請う、法金剛院の現地説明会のレポート。

No.2276

 本日午前、花園の「法金剛院」旧境域において、発掘調査で検出された池庭遺構に関する現地説明会が開かれました。法金剛院は、かの角田文衞先生の御著書で有名な待賢門院璋子(鳥羽中宮)の御所のあったところで、背後の五位山には彼女と彼女の娘・上西門院統子の陵墓もある、まさに女院たちの空間といえるところです。
 小生、大いに関心があったものの、体力不足にて、残念ながら行く事が出来ませんでした。そこで、どなたか出かけられた方にレポートをお願いできれば幸いとするところであります。なにとぞ、よろしく。

法金剛院の現地説明会のレポート。

No.2277

昨日、平安京右京一条四坊十三町跡発掘調査現地説明会へ行ってきましたのでレポートします♪

 当地は、平安時代後期、鳥羽天皇の中宮待賢門院璋子が建立した法金剛院の旧境内地跡に隣接した場所です。西京極大路をはさんで、平安京外に法金剛院、平安京内に今回の調査地があるという位置関係です。1995年から1996年にかけて、(財)京都市埋蔵文化財研究所によって発掘調査が実施されており、法金剛院の旧境内地跡より三重塔や御所跡、園地、門の地業などが確認されています。
 今回の発掘調査で発見された主な遺構は、池跡です。池の汀がとてもきれいに検出されていました。池は12世紀前半から中頃に成立したと考えられています。汀の勾配や意匠からなどが、法金剛院旧境内で発見された園地とよく似ていること。『中古京師内外地図』の当概地に「待賢門院ノ仁和寺殿」「法金剛院ノ仙洞」と書かれていること。また、『中右記』『長秋記』『百練抄』などに法金剛院境内の御所以外にも新造された御所が近くにあったことなどから、今回検出された池は、法金剛院に関わる御所の施設に伴う園地である可能性が高いと発表されました(以上、現地説明会資料を要約)。
 現地説明会修了後、野口孝子先生と御堂関白記講読会のみなさまと、周辺を散策しました。JR線を渡ったところにある墓地は、一段周囲から高くなっています。これは法金剛院の園池の築山の跡だそうです。孝子先生からは、築山の空間としての性格をレクチャーしていただきました。その後は、法金剛院を拝観しました。今は蓮の花の最盛期で、法金剛院の池は蓮で覆いつくされていました。境内にある「青女の滝」は、1970年に埋没していた滝の石組みを掘り起こし復元されたものです。滝水を引いて遣水をつくり池にそそぐようになっています。誰が作ったかがわかる日本最古の滝組です。最後に、五位山の麓の待賢門院璋子の陵に参り、充実した半日を過ごしました。
 徐々に明らかになっていく法金剛院の姿ですが、今までは大きな寺院というようにとらえられてきたように思いますが、これからは院御所としての機能をもっと論じられるべきだと思いました。

法金剛院と待賢門院璋子。

No.2279

 山田さん、ありがとうございました。そういえば、今日はキャンパスプラザで山田邦和先生の鴨川に関する御講演のある日でしたね。たしか、当ゼミから尻池さんが聴講に行っていることと思います。
 なお、法金剛院と待賢門院璋子については、当ゼミ推奨HP「平安京探偵団」に適切な紹介がなされています。
 http://homepage1.nifty.com/heiankyo/tai.html

 ゼミメンバーの院生・学生さんたちも、せっかく京都にいるのですから、京都市埋蔵文化財研究所などによる現地説明会の情報を京都新聞などで積極的に仕入れ、どんどん見学に行って欲しいものです。

 ※ ついでながら、待賢門院璋子所生の崇徳天皇が、鳥羽院の子ではなく白河院の落胤であるとする角田文衞先生の説はすでに通説化していますが、これに対して、当時の政治状況を踏まえた新たな見解を示された美川圭先生の論文が、近く『古代文化』巻頭に掲載される予定です。