藤原忠実の宇治「西殿」跡現説の報告。

No.2679

 寸暇を利用して上記(宇治市街遺跡)の見学に行ってきました。現場にはちょうど京都市埋蔵文化財研究所の上村先生、花園大学の山田先生がお出でになっており、この両先生と発掘を担当されている歴史資料館の方々から、多くの御教示をいただきました。
 新聞報道で遺跡を東西に走っている道路が紹介されていますが、これは四条宮寛子の邸宅跡と見られている矢落遺跡まで通じており、宇治の東西道の中軸をなすものだったようです。幅4メートルほどで、両側に側溝が検出されていますが、現場を見るとそのさらに4メートルほど南側にも側溝状の溝があり、小生は春日祭使の行列がここを通ったことなどを考慮すると、この南側側溝が院政期に機能していたものではなかったかと判断いたしました。そうすると幅8メートルほどになり、これが文献史料に登場する「小河大路」にあたるものと思われます。
 また、邸第の敷地において、南に建物、その北側に池庭が設定される、南高・北低の宇治の地形についての発掘担当者からの御説明には、いろいろ示唆されるものがありました。巨椋池をはさんで、北に比叡山や愛宕山を臨むところに摂関家宇治別業は立地していたのです。
 宇治市北方の浄妙寺や松殿別業や富家殿、さらに流通拠点としての岡屋津・小巨倉津など、広く宇治市域に展開している摂関家関係の故地・遺跡にたいする研究を文献・考古双方から検討していく必要性を痛感いたしました。研究を進めれば、これはきっと面白いことになるでしょう。おそらく、平泉の研究にも大きな影響を与える結果になるものと思われます。
 宇治は美川先生の御指摘の通り、まさしく「権門都市」の呼称がぴったりの空間だと思います。近年めざましい成果をあげている考古学上の発見に学びつつ、もう一度『殿暦』や『台記』をめくっていく作業が文献史学研究者の当面の課題と言えると思います。
 ほかにも、いくつか注目すべき発見があったのですが、内緒にしておきたい点もあり、また別の機会に。
 現場には、この発掘調査のお手伝いをしている学生さん達の姿も見られましたが、その中に当ゼミにも何度か出席してくれたことのある京女2回生の渡辺貴代さんがおられて、うれしい限りでした。そういえば、渡辺さんは先の浄妙寺の現説のさいにも、受付を担当されていましたね。

 >美川先生 発掘担当の方に、美川先生が見学を希望されていることをお伝えしておきました。ぜひ、お出でいただきたいとのことです。現場は20日までなら、見学可能とのことです。

 >山田先生 上記の記述について補足・正すべき誤り等ございましたら、お書き込みをお願いいたします。

Re: 藤原忠実の宇治「西殿」跡現説の報告。

No.2680

野口先生、詳細なレポート、どうもありがとうございました。
奇しくも、今日、吉川弘文館から、歴史文化ライブラリーに、
『院政と中世都市京都』といった題名の本を書け、という依頼の手紙をいただいたところです。今回の宇治の問題や、先日行った亀山殿跡とか、最近の京都周辺の発掘も注目すべきものがあり、そういう成果をもりこんでみたいと考えております。
宇治の現場には、来週の月曜日あたりに行こうと思っております。担当は、宇治市歴史資料館の浜中さんでよろしかったでしょうか。生々しい発掘現場へ行くと、なんだか、今を生きているという感じがして、とてもわくわくします。