美川圭「崇徳院生誕問題の歴史的背景」

No.2665

 美川先生の上記タイトルの御高論を巻頭に掲載した『古代文化』第56巻第10号が刊行されました。
 学界の通説となっている崇徳院実父白河院説の限界を提示し、この説が近衛天皇の死後、崇徳院の皇統を排除し、後白河・二条天皇へ皇位を継承させるようとした摂関家の忠通と美福門院の策略によるものであり、その謀略に基づく噂が忠通の子兼実にはじまる九条家に仕えていた源顕兼の『古事談』に書きのこされた。・・・というのが、この論文の煎じ詰めた内容です。
 院政期政治史に一石を投じる内容であると共に、崇徳の白河落胤説の主唱者である角田文衞先生が、この落胤説を『白河法皇』(NHKブックス)で批判された美川先生に直接電話で執筆を依頼され、美川先生がすぐさま快諾された論文であるということで、角田先生の懐の広さ、美川先生の真摯な研究者としての姿勢を世に示すものという点でも注目すべき論文といえましょう。
 なお、『古代文化』についてのお問い合わせは、(財)古代学協会(℡075-252-3000)まで。