卒論について
No.2870
京女の後輩の皆様!!
朗報です☆☆☆
なんと「手書き提出」で有名な我が史学科の卒論・・・
来年度から「ワープロ打ちOK」になるそうですっ!!!!!
(昨日稲本先生から情報をゲットしました)
ただし、今年はまだ手書きでないとだめだそうです。。。(・・,)グスン
ちなみに史学科の学生研究室(事務員さんの机のあたりにあります)に現在卒論の提出見本がありますので、もしどんな感じで製本されるのか見てみたい人は見に行ってみてくださいね。
ちなみに私が見た感想を述べると・・・
まず形式。和綴じできれいなんですが、「あれに2000円はぼったくりでは???」と思ってしまいました☆(製本代2000円もとられるのよ)
しかも日本史と東洋史に比べ西洋史の完成版のかっこいいこと!ちゃんとした「本」なんです。うらやましい~('-')キャーキャー
中身について。例で展示されてるのは昭和57年度の卒業生の物なんですが、とにかくすごい!!
図とかのコピーとかにもきれいに色えんぴつで塗ってあったり、グラフなんかもすごく凝っててキレイ!!字もきれい!!
内容もなかなかハイレベルでした。
ぜひご覧あれ。。。☆
おお~☆
No.2871
かねがね「手書きって!!」と思っていたのですが、ようやくワープロ原稿がOKになるのですね。友達から「面倒くさい」「時間がかかる」と聞いていたので、今後卒論を提出する皆さんにとっては本当に朗報ですね♪それにしても、卒業論文から製本してもらえるとはなかなかいい制度ではないですか。私の卒論は学校指定のコクヨの青いファイル綴じのままで師匠の研究室に置かれています。修士論文はきちんと製本されて(しかも写真まで入って)図書館に入りますが、せっかく大変な思いをして完成させる卒論ですから、しっかり製本してもらってちゃんと手元に置いておくのもいいかもしれません。
余談ですが、製本され同志社図書館に配架された修論(写真入り)は院生になると閲覧できたので、M1になるとすぐ高橋昌明先生と山田邦和先生の修士論文を探しに行きました。(と、先日高橋先生に言ったら笑われてしまいました)自分とほぼ同い年の先生方の論文を読んでは「頑張ろう~」と思っていましたが、学生時代の先生方の写真を見る為に書庫に行っていたという側面も否定は出来ません(笑)
Re: 卒論について
No.2872
ワープロOKとなるとは、おめでとうございます。
私は、逆にゼミ生には、手書きでもいいけれど、できればワープロで出してね。提出間近に清書はたいへんだから。と言っています。そのため、最近はほぼ100%ワープロ原稿です。
よく、手書きの教育効果、をおっしゃる先生がおられるのですが、聞いてもその理由があまりよく私には理解できません。手で書くと頭によく入るというのは、記憶のメカニズムからすると納得できる説明ですが、でも自分の卒論、暗記するのかな。けっきょく、一生に一度ぐらい、手書きで書け、といった話になるのですけれど、やはりよく理由がわからない。昔は卒論、修論を何人もが協力して清書したため、いろんな字が混じっている場合が多かった。それに較べるとワープロの方がましかと思います。
けっきょくは、俺は昔手書きで書いたから、おまえらも書け、といった「感情」をただ、理屈っぽく説明しているだけなんでしょうか。そうだとすると、「論理」を重んじる研究者としては問題があるのではないでしょうか。一度、手書き派の方のしっかりした反論を聞きたいです。
私の「感情」は、とにかく汚い手書き文字を読みたくない、ということなんですが・・・。
『史窓』を見よ!先輩達の偉業あり。
No.2873
卒論は、やはり中身です。
小生が青山学院大学・大学院に在学していた頃、他大学の紀要類など読むにつけ、「この大学の史学科・史学専攻はスゴイ」と思っていたところがいくつかあります。もちろん、東大や京大はスゴクて当たり前なのですが、私学の女子大で第一位にランクしていたのが、ほかならぬ京都女子大学でした。
その理由は、なにしろ、卒論段階でとてもハイレベルな論文を書く学生さんがたくさんおられたことです。それは、史学研究室から発行されている『史窓』のバックナンバーを見れば一目瞭然でしょう。
小生が主に研究対象としている時代の院政~鎌倉初期あたりをテーマにしていて、ほかの論文の注などにとりあげられているものを、今即座に思いつくだけあげてみても、
① 尾羽澤淑子「武士団成立の一考察-千葉氏の場合-」『史窓』13号、1958年
② 小林淑子「昌寛法橋-鎌倉幕府成立史の一齣-」『史窓』26号、1968年
③ 増井尚子「大江公朝論-平安末期から鎌倉幕府草創期に於ける朝幕関係-」『史窓』28号、1970年
などがあります。
①は、小生の『坂東武士団の成立と発展』でも使わせていただきました。尾羽澤さんは、1957年度卒ですから、この論文は卒論でしょう。③には、末尾に卒業論文の一部を改稿したものと明記されています。
どうです。ぜひ、読んでご覧なさい。今、流行の女院や国母の問題についても、必ず先行研究としてあげられている、劉和子「女院制の本質」『史窓』40号、1983年があり、これも卒論の一部に加筆したものであるとのことです。
京都女子大学史学科の学生さん達は、かかる先輩たちのうち立てた輝かしい学統を受け継ぐべき立場にあることを、しっかり自覚し、且つ励みとして、学業にいそしんでいただきたいと念じる次第です。
Re: 卒論について
No.2880
☆レスが遅くなりすみません☆
田中さん>製本の制度のある大学はひょっとして珍しいのでしょうか?しかも提出したら返ってこないんですね~それはそれで寂しいかもしれないですね☆
学生時代の先生方の写真・・・みてみたいですo(^^o) ♪
美川先生>お久しぶりです。
美川先生のようにおっしゃってくれる先生が早くからうちの大学にたくさんいたら、よかったのに・・・という感じです。
文句を言っても今年が「手書き提出」なのには変わりはないので、せっせと「きちゃない字」で頑張ります☆←もちろんできるだけきれいに書くつもりではいますよ(!)
野口先生>実は野口先生と出逢った頃、そのお話をきいて↑にあげられている卒論を雑誌室へ見に行ったことがあります。
当時二回生だったので、中身を読んでもあまり理解できず、「よくわからないけど、卒論ってすごいんだなあ」(←こんな感想ですみません)と思った記憶がございます。
四回になり卒論を書く身になったものの、「すごい」とは絶対言えないどうしようもない論文を執筆中な自分が情けないです☆輝かしい伝統に傷をつけてしまうことを今のうちからこの場を借りて謝っておかねばなりません。
「先輩方、すみません」m(._.)m