出張講義と宗像・対馬・壱岐の歴覧。

No.2271

 17日に福岡市の中村学園女子高校において、「武士の都としての平安京・京都」というテーマで出前講義をしてきました。初々しい生徒さんたち(と先生も)が目を輝かせて聴いてくれて、行った甲斐がありました。一人でも京都の大学を目指してくれれば良いと思う次第です。
 この日の午後、近くにある福岡市美術館で、思いもかけず長年の想い人に邂逅することが出来ました。以前、訪れたときは面会が叶わず、福岡市博物館の方にでも収蔵先が変わったのかと思っていたのですが、松永コレクションの展示室の正面に彼女は展示されていました。かつて京都文化博物館の歴史展示室に歴史情報サービスのコーナーがありましたが、そこで「京女」を検索すると現れた彼女。「家富み、食豊かな」あの「七条わたりの借上」の女性です。今なら銀行の女性頭取かサラ金の女社長か?出前授業でも話したばかりでしたから、感激は一入でした。
 出張講義、次回は11月に兵庫県加古川市の県立高校に行く予定です。

 福岡に出掛けたついでに、宗像大社・対馬・壱岐を回って参りました。宗像大社は沖津宮・中津宮・辺津宮の三宮で構成されますが、今回行けたのは九州本土にある辺津宮のみです(三宮で祀られているのは全て女神なのですが、例によって沖津宮は女人禁制です)。辺津宮の祭神は市杵島姫神で、どうやら厳島と結びつき、平家の信仰もあつかったことでしょう。神宝館には沖津宮のある沖ノ島から発見された祭祀品が展示されており(沖ノ島における祭祀の状態については、佐倉にある国立歴史民俗博物館にも展示室が設けられています)、また、「宗像大社文書」も圧巻でした。
 対馬・壱岐はレンタカーで回りましたが、思いの外広く。山がちな対馬に比べて、壱岐は比較的平坦で水田も多く、農業生産力はこちらの方が高そうで、認識をあらためました。元寇の際も、壱岐の方が内陸部まで蹂躙され、民衆の被害も大きかったようです。元寇遺跡には、やはり近代の国策がもろに反映していました。対馬の殉国の英雄は宗助国、壱岐では少弐資時です。宗氏は鎌倉時代の中期、大宰府の権力を背景に対馬在庁の阿比留氏を追討して領主権力を確立して以後、実質的に対馬島の王のような立場に立ったような印象をもちました。厳原の万松院にのこる近世の宗家墓所は立派なものでした。
 ちなみに、宗氏が平知盛の子孫を称していることはよく知られていますが、地元には安徳天皇の子孫だという説もあり、厳原の久根田舎というところには宮内庁指定の安徳天皇陵墓参考地があるというので、一途に確認して参りました。
 壱岐は内陸部にも「千人塚」という、蒙古襲来の際に殺害された島民の墓所が各所にのこっていました。また、1019年の刀伊の入寇の際の戦跡も比定地が明確です(対馬では、刀伊の入寇に関する遺跡は確認出来ませんでした)。

 ほかにも壱岐の原の辻遺跡など多くの見学・調査ができましたが、詳細はいずれ別の機会にまた。それにしても、生来の虚弱体質がたたり、現地では痢病発動。帰洛後は疲労による帯状ヘルペスの再発、と情けないこと限りなく、ゼミ旅行の際はメンバーにご迷惑をおかけすること必定のようです。

 ☆ 卒論報告会、長村君・平田さんとも大いに得るところがあって幸いでした。

 ☆ ゼミ旅行の方は、着々と準備が進んでいるようで、ありがたいことです。

『戦場の精神史』書評。

No.2272

 佐伯真一先生より時事通信社配信と読売新聞7月18日付掲載の『戦場の精神史』書評をお送りいただきました。あつく御礼申しあげます。本書について当掲示板に書き込みを頂いている方々や、元木先生の研究会で書評を担当する予定の長村君には小生よりコピーをお渡ししたいと思います。
 なお、書評の内容ですが、時事のものより読売の方が、小生には面白く思えました。

Re: 出張講義と宗像・対馬・壱岐の歴覧。

No.2278

野口先生
出張講義のお話、興味深く拝読いたしました。本物の学問は高校生にもその面白さが伝わるということですね。
佐伯先生ご著書の書評コピー、ありがとうございます。楽しみにしています。
ところで、昨日から大学のactivemailにつながりません。もしご連絡くださっている方がいらっしゃいましたら申し訳ございませんが、ご了解ください。

京都大学のネットワーク障害

No.2280

http://www.kuins.kyoto-u.ac.jp/によると
落雷によるネットワーク障害ということでした。

急な大雨や落雷が多いですが、パソコンおよび電子機器には雷による電力の変動が大敵ですので、レポート提出間近の時などは用心してください☆(コンセントから抜けばOKです)