今宵もしつこく義経を

美川圭
No.3292

今宵も義経を見ました。

創作?殿下乗合事件の結末は、重盛が烏帽子を奪いかえしに、
だれだかわからない「三位殿」の屋敷に殴り込み、その烏帽子をもって帰ってくる簡単なシーンでした。
やるんなら、貴族の屋敷に殴り込んで、平家の烏帽子がどこにあるのか、その捜索シーンをやってほしかったですね。どうしてみつかったのか、あれでは、わからんではないですか。フィクションならフィクションでいいけれど、そこまで責任をもっていただきたい。ちなみに、先週お会いした近藤好和先生によると、烏帽子なんて先週のシーンの様に、簡単にぽかっと頭からとれない由。詳しくは近藤先生に。

それから、「お徳」という婆さんが、夜清盛邸に行き、清盛と話す、というのはご愛敬ですが、「一人で蓮華王院へ」というのに清盛は家来を連れて行きましたね。それはいいとして、私は、当然極秘に法皇に会うと思ったら、なんとそこに義経が。あのねえ、当時の蓮華王院は、一般公開でもされていたんでしょうか。ときの最高権力者の院御所内の御堂に、なんで義経が入れるんだ。もう頭が痛くなります。これも、少なくとも、警備の武士の目をごまかして、密かに侵入するシーンが必要です。フィクションというのは、それなりの設定が必要なんですよ。もう。

だらだらした退屈な、常盤と義経との別れ。あのシーンで泣く視聴者がいるのかな。うちの小6の娘は、「うざいから、早う奥州へ行け、さっき常盤泣いとったのに、もう笑った、俳優ってなんで、ああすぐ表情変えられるんだろう」とかなり辛辣でした。

もう一つおもしろかったのが、最後の「小松谷」の解説。
平重盛の解説であの神護寺の画像が「平重盛像」と出ていました。と娘が「パパねえ、なんであれが重盛ってわかるの。違う人かもしれないでしょう。絵に重盛って書いてあるの」
うーん。先週、大人の見るドラマではない、と言いましたが、子供にもこう見られているということを、NHKさん、ちょっと認識したほうがよいのでは。

Re: 今宵もしつこく義経を

No.3293

 美川先生、こんばんは。昨日は思いがけずお目にかかることができ(於京都コンサートホール)、恐悦至極に存じます。
 義経、あいかわらず突っ込みどころ満載ですね。先週の重盛も、今週の宗盛も、腹がたつと柱を扇でバンバン殴っていました。清盛は立腹すると庭の木を滅多切りにするし・・・ どうも平家の方々、ストレスの発散の仕方に修練が必要のようですな。
 ただひとつ評価するのは、タッキーが奥州平泉の藤原秀衡のことを「奥六郡の長(おさ)」と呼んでいました。ここは、このドラマにしては珍しく、妥当な表現かと思います。(ちなみに私は、奥州藤原氏の平泉政権が創り出した政治体のことを「奥六郡半独立国」または「奥六郡自治邦」とでも名付けるべきだと思っています)。
 それにしても、美川先生の娘さん、さすがは血は争えないもので、凄い感性ですね。末は博士か歴史学者か、将来が楽しみです。

 〈以下、私用です。美川先生、メールアドレスがわかりませんでした。先日申し上げていたことをご連絡したいので、恐れ入りますがメールをください。私のメールアドレスは、↑の「山田邦和」のところをクリックしていただれば出るはずです〉

Re: 今宵もしつこく義経を

No.3294

美川先生からのお呼びなので、烏帽子について一言。

 烏帽子が簡単に脱げないというのは、折烏帽子の場合です。烏帽子は後ろに付いている「風口の緒」という紐を後頭部で結んで頭に固定します。公家がふつうに着用している立烏帽子などはこの方法で、現在の神職の烏帽子でもこの方法です。これに対し、もっぱら武士が用いる折烏帽子は、風口の緒とは別に、頂頭懸(ちょうずがけ)と小結懸(こゆいがけ)というふたつの方法で烏帽子を固定します(風口の緒を補強します)。

 頂頭懸は簡単にいえば顎紐で、軍陣を含めた晴儀で用いられます。現在の大相撲の行司もこれです。小結懸は、髻を結んだ紐の結び余りを烏帽子の後ろに開けた孔から外に出し、そこで結びます。ドラマでも、よくみると折烏帽子の後ろに白い紐がみえますが、それが小結懸の表現です。こうした点も、かつてはいい加減で、最近はちゃんと表現されいているので、感心していましたが、実態は分かっていなかったようです。殿下の乗り合い(?)場面も、この小結懸の折烏帽子でした。髻を結んだ紐でさらに外側から結んでいるわけですから、折烏帽子は頭からはずれても、折烏帽子そのものはなかなか取れないわけです。

 なお、一部の中世史の研究者が、絵巻の表現だけで、立烏帽子も髻に結びつけられているという説を出し、それを継承している人も見かけますが、これは烏帽子の構造がわかってい大変な誤解です。だいたい立烏帽子をどうやって、髻に結びつけるのか、即物的な説明を聞きたいものです。おそらくできないでしょう。

京都女子大学文学部は小松谷にある。

No.3332

 目下、講演録やら校正で大忙しなのですが、仕事だと思って『義経』の再放送を見ました。本編は新築直後であるはずの蓮華王院が現地ロケのために古色蒼然。こういうときにCGを駆使すればよいのにと思ったり致しましたが、とくに問題だったのが最後の「小松谷」の解説。灯籠堂の話など事実であったかのように断定的に述べられていましたが、あれがフィクションであることは国文学では兵藤裕己先生、歴史学では高橋昌明先生もすでに指摘されているところですから、せめて「『平家物語』では」とか「伝えられている」くらいのナレーションにしてほしかったところです。
 ちなみに、あの小松谷正林寺の斜め向いに京都女子大学文学部(J校舎)はあるのです。おそらく、撮影もここから行ったに相違ありません。そのようなわけで、京都女子大学は史学では平家・六波羅、文学では『平家物語』研究のメッカにならなければならない宿命を負わされているのだと小生は考えるのです。