国宝・古文書・播磨

No.2383

流行にのって三語連ねてみました。
というわけで、8月20・21の見学会旅行についてご報告いたします。
8月20日は、元木先生をはじめ、関東から参加される三名・和歌をご専門とされる先生・この掲示板では有名なカリスマ編集者・龍谷・立命(どっちもR大学ですね。後述参照)・関学・京都府立・京大の講師院生(名前明かしていいのかな?)という18名が10時に西明石駅前のコンビ二に集合し、その後小型バスをチャーターして
→太山寺(本堂が国宝)
→三木城跡
→浄土寺(浄土堂・木造阿弥陀三尊立像が国宝)
→朝光寺(本堂が国宝)
→三草山合戦跡
→清水寺
→一乗寺(三重塔が国宝)
の順で見学しました。ここには国宝指定のみを書きましたが、勿論他にも見ごたえのある建造物や仏像は数多くあります。
いずれも素晴らしい!!の一言でした。
後白河天皇らの行幸があったとされる太山寺の、奥の院は小川を渡ったところにある二つの小さなお堂です。そこから見える心落ち着く風景は待ち合わせ時間を忘れるほどのものでした。
昼からは晴天に恵まれたことも見学会をより良いものとした要因かと思います。
浄土寺の堂内に差し込む光が阿弥陀像(の後光に見える)を荘厳し、朝光寺では堂内やその周囲の空間を日の光がやわらかく包み込んでいました。
清水寺は山岳寺院と呼ぶに相応しく、境内からの眺望は絶景です。いずれも、一度行かれてご自分の目で確認される事をお勧めいたします。最高です。
浄土寺は東大寺領大部荘経営の拠点だったところで、地域支配に必要な威厳を備えた宗教施設であることが実感できました。
朝光寺は周りが木に囲まれている事もあり、古寺の魅力に溢れていました。
清水寺にあった祇園女御の建立と伝える大塔跡(現在は敷石のみ)は、来年の大河ドラマで再建なるか興味しんしんです。また、駐車場東にあるとされる赤松「切腹石」。墓石・石碑はありましたが「石」はいずこ??謎は残ります。
三木城跡は土塁や堀などが残り、天守跡から周囲を見渡すと軍事拠点としての意味が少し分かったような気になりました。弓・鉄砲の狭間(復元?)もあり、R大学の先輩・同回生の方々と、かつて熱中した「信長の野望」を思い出していました。『武将風雲録』では「機動力」が重要です(先生方・京女の皆様にわかるかな・・・すいません)また、別所長治公銅像というものが建てられており、そこには史実に基づくものではない旨が注意書としてかかれてありました。教育的配慮でしょうか(笑)天守跡には長治辞世の歌碑もあり、同行の三木周辺ご出身の先輩によると、小学校時代に覚えたそうです。地域的英雄の何たるかについて色々と考えさせられました。
三草山はゆっくり登っている時間がなくバスから降りてほんの少し歩いただけでしたが、「山」ということがよく分かりました。
そして一乗寺では夕焼けのなか三重の塔を観て、小さな山の中を歩きました。最後に記念撮影。原観光のバスの運転手さん、お疲れ様です。ありがとうございました。

夜はホテルでディナーバイキング。ステーキフェアという魅力的なフレーズつきでした(このHPを欠かさずチェックしているというR大学の貴方、僕がステーキとプリンをどれだけ食べたかは内緒ですよ・笑)
その後15階のラウンジで二次会。夜景を見ながらの語らいは楽しさのあまりあっという間に時間が過ぎ、店を後にする時も僕はライトアップされた姫路城を観ていました。

21日は、パンを買ったコンビニの前でお会いした某先輩とバス停に座って朝食の間、鳩に囲まれるという経験をしました。襲われたのは先輩ではなく私でした。格の違いでしょうか。
午前中は加古川の鶴林寺に行きました。突然にもかかわらずお寺のご好意で(本来なら要予約の)、あるお堂(国宝)を拝観させて頂きました。宝物館には、白鳳期の聖観音立像が飾られていました。別名「アイタタ観音」といい、度々の受難を経験されたそうです。R大学の某先輩が持って帰りたいと言うくらい大変美しい仏様です。
その後、元木先生は学会準備のため先に博物館に向かわれ、他の参加者は広峰神社と姫路城に分かれて見学しました。
私は姫路城に登り、天守からさわやかな風をうけて城下を見渡しました。その時の某先輩の目の輝きは、さながら「信長の野望」を始めた頃の子供の如しでした(「野望」ネタ、少々くどい・・・)
そしてお菊井戸を観て、修士論文・レポートで「一枚足りない」なんてことになったらどうしよう・・・などと談笑しながら兵庫県立歴史博物館に着きました。
広峰神社に行かれたゼミ関係者がもしいらっしゃれば、書き込んでくださると嬉しいのですが、どなたが書き込まれても本HPの趣旨やゼミ員の学問と無関係ではないですし、削除される事は無いと思います。というわけでこれをご覧になった方はよろしくお願いします。
博物館に何をしに言ったかというと、古文書学会の見学会です。学芸員の前田先生の解説を頂き、中世瀬戸内の流通と交流について興味深く見学した後、館蔵の古文書を見せていただきました。実物をガラスケースなしに見る機会はそう多くないので、貴重な経験でした。
帰りの電車で電気系統のトラブルとかなんとかで尼崎に二十数分間留め置かれた以外はさしたるトラブルも無く家に帰り着きました。

二日間という短い時間でしたが、これまでお目にかかったことの無い方にも親しくお話をさせていただいたこともあり、見学先についてもここには書き尽くせないくらい充実した見学会でした。
最後になりましたが、今回の素晴らしい見学会のルート設定やバス会社との交渉など様々にお手を煩わせご指導頂いた元木先生にお礼を申し上げねばなりません。
そして道中拙い幹事である私を手伝ってくださり、ご配慮頂いた皆様にも感謝申し上げます。
どうもありがとうございました。

バッテリーあがりを防ぐために。

No.2384

 長村君。見学記をありがとうございました。先般の一ノ谷・壇ノ浦のときと同様、興奮が伝わってくるようです。見学先はもちろんですが、最近とみに胃腸の弱くなった小生としては、それにも増して貴兄の食欲がうらやましい(体調の不調を口に出している奴ほど図々しく長生きをするという有力な「学説?」もありますが)。「食」に制約があると、旅行も宴会も楽しさ半減ですから。
 それにしても、浄土寺とか三草山など、これから是非行ってみたい所です。先日、愛車を6ヶ月点検に出したところ、バッテリーのためにも、もっと乗ってくださいと言われましたので、今秋は日帰りで近江・丹波・播磨・大和・伊賀・伊勢・紀伊のあたりを走破したいと考えております(ちなみに、この書き込みのタイトルは、階級闘争史観華やかなりし頃の論文タイトル<あるいは副題>みたいですね)。
 長村君、こっちの方でも幹事をよろしく。
 
 なお、兵藤ゼミの箱根ツアーに参加している門屋君からも、箱根神社・曾我兄弟の墓・芦ノ湖など見学の報告が届いているようです。

Re: 国宝・古文書・播磨

No.2385

 長村君、詳細なレポート有難うございました。付け加えることはないのですが、裏事情や、今度ご旅行される方のための情報などを記しておきます。
 
今回の旅行は天候にも恵まれ、本当に充実した旅行でした。旅行に際しては、大手前大学(元県立博物館学芸員)の小林基伸氏のご尽力が大きく、コース選定のアドバイス、バス会社のご紹介を頂きました。
 また県立博物館の前田徹さんの懇切なご案内、貴重な古文書の展示といったご尽力がなければ、今回の企画自体がなかったと思います。小林・前田両氏に心よりお礼を申し上げたいと存じます。

 今回は東京からの参加者をお迎えする意味もあって西明石集合としましたが、太山寺は神戸地下鉄の名谷駅が最寄です。車で行かれるなら、近隣の山田の里(無動寺、六条八幡、箱木の千年家)、優れた三重の塔や平安の仏堂のある如意寺、高い三重の塔のある石峰寺などを回られると良いでしょう。
 ちなみに太山寺は、「伊豆国在庁時政法師子孫の東夷等」で始まる護良親王の倒幕の令旨を所蔵していることで有名です。予め手続きを踏めば見学も可能なはずです。他に、播磨守護梶原景時の地頭補任状などもあり、中世文書の宝庫といえます。

 三木城跡は景色の良い丘の上。あの長治像は「銅像」ではなく、割とちゃちなコンクリートでした。それにしても歴史的実態とは無関係と開き直る説明版には苦笑させられましたね。これからこういうのが増えそうです。なお、三木出身の伊藤君は長治の辞世を「小学校で覚えさせられた」との事でした。
 
 ついでに余談。原観光と最初に交渉した時、食事は小野市内のレストランを推薦してきました。しかし、そこに立ち寄ると見学先一箇所の割愛を余儀なくされるとの事。向こうは三木城の割愛を勧めて来ましたが、そこは「今回は史跡見学であり、グルメツアーではない。見学先をカットして美味い者を食するは本末転倒」と拒否いたしました。というわけで、昼食はバス内で買い込んだパン、弁当ですませる羽目に・・・。まさに断腸の思い?集合場所前のファミリーマートの弁当が出尽くしてしまいました。なぜかシーチキンおにぎりだけがたくさん残っておりました。

 浄土寺のすばらしさは申すまでもありません。当日は快晴の午後、西日が入りそれなりの趣がありました。西の蔀戸から入る陽光が、三尊を空中に浮かぶかのように見せるさまは夕方がすばらしいようです。真西に日が沈む秋分の日の夕刻が狙い目かも。この浄土寺の西一帯が大部荘でした。京にあっても仰天させられる、こんな見事な仏像を見た農民が「大仏の寺奴」になるのも当然かも。
 寺の周辺には小さな食堂もあり、小人数の旅行なら食事は問題ありません。また、12時から1時間、昼休みとの事で見学は出来ないようです。ご注意ください。

 朝光寺は本当に森の中に忽然とあらわれる国宝建築で、寺の由緒も今はよく分からないとか。しかし無防備で国宝が放置されて、放火でもされやしないかと不安になりました。場所はわかりにくく、行かれる時は地図をよくよくご確認ください。
 なお、その途中に義教の首塚のある安国寺もあります。

 三草山はとくに何もなし。古戦場については『宝塚市史』のように摂津能勢説もあり、痕跡がないのも致し方ないのかも。ちなみに反対側のふもと、清水寺の帰りに通った国道372号線には、源平合戦を模ったコンクリートのモニュメントがあります。ちなみに、5月ごろ行くと、西は赤、東は白のツツジが咲き誇っているそうです。

 清水寺は、祇園女御をはじめ、清盛、後白河、頼朝が建物を寄進した伝承があり、京からも注目されていたようです。残念ながら明治末、大正初期の二度の大火で古い建物は失われ、新たに再建された建物ばかりです。しかし、あの景色の雄大さは山岳寺院ならでは。心が洗われました。たまたま編纂所に持ち出されて火災を免れた古文書に、但馬から摂津まで寺領だったとあるのも、むろん事実ではありませんが、あの景色を見ると分かる気がします。なお、同寺には坂上田村麻呂寄進と称する直刀3本があります。近藤先生のご意見を聞きたかったところです(展示は写真のみ)。
 赤松の石碑を見ようと、何名かの者が自動車専用道路を突っ走り、結局徒労に終わったようです。実は、あそこから一乗寺は遠く、道路事情が悪くて、時間がぎりぎりだったのです。あのような勝手なことをする不埒な奴らは、山に放置し、修行させるという手があったのですが。
 というわけで、清水出発は10分余り延。そこから山を降りるのが大変な上に、加西に通じる国道372号線は途中で社町の中心部で曲がりくねり、用地買収を拒む家のために一車線の箇所もある始末。地図では近い距離ですが、車でも1時間は見ておく必要があります。
 なお、途中には住吉神社があり、重文の社殿もあります。同社の勢力が及んだことを物語ります。時間があればぜひお立ち寄りください。また、加西では北条の石仏、古法華の石仏など、優れた石仏が多数あります。一乗寺とともにぜひ見学したいところです。

 一乗寺は本堂が工事中、三重の塔を写すベストスポットも立ち入り禁止でした。これが今回の旅行唯一の失望でした。ともかく、承安の年紀を持つ塔は見ものです。宝物館もありますが、公開していないようです。

 姫路の宿は、杉橋先生に教えていただいたインターネットの予約サイト「旅の窓口で」調べ、予約しました。小林氏によると、駅北のサンルートは老朽化しており、駅南のOは安いが危険だそうです。
 我々が泊まったサンガーデンは姫路では高級な宿で、本来は安くありません。ところが旅窓で予約すると、5~6000円!さすがに姫路城の見えない方角でしたが。また、隣室の音が聞こえ、唖然とさせられました。
 
 鶴林寺は加古川からタクシーで1200円ほどです。歴史散歩に徒歩20分とありますが、歩いていたら大変でした。
 国宝の本堂の前にやはり国宝の太子堂、常行堂が並ぶ姿は見事です。また宝物館も名宝が多く見逃せません。ただし、入山量のほかに別途入館料金をとられますのでご注意ください。
 今回は所用があったので急いで姫路に帰りましたが、南に歩いて尾上神社等、高砂の史跡を見学するのもお奨めです。

 最後の古文書学会の見学会。42名もの参加者があり、誠に盛会でした。東京から古文書学会の中尾会長以下立正大の方々、旅行にも参加された軍忠状研究の漆原徹さんやご友人の方々、また三重の岡野友彦氏や鳥取の日置氏なそ各地の研究者が多数詰め掛けられたのには驚かされました。博物館の日ごろからの活動が評価されたのでしょう。もし、閑古鳥が鳴いたらどうしよう、という杞憂を吹っ飛ばしてくれました。 
 承暦の年号を持つ文書をはじめ、安積、肥塚(広峯神社)の軍忠状や新規購入の後鳥羽院庁下文写し、政宗書状など、見応え十分でした。参加各位はぜひ、感想、興味を引かれた文書などを紹介してください。

 実は今回の旅行、10日前のぎっくり腰が完治せず、前日山道を歩いたのが応えたらしく、博物館で長時間立ったまま説明を聞いているうちに痛みがぶり返してきました。さりとて説明して頂いているのに座るわけに行かず、もう古文書どころではありませんでした。
 またバス旅行も色々な方々が18名も集まり、折角お越しいただいた方のお相手もせねばならず、かなり気を使いました。

 しかし、多くの方が集まっただけに、研究者相互の新たな絆もできたようですし、何よりも参加者が深く感動されたようで、多くのお礼のメールなどを頂くと、痛みも疲れも忘れる思いがします。
 何より、今回の成功の大きな要因は、パンフつくりを担当し、当日の幹事役として活躍してくれた長村君の尽力にあります。心から賛辞を送ります。
 この調子で論文もご健闘ください。

 という次第です。野口先生、播磨にお越しのときはご一報ください。

 なお、10月30日土曜に近藤先生と、河内源氏の史跡見学を予定しております。興味のある方はぜひ御参加ください。
 夕食は、190センチ100キロ、パンチパーマ、柔道黒帯、大阪工大高でラグビーフォワードだったというすごい親父の、うまい焼肉屋に行く予定です。ムフフフ・・・ 酒呑童子より。
 興に任せてえらく長くなりました、申し訳ない。
 

Re: 国宝・古文書・播磨

No.2386

野口先生
是非お供させてください。幹事は、させていただくたびに駄目っぷりを発揮しておりますが・・・、承りました。
お礼がおくれましたが、下の大庭御厨関連でもご教示いただきありがとうございます。、

元木先生
私が古文書学会で興味深かったのは後鳥羽院庁下文です。案文とは言え実物を見たのは初めてで、『鎌倉遺文』未収録ですから、院政期に関わりある院生(野口先生がうつってしまいました・・・)である私は、ほとんどの時間にらめっこしていました。

10月30日の河内源氏見学会も是非参加させて下さい。
焼肉屋さんも楽しみです。ムフフ

お礼・近況・お願い。

No.2387

 元木先生、ありがとうございました。「播磨の中世を歩く」とか題して、どこかの出版社に売り込みたくなるような、楽しくて役に立つお話しに感謝します。
 ところで、小生、姫路のサンガーデンに所定の料金で宿泊したことがあります。チェックアウトの時、隣で支払っていたビジネスマンの料金が半額に近いので、これはホテルの系列企業の人か何かではないかと考えて無理に納得したことを思いだしました。
 
 >管理人のプリンセスと王子様 当掲示板には著名な研究者による評論や、学説にたいする批判など、重要な内容をもつ書き込みがしばしばなされますので、その著作権についても検討が必要かも知れませんね(ゼミの資金源になったりして?石浜さん如何でしょうか)。

 などと言って、ゼミメンバーの楽しい書き込みに制約をくわえようとするものではありません。♪や☆、はたまた(爆)のようなメール符号のついた書き込みもドシドシお願い致しますよ・・・(こればっかりを、楽しみにしている「視聴者」もおられますし)。

 目下、法住寺殿と平家をテーマにした論文に取り組んでいます。行き詰まったとき、必ず助け船を出してくれるのが元木先生の論文です。こんなところで恐縮ですが、あつくお礼申し上げます。ゼミメンバーの院生の諸君もちゃんと元木先生の論文を読み込んで頭脳に刻み込んでおくこと!

 河内源氏の史跡、壺井八幡宮や通法寺にはまだ行ったことがありません。小生もぜひ機会を見て訪れたいと考えています。
 ただ、「ムフフ」の方は、残念ながら我慢しなければならない身の上です。こればかりは、胃腸も頭脳も強健な長村君に一切お任せ致します。

 執筆中の論文が終わったら、つぎは『慈光寺本承久記』に見える東国武士の人名に関わる論文にかかる予定です。要するにこの本の史料としての評価を目的にしたものですが、国文学御専攻の方で、この問題について参照すべき先行論文をご存じの方がおられましたら御教示いただきたくお願い申し上げます。

 ※ 小城ゼミ旅行(人呼んで「羊羹ツアー」)の報告書、本日提出致しました。幹事さん御苦労様でした。

播磨の旅・補遺

No.2388

まずは、バラシから。私は長村さんがステーキの三枚目を平らげるところを目撃しました。
で、廣峰神社ですが、姫路駅からタクシーで30分程。麓までバスで行けるそうです。(実際に、麓までバスで来、そこから神社まで歩いて登ったという法政大学の院生に出会いました。彼によると、徒歩10分だそうですが…。)神社からは播磨平野から家島諸島が一望できました。天気がよければ、淡路島なんかも見えるようです。まるで姫路城の後の堅めといった感じのロケーションです。ただ、どなたかが話しているのを小耳にはさんだのですが、城郭といったものはない云々ということでした(勘違いかもしれません)。

播磨の旅・御礼

平田樹理
No.2389

 私は21日のみ参加させていただきました。
 元木先生、先日は大変お世話になりました。幹事の長村君にもご迷惑をおかけしました。この場をお借りして、御礼を申し上げたいと思います。鶴林寺、廣峰神社(←姫路駅から遠く、山が険しいため足を運びづらい)に行けたこと・前田先生の解説付きで特別展示を見学できたこと・生の古文書を見せていただいたことなど、貴重な体験をすることができ、有難く思います。本当にありがとうございました。

播磨の旅 ご苦労様でした。

No.2391

 小城旅行以来、卒論モードになかなか戻れない鈴木潤です。

 とても長い書込みから、旅が有意義なものだったのだと伝わってきました。みなさんお疲れ様でした。
 小城旅行であまった18切符があるので、それを利用して揖保川町や龍野市をぐるっとまわって、プリンセスにゆかりのある「永富家住宅」等を観光しようかなと計画中です。掲示板は播磨あたりがブームになりそうですね☆
 
 素泊まりなどは、やはり「旅窓」が基本ですね。小城旅行の宿も旅窓での検索での結果だったと思います。キャンセル料も前日まで取られないのと、旅行会社への割当てと別口なのでローソンのLoppiやみどりの窓口でもダメな混雑時でも空室があったり、よく利用します。
 窓口でのやりとりが「超」苦手な僕にはとてもありがたいシステムです。

 掲示板の著作権に関しては、投稿者それぞれに投稿内容に関する権利があります。(掲示板の内容をまとめて勝手に出版した著者&出版社は訴えられ敗訴が確定しています。)ということなので、いわゆる「おカネ」にはなりにくそうです。
 一般的に、投稿者の許諾を得ることができれば、掲示板の内容の出版は可能らしいです。(もし、ここに内容が勝手に転載または出版されていれば、著作権の侵害です☆)

 胃腸虚弱に関してですが、野口先生と同い年(だったと思いますが)の僕の学科の教官が、先生と似た症状で苦しんでおられました。学校の検診で軽い十二指腸潰瘍が見つかったそうです。
 たまたま来られた先生が、京女の前の専売病院の先生で胃腸の専門家だったそうで、その後人間ドック&数日の入院で、食欲不振やその他もろもろが嘘みたいに治ったとの事でした。先生にも、ゼミ旅行などでおいしいものをたくさん食べていただきたいので、参考事例として書いておきます。
(ちなみに、この先生は「教育大なんていてられるかー」と今は宮崎大学工学部に転勤されました...。)

 P.S.プリンセスは大津市歴史博物館で博物館実習中です。

催促・慫慂・羨望・私用。

No.2392

 >石浜さん お久しぶりです。『編集者は見た!!』ですね。ところで、「催促」できる立場でないことは、重々承知しておりますが、書籍出版に際して発生するミスの原因についてのお話のつづき、楽しみに致しておりますので・・・。

 >平田さん 見学会で見聞を広められ、おおいに研究意欲を高められたことと思います。「天養記」講読に際して、たとえば相模国守に白河院の直属武力を構成する藤原盛重・源重時があいついで補任されたり、同国の二宮河匂庄が仁安の頃に相模守に在任した藤原盛頼の縁者だった京極局(俊成の娘)から八条院に寄進されているなとどいった、御研究に関連のある興味深い事実がありますので、出来ますれば、こうしたことについても報告の際に関説していただければと思います。

 >鈴木君 ご心配をいただいて、ありがとうございます。小生の場合、食欲はなくはないのですが・・・。佐賀では、しっかりと、本当に美味しい海の幸や牛肉、それに羊羹を堪能させていただきました(田中さんの御家族および村岡総本舗の村岡さんの御配慮に感謝します。)。ただ、長村君のようにステーキを3枚もたいらげたりすると(長村君の年齢の頃には、5枚は軽く食べられたと思うのですが)、あとで大変な事態となります。これが非常に苦痛なわけですね。いろいろ問題はあるのですが、いずれにしても食事の量には気を遣わなければなりません。
 京都教育大はとても良い大学だと思うのですが、宮崎の自然も素晴らしい。小生は鹿児島在住の頃、週一度、宮崎産業経営大学に出講のために愛車(当時はカムリ、ついでビスタ)を駆って霧島高原を横切る宮崎自動車道を疾走しておりました。都城あたりから臨む高千穂はまことに神々しく、往復三百数十キロのドライブは実に爽快なものがありました。また、日南海岸のドライブも最高。湘南海岸なんて・・・っていう感じでした。宮崎大学に異動された先生も、素晴らしい自然に囲まれて体調万全のことと思います。
 小生の場合は、やはり京都が研究環境としては最高です。ただ、季節によって転地学問が出来たら、と思うことはありますね。ドイツのデュッセルドルフにある工学系の大学の教授に知人がいますが、この人によるとドイツの大学は一年のうち約半分が授業期間で、この間はしっかり学生の指導にあたりますが、残りの半分はすべて自分の研究と充電に使えるそうです。ですから、彼はこの間に日本に旅行に来たりして、先般は、ニュージーランドで妻とおちあうとかで、成田からウェリントンに飛び立っていきました。見送りに行くと、ビジネスクラスのゲートに並んでいましたっけ。
 理工系はインターナショナルですから、鈴木君もそのうち一旗揚げて、ドイツの大学にでも行ってみたらどうでしょうか?
 さすれば、プリンセスもお慶びのことでしょう。
 そのプリンセスは、博物館実習ですか。小生は1972年の夏に鎌倉市立鎌倉国宝館で実施。いろいろ失敗をしでかして、指導に当たってくださった学芸員の三浦勝男先生(のちに、館長)に大変御迷惑をおかけしたことを覚えています。そんな小生がのちに「主任学芸員」などというポストに就いたのは人生のジョークというほかありません。
  
 博物館で思い出しましたが、
 >元同僚の山田先生 メールを再度ご確認下さいますようお願いいたします。

 >2回生諸姉 お元気ですか?秋にはアルバイトをお願いしますから。 

10/30河内ツアー計画

No.2393

 先般は長々と失礼致しました。他人の旅行話は余り聞いても面白くないもので・・・。
 それはともかく、10月30日土曜に近藤好和先生との河内見学、野口先生にもぜひ御参加いただきたいと存じます。誉田八幡が土曜のみ宝物公開との事で、曜日が土曜に限定されますが、日程はまだ暫定的なものです。野口、近藤両先生のご都合を勘案して最終的に決定したいと思います。
 参加者で運転できる方が多ければ、レンタカーを利用して付近を回っても良いですし、10名を超えるようならバスをチャーターする方が良いかもしれません。
 車を利用するなら、少し駆け足になりますが、河内観心寺、金剛寺など、南北朝の史跡見学も出来るかと思います。また改めてご相談したいと思います。
 コンパは大阪市北区堂山町の焼肉味楽を予定。タン、ハラミのうまさは抜群。

19の夏。

山岡  瞳
No.2396

>野口先生
 ご無沙汰しております。小城旅行以来でしょうか?今まで確実に一週間に一回はお会いしていたので、その感覚のまま今日になってしまい、すっかりご無沙汰してしまいました。
 ここ最近は猛暑にも負けず、といってもクーラーの部屋なのですが・・・、天養記の予習に励んでいます。辞書とにらめっこ(格闘もしつつ)しながら予習中です。図書館と家との往復がつらいです。特に女坂!!途中で休憩を入れたくなります。そんな感じで元気に毎日過ごしています!!!
 
 アルバイトの件よろしくお願いします。

>永富さん
 博物館実習頑張ってください。後でいろいろ聞かせてください。(今のところ2年後行く予定です。)
 

独身最後の夏

笠 露子
No.2400

↑に、皆様とご一緒に小城旅行へ参加させていただいたわけですが、
7・8月にかけて石橋美術館で小学生・中学生相手に絵の解説をする
トークボランティアをやってまして、今日で私の出番は終りでした。
私が担当したのは青木繁の「海の幸」です。
幼稚園児から中学生まで幅広い年齢層の子どもを前に苦悩したり、
大人数の小学生団体を前に声を張り上げたり(苦笑)
毎回毎回勉強になることだらけでした。

先日は博物館実習に来てある学生さんが見学されてました。
トークが終り、実習生の方にも様々な意見を頂戴しました。
そんな実習生の話に耳を傾けながら、2年前に実習したときのことを
懐かしく思い出しました。
ちなみに永富さん。私も大津市歴史博物館で実習でしたよ♪
琵琶湖汽船のポスター調書を作成したり、
仏像に関する熱い講義を受けたりしました(笑)

それから30年目の夏。デンデケデケデケ♪

No.2401

 笠さん今晩は。小城に行ったのは、もうだいぶ昔のような気分になってしまいましたね。
 青木繁の「海の幸」は石橋美術館にあるのですか。あの絵はわが故郷の千葉県の房総半島の先端、館山市の近くの布良海岸の情景を描いたものと聞いたことがあります。絵も肥前千葉氏みたいに西遷しちゃっていたのですね。
 独身最後の夏ですか?小生のそれは1974(昭和49)年でしたね。修士課程の2年の時。このころは、少しばかり勉強をしていたようです。例の重要文化財の手帳によりますと、この夏の8月24日(土)、奇しくも小生は、某人と布良の海岸に行っております。あとは進学塾でバイト三昧だったようです。
 昭和は遠くなりにけり・・・、であります。

 ところで、団塊世代の青春時代に関心があり、夜更かしで、暇をもてあましているという関西在住の方は、今夜の深夜2時25分から毎日テレビで放映される映画「青春デンデケデケデケ」(監督・大林宣彦)を是非御覧下さい。舞台は香川県の観音寺。小生よりちょうど一年上の世代の話ですが、あのころの若者の気持ちをよく伝えている作品だと思います。
 実は小生も大学に入ってからですが、バンドに参加していたことがあるのですよ。