ちょっとした浦島太郎気分です(笑)

笠 露子
No.2242

最近ネットから遠ざかった生活をしていましたが、
いつの間にかゼミ旅行が佐賀県小城に決まったそうで。
しかもその前には伊豆方面という案だったなんて
この掲示板はホントに目が離せませんね(^_^;)

さて、8月8~10日にこちらへいらっしゃるそうですが
8日は私も合流させていただきたいと存じます。
場合によっては9日にも参加できるかも知れませんので
皆様どうぞよろしくお願いいたしますm(_ _)m

出てこい、出てこい池の鯉(笑)

No.2244

 笠さんこんばんは。ゼミ旅行で小城が目的地に選ばれた理由の一つは笠さんとの邂逅にあったので、メンバーも大喜びのことと思います。
 このところ、ゼミメンバーは、① 前期期末試験(とくに野口のレポート) ② 卒論報告会 ③ 自動車の教習  ④ 複雑な人間関係の軋轢? 等々に追われて多忙を極めているようで、なかなか当bbsにお出ましになられません(二重敬語)。しかし、ここはお勉強の場ではなく、むしろ息抜きの場でありますから、ぜひ「逃避」にお出まし頂きたいと存ずる次第です。
 さて、ゼミ旅行の事前学習についてですが、本日、小城・肥前千葉氏に関する研究成果の検討と紹介に関する指導者の任を「越前斎藤氏」の研究で有名な山本陽一郎兄にお願いいたしました。今回のゼミ旅行で肥前千葉氏に関する新たな研究者が学界にデビューすることを期待するところです。

出てきた池の鯉です。

No.2251

 笠さんお久しぶりです。去年の年末に行ったカラオケで、危うく「あやや」を歌わせられるところだった山本です。笠さんのご指摘のゼミ旅行急変の事態については、夏休みのシーズン中の伊豆は当然料金も高くなってしまい、佐賀小城に変更とあいなりました。幸い田中さん・門屋くんが幹事職を引き継いでもらいました。
 去年と違い、生活が急変したため、書き込みも筆(ネット?)不精となってます。でもさすがに↑の先生の書き込みから出てきてしまいました(餌は論文コピー)。幹事ではご迷惑をおかけしましたが、事前学習会では名誉挽回でがんばりたいと思います。

得宗専制期の将軍の気分です(笑)

No.2252

 そもそも「で~てこい、で~てこい池の鯉♪」なんて唄は、ゼミメンバーでは長老の山本君くらいしか知りませんよねぇ。
 にもかかわらず、「先生が鯰とかメダカだと言っているのに、自分で鯉を名乗るなんて、山本さんたら~」なんて御注進に及ばんとした方もあるとかないとか?
 かの、某大先生なら「無礼者め」と一刀両断でしょうか。
 しかし、論文コピーの餌があったとはいえ、出てきてくれたその忠節心には感謝です。ほかのメンバーはこのさい『葉隠』でもお読み下さい。
 ゼミ旅行では、佐賀で一同浄衣に身をあらためて山本常朝の墓所を参拝しますかね。それにしても、「山本」というのは忠義の名字なのでしょうか。
 いずれにしても、山本陽一郎兄の「鯉の滝のぼり」のような人生の展開を期待したいところです(このところ、兆候があらわれていますよね)。

 >田中さん  上記のようなことを言っているので、すでに呆れられておられるかと思いますが、小城町立歴史資料館の古庄さんに、ゼミ旅行の件、お伝えしておきました。

 >元木先生  「東国武士論」の件、藪蛇でした。豊中で行われた文化財講演会「承久の乱と猪名川の水辺」でのお話、そのうち是非お聴かせ下さい。

呼ばれて飛び出て

No.2253

笠さん、お久しぶりです。
お会いできるとしたら、山本さんのあやや以来でしょうか。

本業の方の、公開講座「中学生にもできるロボット製作」での講義準備と講師のほうで、7月に入ってからばたばたと忙しくしていて、なかなか書き込む暇がありませんでした。

気がつけば、小城旅行の準備も着々と進んでいて
僕も参加するんだったっけ?とも思ってしまいます。(^^ゞ

先日は山岡さん宅へ電話工事に行ったのですが(工事といっても線をつなぐだけ)
やっぱり若いっていいですね。山内さんと協力して完璧に接続は出来ていました。「ケーブルってここでいいかな?いっちゃえ、えーい☆」と山内さんが接続してくれたとの事でした。歴史の研究ではどうかわかりませんが、コンピュータを扱う上では大事な態度です。大胆さと臨機応変に問題に対応できる能力が、これからの情報活用能力といった所でしょうか。

ここのところ、MLのサーバの調子が悪く、特にezWeb宛メールが遅延or未着という状況です。旅行の連絡等で行き違いがあったらしいのですが、申し訳ありません。>みなさま

ぴっちぴち☆

永富絵里子
No.2254

野口先生>「鯉」というより「金魚」になって出てまいりました!
はやく金魚鉢を脱出して「金の錦鯉」になりたいところです。(鯉ヘルペスには要注意ですが・・・☆)

笠さん>おひさしぶりです。春の九州旅行に引き続き、夏も九州でお会いできることになろうとは。。。予想していなかったです(笑)
とはいえ、春はあまりゆっくりお話することができなかったのでとても楽しみです♪

猪名川一件、九州旅行の思い出

No.2256

 野口先生、猪名川シンポの件ですが、旧倉橋荘の所在地庄本地区の出土遺物や、船着場の有無などが主な論点となり、文献のほうは補助的な位置付けでした。
 中世前期の出土品についても、同時代の大物などに比べて、規模は小さいし、質・量ともに劣位は否めないようです。やはり、猪名川・神崎川の土砂の堆積から、港湾の中心が南に移ったことを物語るようです。

 文献の方で話題になったのは、慈光寺本『承久記』に、承久の乱の発端となった地頭解任問題は長江荘のみで起こったとある点です。これについて、小山靖憲先生が、「倉橋荘と承久の乱」という論文をお書きです。小山先生によると、最も信用性が高い慈光寺本で倉橋が落ちている、史料に登場する倉橋荘はいずれも院と無関係である、したがって、乱の原因となった地頭解任問題は長江のみの問題であるとされました。また、院近臣尊長の倉橋荘が存在しており、これが乱後に没官されたことから、地頭問題の舞台と誤解されたと結論付けられたのです。
 当方に与えられた課題は承久の乱と倉橋荘との関係ですから、これに触れないわけには行きません。小山先生も当日お越しなので、言い方には苦慮しましたが、一応、慈光寺本が絶対といえるか、尊長の荘園が存在したように、院との関係は否定できない等と当り障りのないことを申しておきました。
 
 続く藤田明良氏は、歴博の弁官補任浦文書から、承久元年に倉橋の供御人と地頭との紛議があったとされ、これが地頭解任問題の実態ではないかという興味深い指摘がありました。供御人の問題なら、院領にこだわる必要もないわけですが、亀菊にからむ逸話は、やはり事実ではないことになりそうです。
 また、この史料は乱後の貞応年間のもので、その先例として承久の問題が取り上げられている点も、今後検討が必要かもしれません。
 結局、地域との関連が中心なので、承久の乱そのものの見直しなどに議論を展開することは出来ませんでした。

 ところで、小城方面を中心としたご旅行の由、すばらしいご旅行になるようにお祈りしております。
 佐賀方面には1980年に参りました。当時佐賀大におられた太田順三先生がご案内くださったのですが、ハイテンションの解説で、ついてゆけなかったことを覚えています。国府、河上神社などはいかにも趣深い史跡でした。どうしたことか、小城は通ったのですが、太田先生のご関心がなかったようで素通りされてしまい、鎌倉の史跡が多いところと知っていただけにがっかり致しました。武雄温泉で置いてゆかれ、戻るわけにも行かず、しょうがないので風呂に入って時間をすごしました。

 久留米の高良神社はかなり山の上で、曲がりくねった道路をかなり登った記憶があります。夜はローリング族のメッカになるらしく、それを禁じる看板がたくさんありました。それはともかく、同社の最大の見ものは、一望に見渡せる筑紫平野の展望でしょう。おそらく、懐良親王もここから大宰府の方を望んだはずです。ぜひ好天であってほしいですね。
 なお、もし時間がおありなら、福岡西郊、今津付近の元寇防塁あとか、元舟の錨?が展示されている箱崎大社をご覧になると良いでしょう。
 もちろん、十分ご検討のうえでコースからはずされたのでしょうから、部外者が口出しすることではないでしょうが。
 道中ご無事で、実りあるご旅行になりますようお祈りしております。