中国山西省大同市

No.2469

中国山西省大同市から、一昨日帰国しました。

前に、山田先生が、私と植樹の関係に疑問符をつけていましたが、私自身も疑問符・・・・。
そもそも同僚の東洋史の谷口義介先生に誘われたのですが、
とにかく、簡単に行けないところに連れて行ってくれるというので、なにがなんだかわからないけれど、行ったわけです。

結果は、おもしろいのなんのって、おおげさにいうと人生観というか、世界観が変わったかも知れません。わずか1週間で。

いまの中国は世界の縮図です。
大同は北京からわずか?300キロなのですが、
まったく違う世界が広がっていました。
だいたい、大同というのは、歴史的にも重要な場所。
北魏の都が一時あったし、その関係で有名な雲崗の石窟があることはご存じでしょう。

漢民族と北方遊牧民が対峙する最前線。

しかも、日中戦争では、あの日本軍の三光作戦の舞台。
住民虐殺がいたるところであったところ。
しかも中国一の炭坑がある。

かつては、森でおおわれた肥沃な土地だったようですが、
現在は中国の最貧地帯。森がなくなって、黄土でおおわれ、
作物がとれない。

あらゆる矛盾が凝縮している場所なのです。
しかも、北京の水瓶となる川が干上がっている。
すでに黄河は渤海湾の手前で干上がっている。
北京の繁栄は、砂上の楼閣である。
もちろん、環境破壊、水質汚染も凄い。

中国はいま高度成長とバブルが一緒にきたような騒ぎで、
そのおかげで世界経済がなんとかもっている。
ところが、これが必ずはじける。
北京オリンピックのあと、どうなるんでしょう。

といった具合で、まったく頭の整理がされていないのですが、
木の苗を植える日本人のNGOの地道な活動に参加してきたのです。ろくすっぽスコップももったことのない人間ですが、
いま、日本人が中国でできることを、ほんの少しやってきた。

自分の仕事との関係でいえば、「勧農」の意味が見えたかな。

興味のある方は、下記のホームページをご覧下さい。
http://homepage3.nifty.com/gentree/

Re: 中国山西省大同市

No.2470

美川先生 おかえりなさい。

今日は史料講読の最終日なので、皆さんのレスが遅いかもしれません...
プロジェクトXでやってた「日本沙漠緑化実践協会」とは、全く別の団体なんですね。(どうしても、中国・緑化=プロジェクトXと連想しまいます(^_^;)


>高度成長とバブルが一緒にきたような騒ぎで
石炭中心から、原子力へエネルギー政策を転換するというニュースがありましたが、中国では“一つとばし”が当たり前ということでしょうか。

どっちにしても、体を動かさずあーだこーだ言う人間よりも、実際体を動かして活動できる人間が偉い...と思います。ただ、僕にはそこまでの機動力がないのでイジイジしてるだけになってしまいます...。植林する木はどんな種類のものですか?

関係ない話ですが、中国つながりということで。
LOVERS(原題は「十面埋伏」)を見ました、ラストサムライ(笑)と比べると、「あんな戦い方があるんだ!!」といろいろ感激してしまいました。時代劇に慣れてしまった僕としてはとても新鮮でした(^o^)。映画専門の山本さんに批評を聞きたい所です!!

>野口ゼミの皆様へ
 今日は突然お邪魔してすいません。急いでいたのですぐに帰ってしまいましたが、史料講読はうまくいきましたでしょうか?打ち上げの様子なども教えてくださいね♪

美川先生の「崇徳院」論文、刊行近し!

No.2475

 遣唐植樹大使・美川先生の無事の御帰朝、祝着至極に存じます。このところ、身の回りには海外で見聞を広められる方が多く、長く鎖国を続けている小生、身の置き所がありません。
 ところで、もう大昔のことような感想を持たれるかと思いますが、美川先生が中国に出かけられる直前にご覧になった亀山殿跡、小生も見学の機会を得ました(NO.2431)。あの堀は本当に興味津々ですね。
 御高論「崇徳院生誕問題の歴史的背景」も、いよいよ『古代文化』次号(56巻10号)の巻頭に掲載です。反響が楽しみです。
 小生は目下『承久記』に関する論文執筆で、悪戦苦闘中であります。
 ちなみに、承久の乱後、京方のある人物の日記が幕府に没収されたために、院に加担した人々が恐慌をきたしたという話を何かの本か論文で読んだ記憶があるのですが、何だったか思い出せません。ご存じの方がおられましたら、御教示下さい。