コラム②(やるつもりはなかったんですけどねえ)

No.2454

 夕食後に一眠りしたら、寝られなくなってしまいましたの
で、以前(だーいぶ前NO.2042参照)に書いたコラムの第②弾
を。長村くんや山本さんが喜びそう(?)なお話です。
 歴史資料館での仕事もだいぶ佳境に入り、あと二ヶ月を残す
までになりました。燈心文庫(林家辰三郎氏所蔵本)を整理し
ていると、本の頁の間から私信が出てくることもよくありま
す。謹呈本の中から、著者からのお手紙が登場するというのが
一番よくあるパターンなのですが、今日は古い本の間から一枚
の葉書が出てきました。
 現在の官製葉書よりも一回り小さい葉書には「軍事郵便」と
所属部隊名が朱で書かれており、差出人は「清水三男」となっ
ていました。
 「清水三男氏→荘園制」という図式は私でも知っていました
が、実際にその著書に触れたことはなく、研究史の中でのみ知
っているという研究者でした(勉強不足が露呈します
ね・・・)。徴兵された清水氏から在京の林屋氏への葉書に
は、時候の挨拶もそこそこに、林屋氏が調査した神社文書に自
分に関係する文書はなかったか、市史編纂はどうなっているの
か等研究に関することから、共通の友人の話題に至るまで
(「石母田くんの著書が出ますね」という一文には、佐伯さん
と二人でおののきました)、狭いスペースにぎっしりと細かな
文字で書き込まれていました。文章の殆どは研究に関する事
で、清水氏の強い想いは何も知らずに葉書を読んだ私にも、痛
いほどに伝わってきました。葉書を見付けた後で、佐伯さんか
らのお話と、著作集に収録されている林屋氏の回想を読み、清
水氏が大学院修了後の教員時代に治安維持法違反で逮捕・拘留
され、釈放の四年後に徴兵され、終戦後シベリアに抑留されて
亡くなられた事を知りました。今ある著作は、釈放されてから
出征までの四年間の間に書かれた物であることも知り、何とも
切ない時代があったのだと、改めて思い知らされたような気が
しました。
 林屋氏の回想をもとに燈心文庫を探してみると、蔵書の中か
ら清水氏の形見分けで頂いたという『新校群書類従』も見つか
りました。「差入許可」という判が押された本は、清水氏の拘
留中にご家族から差し入れられた本なのだそうです。
 私信ですのでこの先、あの葉書が誰かの目に触れる事はない
かもしれません。資料館での仕事中の一こまです。葉書の最後
に「寒さにつけ、ハイボールのなつかしいことーーー」と書か
れていたのが、言いようもなく悲しく映りました。
拙い文章で、長々と失礼をいたしました。

戦後、59年。.

No.2458

 小生の世代は、親の世代が徴兵された年齢に近いので、学生のころなどに、この世代の教師などから戦場で清水氏のような活字に飢えていた話をよく聞きました。
 それにひきかえ、今の我々は見たい論文も史料もすぐ手に入る。こんなに恵まれているのに怠惰に過ごしていて、本当に反省させられます。
 同じように、本当の戦争の経験者がいなくなって、平気で「戦争もあってしかるべし」みたいなことを言う人が増えてきた。欠乏感とか極限状況の経験とか、何世代かごとに繰り返さないと、人間社会というのはダメなのかと思ってしまいます。
 清水三男さんが、現在の研究者や学生を見たらなんと仰るか。小生など、身の置き所がありません。
 田中さんも佐伯君も、良い勉強をされていますね。

Re: コラム②(やるつもりはなかったんです...

No.2465

田中さん
ごぶさた(?)しております。
野口先生が仰っているのと同様、戦中に研究をすすめられた先学を思い、多くのことを考えさせられました。
どうもありがとうございます。