ドイツから帰国しました
No.2974
今朝、ドイツから帰国しました。
ドイツは、そしてエクスカーションで行った南フランスのカルカッソンヌ周辺も寒かった。冬の北海道の気候です。
私の報告は院政に関するあたりさわりのない話で、むしろ英訳に1ヶ月もかけてしまいました。日本側は日本史、ドイツ側はドイツ史で、討論がいったいどうなるか、と思っていたのですが、主催したボン大学日本文化研究所側で選んだ独日通訳(日本人)がすばらしく、まったく討論に支障はありませんでした。できる通訳は凄い。
もともと、亡くなった河音先生が推進した日独比較研究のシンポで、今回が3回目、ただし前回は非常に小規模であったようです。いろいろな意味で、とてもおもしろかったです。
といったところで、まずは簡単なご紹介。
で、帰ってみると、元木先生の書評会が2月3日に決定の由。残念。当日は入試とその採点で、出席できません。また、様子をおしらせください。
それにしても、ドイツ人はよくしゃべる。討論では、司会者が一言発する前に、どんどん手をあげて、マイクを握ったら最後質問だか、演説だかわからん状態になります。3日間の日程で、二日目からは、負けてなるもの、と私も手をあげた。日本だとなかなか手が上がらなかったり、実はしゃべりたいけれど指名を待っている権威主義者?がいたりですが。やはり外国では違います。日本人ももっと積極的にならんと。
ドイツは、そしてエクスカーションで行った南フランスのカルカッソンヌ周辺も寒かった。冬の北海道の気候です。
私の報告は院政に関するあたりさわりのない話で、むしろ英訳に1ヶ月もかけてしまいました。日本側は日本史、ドイツ側はドイツ史で、討論がいったいどうなるか、と思っていたのですが、主催したボン大学日本文化研究所側で選んだ独日通訳(日本人)がすばらしく、まったく討論に支障はありませんでした。できる通訳は凄い。
もともと、亡くなった河音先生が推進した日独比較研究のシンポで、今回が3回目、ただし前回は非常に小規模であったようです。いろいろな意味で、とてもおもしろかったです。
といったところで、まずは簡単なご紹介。
で、帰ってみると、元木先生の書評会が2月3日に決定の由。残念。当日は入試とその採点で、出席できません。また、様子をおしらせください。
それにしても、ドイツ人はよくしゃべる。討論では、司会者が一言発する前に、どんどん手をあげて、マイクを握ったら最後質問だか、演説だかわからん状態になります。3日間の日程で、二日目からは、負けてなるもの、と私も手をあげた。日本だとなかなか手が上がらなかったり、実はしゃべりたいけれど指名を待っている権威主義者?がいたりですが。やはり外国では違います。日本人ももっと積極的にならんと。