古学の大先輩である山田邦和先生には紹介しなければならないと思っているところです。

 ☆ ゼミ旅行お疲れ様会開催の前(昼間)に時間のある人たちで、「宇治歴史散歩」を行いたいと考えています。できれば渡辺さんにも参加してもらい、お疲れ様会であらためてゼミメンバーに御紹介できればなどと計画しています。
 > 田中さん  そこで、お疲れ様会の日程が決まりましたら、すぐに早急に即、お知らせ下さいますよう、お願い申しあげます。