建春門院
No.3142
野口先生、美川先生、後白河天皇陵・建春門院陵についての私説をご紹介いただき、ありがとうございます。
言及いただいた通り、今は失われてしまった建春門院陵、私は三十三間堂の東方真正面に存在したと推定しております。後白河法皇は自分が入るつもりでここに法華堂を建立したのですが、まったく予想もしなかったことに、建春門院が自分よりも先に亡くなってしまった。そこで法皇はその法華堂を故・女院のために明け渡し、自分はその南側に新たに法華堂を建ててそこに入った、ということになります。
後白河は建春門院にホント、ぞっこんだったようですね。後白河はもちろん当時の権力者だったからいろんな女性に手を出していますが、本当に惚れ込んだ女性は永く永く熱愛するというタイプだったようです。中年の時には建春門院、老年時は丹後局高階栄子に入れあげています。
元木先生も著書の中で書いておられますが、建春門院が危篤になった時、後白河は自ら全身全霊を込めて加持にあたり、その声は他の祈祷僧のそれを圧するかのように「太高」く響き渡っていたといいます(『玉葉』安元2年7月8日条)。愛する女性のために、今様で鍛えに鍛えた喉すら張り裂けんばかりに絶叫していた後白河。そして、その甲斐もなく絶命した女院の側で、人目もはばからず「後歎息」を顕わにした後白河(『百錬抄』同日条)。そして、その彼女のために、周囲の反対を押し切って自分の陵所となるはずの法華堂を明け渡した後白河。その人間臭い姿に、私は心打たれます。
建春門院は、後白河にそれほど熱愛されるだけのすばらしい女性であったことは確かです。だからこそ大河ドラマでの建春門院は黒木瞳さんクラスの女優にやってほしかった・・ いや、ついつい個人的趣味がでてしまいます。
閑話休題〈あだしごとはさておき〉、野口先生ご指摘の栗山論文にある通り、最近では建春門院の政治的重要性が指摘されております。建春門院は単なる法皇の奥さんにとどまらず、いわば「治天の君代理」とでもいうべき存在だったというのです。
建春門院が35歳の若さで亡くならなかったら、日本の中世史はどう変わっていたか・・・ 歴史に「もし」は禁句ですが、やっぱり考えてしまいます。
想いのある女性のことを語るとやはり長くなってしまいました。失礼しました。
Re: 建春門院の陵墓は何処に?
No.3147
ここのところ、インフルエンザでダウンしており、すっかり出遅れておりました。
野口先生にはお見舞いの御言葉を頂き恐縮に存じます。まだ37度台ですが、何とかPCに向かえるようになりました。さて・・・
大河ドラマの建春門院、あれはひどい!諸先生のお怒りごもっとも。
建春門院や、当時の政治史に関する当然の認識が無視するにも程がある!
第一、妖艶にして才知にあふれた女院を、あんな安っぽい女優にやらせるな(中江有里ファンの方、ごめん。役に適合していないということですので・・・)!
結局、清盛の陰謀で徳子が入内する、後白河は内心反発するという構図のようですが、これは貴族と武士は対立するものだという、古めかしい幼稚な議論の産物としか言いようがありません。
ただ、多少制作サイドのことを考えるなら、清盛と後白河の関係を短い期間で強引に描こうとする場合、協調から対立という変化は盛り込みにくく、こうした図式にせざるを得なかったのかもしれません。旧来の図式に乗っておかないと視聴者がついてこない恐れもあるのではないでしょうか。
その意味で、入内の先例は摂関家のみとするのも、平氏が摂関家を模倣したという通説に依拠した台詞ではありますね。
こう申しては何ですが、当方の周辺を見回しても、一般視聴者のレベルは我々の想像以上に低いものがあります。新説をどこまで盛り込むのか、下手に盛り込むと難しいという批判を招きかねず、たちまち視聴率の低下につながるというジレンマが制作サイドにあるのではないでしょうか。
それにしても、ですよ。どこかに多少は最近の学説も盛り込んでほしいものです。大河ドラマの国民的影響力を考えれば、わずかなことでも大きな効果があるのですから。
大きな影響力の悪しき例。先年の『時宗』を見ていた親戚いわく、「梅鉢の話は下野じゃなくて伊豆だったんだ」・・・。こんな弊害を垂れ流すようなら大河ドラマは中止すべきです。とはいえ時代劇がなくなっても困るので、いっそのこと水戸黄門(これは民放に定着したか)、大岡政談(これは民放が投げた)、旗本退屈男(上横手先生がお好きです)、国定忠治(これは前会長ご愛好)、遠山の金さん、丹下左膳、若様侍、鞍馬天狗、清水次郎長の類の講談話を、交代で取り上げれば宜しい。これならどんなストーリーにしても害はありますまい。
宮尾さんの描いた建春門院像は我々のイメージと共通する魅力的なものであり、清盛が懸想する場面さえありました。歴史像をゆがめ、さらには原作をも損なうようなお粗末なドラマは願い下げです。
それにしても、美川、山田先生、石浜さん、皆さん考えるところは同じでしたね。当方も女院役は同じ女優をイメージしておりました。妖艶にして魔性を内に秘め、岩下志麻をもシカトする向こう意気の強さは、まさにあの役にぴったりです。
もっとも彼女は1960年生まれで、35才をかなり超えているようですが。
Re: 建春門院の陵墓は何処に?
No.3152
>元木先生
高熱を出されたとのことですが、さすがは凄い回復力ですね。私など、2週間くらいぐずくず体調不良が続きました。でも、油断大敵ですので、どうかご自愛ください。
建春門院滋子のイメージ=黒木瞳さん説は、元木先生の力強い支持のもと、あとは野口先生が一票投じていただければ、もはや日本中世史学界では完全に通説化すると存じます。年齢の齟齬の件は、建春門院は実際の年齢よりもずっと威厳があったということでなんとかクリアーいたしませう。
元木先生の書き込みが改訂されているということに気付き、どんな魔法をお使いになられたのか、首をひねっておりました。実はこの掲示板には修正機能というのがあることを知り、驚愕しております。日付と時刻が変わらないということになると、第1次史料といっても百パーセント信頼することはできないということになります。野口先生はこれをネタにしてゼミで「史料批判論」を展開されそうな予感・・・
あの時、君は若かった♪
No.3154
山田先生、やはり年齢は大きいですよ。だいたい、平治の乱の年(1159)、清盛の年齢は41歳(その年に相当する西暦年から生年に相当する西暦年を引いた数値、以下同じ)。のちの建春門院、平滋子は17歳ですよ。
学生さんたちの世代からすれば、41はもうオヤジでしょうが、我々の年代からすれば、まだ子供も同然。建春門院の亡くなった年齢34歳というのは、まだまだ年端もいかない・・・といったところでしょう。この時、後白河は何歳かと言えば49歳で、今の元木先生と同じくらいの年齢です。頼朝挙兵の治承4年(1180)ならば、小生と同年の53歳。
その治承4年、清盛の子の宗盛は33、知盛は29(○○君と同じ?)、重衡は24、孫の維盛は23歳でありました。だいたい、当ゼミメンバーの世代が内乱期の主役と言っても過言ではありません。ちなみに以仁王は29歳。
東国に目を転じても、頼朝は33、義経は21。木曾義仲は26。北条時政42、政子23歳、なんと若いことでしょう。義時など17歳ですから。
そうした中で、源頼政の76歳は特筆に値しますね。相模の三浦義明(88歳?)も。
あの時、君は若かった♪
No.3157
>野口先生
う~ん。さすがは先生、実証的に突き詰めてこられます。まいりました。
ただ、ドラマに登場した建春門院は徳子入内を後白河に迫っているのですから、承安元年(1171)の姿だと思っていいでしょう(同年12月に徳子入内)。女院は康治元年(1142)生まれですから、その時には満年齢で29歳=数え年で30歳。現在45歳の黒木瞳さんに演じてもらうことも、メークアップ次第では決して不可能ではないと推考いたします・・・
と、あくまで黒木さんにこだわる山田でした。
しかし、ご指摘の通り、歴史の登場人物はみんな若い頃から主役に躍り出ていますね。それだけ寿命が短い時代だからあたりまえだといえば身も蓋もないですが、「若さのエネルギーの爆発」という視点から歴史を見ることも必要かも知れません。
もっとも、年表を見ていて、「1176年、六条上皇(13歳)、崩御する」などという記事にぶつかると、やっぱり哀れを感じてしまいます。
建春門院役は誰に?
No.3158
では野口先生御推奨の建春門院役はどなたでしょうか。
ちなみに、1972年の『新平家物語』では、村松英子(右翼評論家村松剛の妹、三島由紀夫の作品の主役を多数演じております。一時、鳥取の方の短大で教授をしておりましたが)が演じておりました。翳りのある知性派という感じでした。
それにしても源氏伝来の鬚切なんぞ、太政大臣清盛が屁とも思うはずもないし、それを源氏とはいえ河内源氏とは無関係の頼政が言いつけるというのも噴飯ものですな。まあ、頼政は武家源氏の中心ですから、何でも知っていたということなのでしょうかね。
源氏なら皆味方でお知り合いという、幼稚な源平対立史観の産物のようです。
あるいは、丹波さんが、そろそろ出番を作れとばかりに文句を言い出したのでしょうか。いやいや、あの場面、彼が死後の世界で頼政に聞き出したのかも知れませんぞ。
余談ですが、5月7日、丹波で頼政の話をするのですが、ドラマネタで時間が稼げそうです。へへへ。
黒木瞳に不可能はない。
No.3160
野口先生、たしかに黒木瞳と建春門院には多少の年齢差はありますが、それをいったら、76歳の頼政をやっている丹波哲郎はいったいいくつなのでしょう。それに、義経の兄範頼役の石原某や、頼朝役の中井貴一はタッキーより20歳も年上。問題は…。あまりやると、たんなる中年おやじの化けの皮がはがれてしまうので、このへんで。