玉稿お礼、にかこつけて

No.2817

拝啓 野口先生

 広島の下向井です。この場をお借りしてお礼させていただきます。先日は御懇書、玉稿「鎌倉武士の心性」、奥様の玉稿「閑院内裏の空間領域」、またゼミ機関誌『紫苑』をお贈り下さり、まことにありがとうございました。

 いずこも同じ雑事に紛れ、未だ拝読できておりませんが、いずれじっくりと読ませていただきます。といいつつ、傍にはつんどくの抜刷の1年分の山。年賀状でまとめてお礼ということになりそうです。

 『紫苑』、すてきです。楽しいゼミの雰囲気が伝わってきます。学生諸君、楽しく学んでいますね。巻末のデジカメゼミ旅行記がよかったです。私もゼミ機関誌『史人』を2号(1998年)まで出しましたが、私の病気を口実にして何年も休刊中です。貴誌に刺激されて復刊をめざそうと思います。

 広島大学そば出身学生がいらっしゃるとか。私の所は教育学部ですが、私は高校日本史教員育成・日本史研究者育成を目標に、授業・自主ゼミ(SHIMOKEN塾)を開いています。
学部授業は「悲劇のプリンスたち」「戦争と平和に関する史的研究ー日本古代の国家と軍制」「平安時代の地方支配と武士の形成」「史料演習(希望テーマに関する史料を私が探して。そのまま卒論テーマになる場合あり)」。大学院は『小右記』(今は長保元年)演習など。SHIMOKEN塾読書会は、卒論修論読書会(文・総合科学・教・放送大学の院生・学生、社会人 12人)、プレ読書会(文・教2・3年中心、いま河内さん『古代政治史における天皇制の論理』7人)、プレ卒論史料講読会(教3年 2人)。これとは別に広島市基町クレドカルチャー教室「源氏物語の舞台裏ー『小右記』を読むー」に学生をアシスタント名目で参加させています。
 
 そこで野口先生、お礼にかこつけて、(徒労に終わることは承知の上で)引き抜きの宣伝をさせていただいていいでしょうか。京都の平安時代史研究とはだいぶ傾向が違いますが、お膝元からではなく地方から中央をみるのもまた視点が変わって面白いかもしれません。皆さん私の所の大学院で平安時代の勉強をしてみませんか。後期の試験は2月です。「社会科教育学」の試験科目もありますが。

 野口先生、これからも変わらずおつき合い下さい。

広島大学大学院、ぜひ宜しくお願いします

No.2819

 下向井先生、書き込みありがとうございました。当ゼミ学部生の多くは、広島県・山口県・愛媛県・福岡県など、まさに平家の勢力圏に重複する地域を出身地としておりまして(六波羅に祗候した平家家人の子孫なのかも知れませんね?)、いずれ必ず広島大学大学院への進学を希望する人も現れることと思います。その節は、どうぞ、宜しくお願い申しあげます。
 ちなみに、広島大学直近に実家を持つメンバーというのは、現在3回生で、研究意欲旺盛、実に優秀で将来が楽しみな人です(「推薦状」はすぐにでも用意します)。
 広島県で教育委員会所管の機関に職を得て日本史の研究を続けることを希望する人にとって、下向井先生の研究室に所属するのは理想に近いことなのではないかと存じます。
 また、いずれ安芸の宮島など、ゼミ旅行で訪れたいと存じておりますので、その節はゼミ生同士の交流の機会も得られれば幸いとするところです。
 
 下向井先生は、かつて広島修道高校の教諭をされておられましたが、そのころ、小生も千葉県の公立高校の教諭をしておりました。同じ高校教員の立場(いっぱしの研究を続けるのには実に大変な環境です)で成立期の武士を研究しているということで、ともにシンパシーを感じ、抜刷の交換を致しておりました。はじめてお目に掛かったのは1985年の日本史研究会の大会(於、立命館大学)、中世の部会で元木泰雄先生が御報告をされた時だったと記憶します。
 その後、武士成立史にたいする見解で、いささか意見の分かれるところも生じておりますが、その理由の一端は下向井先生が律令をきちんと勉強され、古代から時代を下る形で御研究を進められているのにたいし、小生は12世紀末の東国から地域を広げつつ遡る形で、それを行っていることに起因するのではないかと考えております。「武士論」については、いずれ胸襟を開いて議論を深める機会を得られればと思っております。
 それはさておき、下向井先生の御担当の講義・演習のタイトルを拝見しますと、当ゼミメンバーにとっては垂涎の的となるものばかりのように思えます。
 
 なお、こちらからも下向井先生にお願いですが、先般、上横手雅敬先生・入間田宣夫先生と小生の連名でお送り申し上げた『源義経 流浪の勇者』(文英堂)ですが、地方書店にはなかなか行き渡っていないようですので、ぜひ大学ないしカルチャーセンターなどにおける御講義のさいに宣伝して頂けると幸いです。

☆☆はじめまして☆☆

No.2820

下向井先生>はじめまして。京女四回の永富絵里子と申します。当HPの管理人をしております。どうぞよろしくお願いいたします。

『紫苑』、お褒めに預かることが出来、光栄です。
巻末の旅行記は去年の今ごろ、同じく当HPの管理人である鈴木君と「あーでもないこーでもないと」我が家で一晩”合宿”をして完成させた物です。
堅苦しい文章ばかりの旅行記では見る人も楽しくないし、書くほうもしんどい(←こっちが重要!)だけだと思い、某ファッション雑誌の1ページをモデルにレイアウトを考えました。(技術面では鈴木君が頑張ってくれました)

私は創刊号、第二号と編集に携わってまいりましたが、最初の頃の予想よりも多くの方々に読んでいただき、反響がある事はとても幸せなことだと思います。
原稿執筆も含め、完成まで先生や仲間とともに試行錯誤した経験は私の学生生活にとってかけがえのない体験です。
これも野口先生の暖かいご指導があったからこそだと思います。(野口先生、ありがとうございます♪)

第三号の編集には私は携わってはおりませんが、後輩の山岡さんが編集を頑張ってくれております。きっと今までのものよりさらにバージョンアップした「紫苑」をお届けできるかと思いますので、そのときにはまたコメントとご指導をどうぞよろしくお願いいたします。

↑で野口先生もおっしゃっておられますが、いつか広島へゼミで旅行した際には「SHIMOKEN塾」の学生さん方と交流できればと思います。
もし京都御上洛の際にはぜひ当ゼミへお立ち寄りくださいませ(^ー^)

お返事ありがとうございます

下向井龍彦
No.2822

野口先生
Uターン御希望の方に、是非是非、お願いします。
20数年前の共通体験。純粋に、かつ不純に、研究に情熱をぶつけていたころが懐かしいです。
『源義経 流浪の勇者』(文英堂)のお礼、ゴメンナサイ。後遺症が・・・。早速、学生たちに宣伝しておきました。

永富絵里子さま
宮島ゼミ旅行、お待ちしています。私が産湯をつかった音戸瀬戸にも是非。遣唐使船の倉橋島にはおすすめ民宿もあります。

はじめまして、よろしくお願いします。

No.2823

 はじめまして。野口先生の不肖の弟子で、神戸大学M1の山本陽一郎といいます。大学院入学以前の聴講生の時からですが、コツコツと中世武士論を勉強しております。自分のテーマは、利仁流藤原氏の末裔である越前斎藤氏(院政期から鎌倉時代)をテーマとしています。先生の上記の書き込みを拝見しますと、社会・歴史教育と歴史学との連携がテーマであるように、お見受けいたします。この両分野の接点が現実の歴史教育・社会教育に反映しにくいのが現状ではないかと思っています。戦前の歴史教育では、軍国主義イデオロギーの「神話」として利用された事例を考える時、中世武士団は単なる過去のヤクザ集団では片付けられない問題があると思います。イラクへの自衛隊派兵など、きな臭い今日、武士論・戦争と現場の歴史教育との関連性は重要な問題だと思います。このような現代の問題とどのように関連させておられるのか、お聞かせいただけたら幸です。
 また先日当ゼミでは、六条八幡社や西八条第など、京都における武士の拠点を探訪致しました。京都に住んでいますと、六波羅と西八条が近いので、どうしても「平氏の拠点」というとこの2つばかりに目が行き過ぎますが、もう一つの拠点である厳島神社も一度訪れたいと思います。それでは長くなりましたが、失礼致します。

Re: 玉稿お礼、にかこつけて

No.2824

下向井先生

はじめまして。
『紫苑』二号に小文を掲載させていただきました長村祥知です。拙いものですがご批評賜れば幸いに存じます。

不肖の師匠です。

No.2825

 山本君の質問は、とても重大な問題ですから、その御回答はこの掲示板などでは言い尽くせないと思います。いずれ、私的な場で、直接おうかがいする機会をえるべきでしょう。
 ちなみに、ゼミの皆さん。小生には、面と向かってそんな難しい質問はしないで下さいね(笑)。普段の言動及び著書から汲み取っていただければ幸いです。

 >鍛治君 なにしろ「主体的に」動くことが大切だと思います。ただし、自己中心的にならないようにね。そのうち、また昼飯に一緒に行きましょう。

 >野口君 靴は買いましたか?
 本日の史跡散歩、人生の先輩達が楽しみにされていますから、どうぞよろしく。それにしても、貴兄の「足跡」には参りましたね(笑)。
 
 >「足跡」の現場を見たどなたか 『紫苑』に「野口君の足跡」というタイトルで一文を寄せてくれませんか?
 ちなみに、この場合の「足跡」は、「そくせき」ではなく「あしあと」と読みます。 

どうお答えしましょう。

下向井龍彦
No.2826

 私は教育学部で歴史教育を担当しているのではありません。日本古代中世史の授業(「日本史内容学」と言うそうです)を担当しています。中学高校で日本史を教えていくうえで不可欠の歴史学的な・社会科学的な歴史のとらえ方と、授業構成に役立つ内容を、私の授業(「古代の軍事と戦争と外交」「武士成立論」「奈良朝政治史」)を通して学んでほしいと思っています。
 さて山下さん。そもそも「中世武士団は単なる過去のヤクザ集団」ではありません。他の諸身分・諸集団と共通する属性を捨象した武士の「(左記の意味で)本質的」属性は、国家の軍事力、です。ここのところを抑えたうえでしっかり研究してください。
 「戦前の歴史教育で、軍国主義イデオロギーの「神話」として利用」したのは戦前の支配層であり、彼らに奉仕した教育者・文化人集団であり、それを下支えし、講談本に血湧き肉躍って楽しんだのは「帝国臣民」です。中世武士には近代軍国主義に対してまったく責任はありません。責任はこの国の「近代」(「近代日本人」)にあります。近代思想史として、民衆意識史として(さらに中世以降のこの国の歴史意識の問題として)取り扱うべき「武士」像と、客観的研究対象としての平安鎌倉時代の武士がごっちゃにならないように研究をすすめて下さい。そのうえで平安鎌倉時代の武士の軍事力(行使)が、当時の「戦争と平和」に対していかなる意味を持っていたか、また今日の非暴力主義に立つ平和の理論と行動に対していかなる教訓と素材を提供しうるか、それが武士研究・軍事史研究の今日的課題だろうと思います。
 陳腐な意見にガッカリしたでしょうが、以上が、今私が答えうる意見です。こんな陳腐な意見しか持ち合わせていません。

 私は1年後期の講義「戦争と平和に関する史的研究ー日本古代の国家と軍制」の冒頭でベンジャミン・フランクリンの次の言葉を紹介します。

 どんな理由を付けたにしても、正しい戦争というものがあるはずがない。またどんな平和でも、悪い平和というものがあるはずがない。

 後段はともかく、前段は、真理です。また藤木久氏が著書で引用された次の東北地方のことわざも、そこで紹介します。

 七度飢餓に遭うとも、一度の戦に遭うな

 これらの「ことば」をはじめて読んだときの衝撃は、忘れられません。神戸と広島、そう遠くはありません。講義に出ませんか?

 長村さん、論文読ませていただきます。

ゴメンナサイ 

下向井龍彦
No.2827

山本さん。ゴメンナサイ。「山下さん」と書いていました。

ありがとうございました。

No.2830

 中世史の勉強だけでいっぱいなので、近代思想史まで範囲が広がってしまうと未知の分野ですが、がんばりたいと思います。もちろん先生の指摘する中世武士と近代の創った「武士」像をごちゃまぜにすることは無いと思いますが(世代な意味で)、テレビやマスコミが創るものや、また軍記物語からのイメージには注意を要すると思います。時代は変わっても、「武士」に英雄的なイメージを扶植して、創造する営みは、ありますから。ありがとうございました。

下向井先生、はじめまして

No.2831

 HPの技術担当をやっています、京都教育大学情報教育専攻4回の鈴木潤です。
 (教育大学は規模的に弱小ですので、“教育学部”という文字をみるとうれしくなってしまいました)

 当初の想定よりもたくさんの書き込みがあり、わかりにくくなっていますが、記事の投稿時に「暗証キー」を設定すると、後から削除、修正が可能になります。ページの下の方に投稿Noと暗証キーを入力する欄があります。
 投稿内容に訂正がある場合、削除したい場合など(こっそりと)ご利用ください。

 情報・技術教育が専門なので、野口ゼミの学問的な内容には貢献できませんが。ゼミ旅行の運転手やカメラマンなどでお手伝いしています。(旅行記は、地図の著作権関連が一番大変でした...)今後ともよろしくお願いいたします。

>山本さん
 僕の主観的なイメージなのですが、今の学校現場(主に中学校)での歴史教育は「武士」や「英雄」など、じっくり取り組める状況ではないような感じがしました。鎌倉時代も2,3時間ですっとばしている内容でした。
 問題は社会・歴史に興味をもった生徒・学生が、次のステップとして利用する本や教材が少なすぎるということだと思います。
 歴史に限らず、情報や技術に関しても言えることですが、授業以上の内容を調べようとすると、今はインターネットなので得たいの知れない「ニセ情報」が手に入ってしまう。武士に関する曲がったイメージもこのあたりから入り込んでいるような気がします。
 専門的な内容を小中学生にわかりやすく解説できる(質のよい)文献や人間が、必要とされているのではないでしょうか?
 京大の院生が科学技術の生徒向け解説本をつくったっていうニュースが最近ありました。まさしくこういった活動が足りてないんじゃないか?と僕は思います。

はじめまして。

平田樹理
No.2839

 下向井先生、はじめまして。
 今春に京女を卒業しまして、今は神戸大学の高橋先生のところでお世話になっています修士一回の平田樹理と申します。

 祖母の家が広島市内にあるものですから、広島には今もたびたび訪れています。宮島が夏に大きな被害をうけましたが、今現在はどのような状態なのでしょうか。心配です。
 
 野口先生もおっしゃる通り、近いうちに京女のゼミ旅行で広島へ訪れることができたら、と思います。どうぞよろしくお願い致します。

鈴木さん、平田さん、野口先生ゼミの皆さん

No.2861

鈴木さん
京都教育大の学生さんですか。懐かしいです。「学校教育学部」(広島大には最近まで教育学部が2つありました。今は合併して1つ)に赴任して2年目の10年前、はじめて大学院の門を叩いてくれたのが、京都教育大のIYくんでした。平安時代の海賊について立派な修論を書いてくれました。今は地元に帰って公立高校の先生をしています。

平田さん
私は「中区吉島」の住人です。広島にお越しの節は、研究室に寄ってください。

野口先生のゼミ生の皆さん。いくつものお便り、ありがとうございました。ほとんど誰も書き込まない「下向井研究室」掲示板があります。覗いてみてやって下さい。