石浜さん、「つづき」をよろしく。

No.2208

 >石浜さん  タイトルのとおりです。楽しみにしておりますので。なお、御教示いただいた『戦場の精神史』書評、すべて読ませていただきました。ありもしない「武士道」の普及において、新渡戸稲造をはじめとする明治の洋行知識人やキリスト教布教者の役割は実に大きいようですね。良妻賢母教育にもかれらは一役買っている。日本近代の従来プラス評価されていた部分に対する再吟味が求められるようです。

 >山田ちさ子様  本日、大阪の古本市にお出かけとのこと、よろしければ戦果など具体的にお教え下されば幸いです。 
 
 ☆特報☆ 野口君、ついに仮免取得!路上教習中。
 あえて、コメントは付しませんが、一般道路に出て車を動かしてみて、二輪車の傍若無人な走り方に、野口君は大いに危険を感じたそうです。まったく、そのとおりです。京都の自転車使用者は歩行者には「そこのけ、そこのけ」、自動車には「注意はそっちの義務である」みたいな人が概して多い。自転車を利用される方は、どうぞ、ご注意下さい。

 小生が近年の大学生の短絡的な資格志向にウンザリしていることは、日頃申しあげているとおりですが、すぐれた学芸員育成で定評のある武蔵大学の学芸員課程外部公開用ホームページのアドレスを知る機会がありましたので、みなさんに紹介いたします。いろいろ参考になるところが多いと思います。
 http://www.musashi.jp/persons/gakugei/crtpub/index.htm

 ○ 本日、以前お世話になった中央公論新社の編集者の方とお目にかかりました。職場の後輩の方に関西在住の研究者を紹介する途上とのこと。著名な先生方の中に小生を加えていただいて光栄なことでした。
 同志社で講義の後にお目にかかり、かの「維盛の入水」で有名な「わびすけ」で「いもねぎ定食」をいただきました。それはともかくとして、そのさい、日本通史の名著の宝庫である中公版『日本の歴史』新装版の刊行開始を知り、出たばかりの第2卷「古代国家の成立」をいただきました。今回の再刊には、最新の研究成果をふまえた書き下ろしの解説と読書案内が付されています。5巻の土田直鎮『王朝の貴族』、7巻の石井進『鎌倉幕府』、9巻の佐藤進一『南北朝の動乱』などは是非ともこの機会に購入、読破していただきたいものと思いますので、とくにお知らせしておきます。

 ○ 本日、千葉県山武郡芝山町教育委員会より『芝山町史 通史編 中』を御恵送いただきました。あつく御礼申しあげます。拙著・拙論を参考にしていただいたようで、故郷になにがしかのお役に立てたことを喜んでおります。
 
 ※ 余談ながら、今日の朝、久しぶりに腰を痛めてしまいました。時々左太ももにまで激痛が走ります。ゼミ旅行ではなく、祝宴の前日であったことを、せめてもの幸いとするところであります。

わびすけ

佐伯真一
No.2209

 野口先生、『戦場の精神史』書評まで、すべて目を通して頂いたとのこと、誠に有り難うございました。
 ところで、同志社西門前の「わびすけ」は、私にとっては、コーヒー一杯で粘りすぎて追い出された思い出なども含めて、とても懐かしい店なのですが、何せ30年も前のことで(当時は「いもねぎ定食」もありませんでした)、「「維盛の入水」で有名」、というのがわかりません。恥ずかしながらご教示いただければ幸いです。
 腰の方、お大事に。

維盛@わびすけ

No.2210

 佐伯先生、こんばんは。 
 野口先生の要請をうけ、かわりにお応えいたします。
 わびすけのコーヒーカップが、佐伯先生がご存じの通りのものかどうか分かりませんが、少なくとも20年ほど前から、少し厚手のものが使われているようです。コーヒーを頼むと一緒に角砂糖が付いてくるのですが、その角砂糖がちょうど、厚みのあるカップの縁に乗ります。そこで、ティースプーンを使って、カップの縁をお寺の鐘よろしく「ちーん」と叩くと、角砂糖がどぼんとおちて、これが維盛入水ということになります。・・・おあとがよろしいようで・・・
 というのは、私が大学1回生の時に平家物語の講義をされていた講師の先生から教わった遊びです。本当かどうかわかりませんが、野口先生とわびすけに行った際にこのお話をしたところ、先生がとても面白がられて、それ以来先生と一緒にわびすけに行くと、先生が角砂糖と格闘されている(最近、カップが少し薄いものに変わって、砂糖が乗りにくくなりました)現場に遭遇することになります。佐伯先生も、一度おためし下さい

熊野、世界遺産登録記念「補陀落渡海」。

No.2211

 田中さん、ありがとうございました。
 「わびすけ」ネタにて、もう一つの「故事」を創作しました。題して「補陀落渡海」!
 すなわち、一ヶ月分の食料ならぬコーヒー一杯で、熊野灘ならぬ「わびすけ」にて無限の未来に身を委ねる。しかるに店員さんから、「もういい加減にお帰り下さい」とたしなめられて、西方極楽浄土ならぬ同志社大学西門に去ってゆく。西門から入ったその男は、東を目指すこととなり、東の大院にて悟りを得、なぜか名器「青山」を手にして『平家物語』研究の権威となる。その主人公こそ維盛ならぬ佐伯先生・・・ってのはどうですか?
 このようにして、『平家物語』も増補されていったんじゃないんでしょうかねぇ。失礼いたしました。スゴスゴ(退場の音)。

わびすけの日々

佐伯真一
No.2212

 田中さん、野口先生、有り難うございました。そんな伝承が出来ていたとは…。数年前に立ち寄った時には、コーヒー・カップは昔のままだったと思いますが、お店の感じは少し変わったかもしれません。それでも、大変な長命だと思いますが。
 30年前、カラオケもない時代、私たち(同志社の中世文学研究会会員)はこんな戯歌を歌っていました(その後も伝承歌としてかなり長く命を保ったようなので、田中さんはひょっとしてご存じかも?)
舌の回らぬ言葉で叙事詩を論じた日/コンパ多かりしあの頃の思い出をたどれば/懐かしいバーテンの顔が一人一人浮かぶ/重い大系本抱えて通ったあの道/秋の日のわびすけの煙草とコーヒーの匂い/つばきの散る討論/会員時代
本歌はもちろん「学生時代」ですが、この歌のモデルになったといわれる青山に勤務するのも、何かのご縁かと…(お粗末)

学生時代異聞

No.2213

 佐伯先生、余計なことでもうしわけないのですが、名曲「学生時代」のモデルとなった学校は、実は神戸女学院です。
 あの曲を歌ったペギー葉山の母校が青山学院なので、モデルが青山学院のように理解され、第一興商のカラオケの画面にも青山学院が登場しますが、残念ながら誤りです。そもそもこの曲はペギー葉山が作詞したわけではありません。
 この曲の作詞者は岩谷時子という女性です。彼女の母校が神戸女学院であり、その学生時代を思い起こしながら作詞したものです。特に二番の歌詞(「賛美歌を歌いながら清き死を夢見た・・・)をお聞きになれば、女子大特有の雰囲気や人間関係が歌われていることがお分かりいただけるかと思います。
 岩谷時子は、亡き越路吹雪のマネージャーで、大スターになっても舞台を前に足がすくんで動けなくなる越路を突き飛ばすように押し出したことで有名です。そんな越路と桁は違いますが、何年教員をやっても授業開始前に自身を鼓舞しないと出かけられないの当方とよく似たものでしょうか。
 岩谷は作詞家として著名で、フランク永井の名曲「おまえに」や、加山雄三の「若き旅人よ」など、名曲の詩を手がけ、またイブ・モンタンの「枯葉」の訳詩なども手がけてております。
 彼女は1920年ごろの生まれで、現在も健在ですが、生年から推すに、彼女の女学院時代は戦前ということになります。

 ちなみにペギー葉山の名曲「南国土佐をあとにして」という名曲があります。これはNHK喉自慢が高知で開催された時に発表された曲です。その芸名が示すように、専らジャズをうたってきたペギー葉山は、この曲を歌うことに難色を示したそうです。
 ところが、その元歌が高知出身の兵士たちが軍隊で故郷をしのんで歌ったもので、この曲を歌って死んでいった人たちが大勢いたことを聴いて、心をこめて歌ったということです。それが大ヒットにつながったのも、同じ時代の人たちの心を打つ何かがあったのでしょう。

 「六甲おろし」は阪神タイガースの歌ではなく、「大阪タイガース」の歌であるなどと申しておる物好き人間からの余計なお世話でございました。というわけで、どなたか、「民衆歌謡を通した近代社会史研究会」におつきあいください。

 なお、当方、学生時代は百万遍交差点北の学士堂で粘っておりました。コーヒー一杯で2時間半はいましたが、ちゃんと空になったグラスに水を注いでくれました。そのときのマスターは今も健在で活躍中です。

質問

鈴木小太郎
No.2215

こちらの掲示板には初めて投稿させていただきます。
実は私も『学生時代』の歌詞は以前から気になっていました。
普通は『学生時代』の作詞・作曲は青山学院出身の平岡精二とされているようですが、元木先生は何か特別な経緯を御存知なのでしょうか。
私は、男性の平岡精二が作詞者であることを前提として、「その美しい横顔 姉のように慕い」という部分がひどく謎めいた感じがするなあと思っていて、あるいはこれは男性の同性愛を歌ったものなのだろうかと疑っていたのですが、元木先生の考え方を前提にすると、女性の同性愛を歌っていると考えるのが素直なような感じもします。
微妙な話題で恐縮ですが、前々から不思議に思っていたことなので、御教示いただければ幸いです。

若干の訂正・お詫び

No.2216

 鈴木さん、早速のレスを有難うございました。
 岩谷時子が本来の作詞者であったとする説は、神戸女学院では広く流布しているそうで、複数の関係者から耳に致しました。
 ただ、しかるべき文献ではそのような記述はなく、先ほど「岩田時子」で検索しましたが、証拠は見当たりませんでした。したがって、岩谷時子説は今のところ、伝聞に基づく「或説」に過ぎません。
 当方のスレッドを読み直すと、明らかに断定的に記述しており、これは曖昧な根拠に基づく言い過ぎであったかと反省しております。「岩谷時子が本来の作詞者とする説もある、云々」と訂正いたします。
 青学の第二の校歌とまで称される歌ですので、軽率な書き方をして申し訳ありません。野口先生、佐伯先生(およびこれを見て驚かれた方々)にお詫びを致します。
 ただ、女性が歌う作品ですから、男性作詞家が女学生を主人公にするのは当然ですが、鈴木さんご指摘の歌詞の内容は、共学ではなく、女子大(女学校)をイメージしている様に思われ、実際の作詞者が女子大出身であったとする説もかなり蓋然性があると思います。
 岩谷時子説を唱えている関係者に、根拠をもう一度尋ねてみます。誰かこれで論文を書く人はいませんかね(いるわけないか)?
 ちなみに岩谷氏は1916年生まれで、今年88歳との事です。検索では最近もトークショーのようなところに出演しているようですね。当方の親父と同じ年齢ですが、お元気でうらやましいことです。

なるほど。

鈴木小太郎
No.2218

>元木先生
ありがとうございます。
私も基本的なところで誤解がありました。
『学生時代』は既に存在していた歌をたまたまペギー葉山が歌ったのではなく、まさにペギー葉山のためにつくられた歌なんですね。
それと、少し検索してみたところ、上越教育大学助教授(日本語学)高本條治氏のサイトで『学生時代』が論じられていました。
http://www.kokemus.kokugo.juen.ac.jp/diary/1996/12/yd961213.html

話題は広がる、どこまでも。

No.2220

 石浜さんはご多忙のようで「つづき」のお話はお預けですが、維盛入水から、青学の第二カレッジソング「学生時代」にまで話題が展開し、大いに楽しませていただきました(ところで、この「学生時代」ですが、仏教系女子大学に相応しい替え歌を作詞しようとする人はいませんかねぇ)。
 「わびすけ」の故事説明の要請に応えてくださった田中さん、小生の悪乗りにお付き合いいただいた心やさしい佐伯先生、小生出身大学の音楽関係の先輩たちについて新しい知識を加えてくださった元木先生・鈴木さんに、あつくお礼を申しあげたいと存じます(次は後輩サザンのネタか何かで・・・)。
 
 ところで、佐伯先生の『戦場の精神史』ですが、さすがの朝日新聞も大きく取り上げなかったのを後悔したと見えて、本日の書評欄に紹介の記事が掲載されておりました。あらためて、文化欄においてでも大きくとりあげて欲しいものです。執筆者には高橋昌明神戸大教授と笠谷和比古日文研教授を希望するものです。
 おかしな言い方で恐縮ですが、この本は読めば読むほどいろいろ考えさせてくれる素晴らしい本だと思います。
 近代「武士道」を創作した新渡戸稲造の生育した時期の文化・政治的環境が今日と実に似通っていることに気づかされました。まさに日本の歴史も文化も知らない人たちがマスメディアで言いたい放題ですから。また言いたくなりましたが、「日本史」を高校の必修科目にしなければいけません。
 
 ゼミ旅行の行き先が伊豆から佐賀県小城町に変更とのこと。すべてはメンバーのみなさんにお任せしてありますが、いろいろ紆余曲折があったようで、これまで伊豆案で動いてくれた幹事さんたちの御苦労にも、ひとまずお礼を申しあげておきたいと思います。
 それにしても、佐賀は『葉隠』発祥の地。そして、小城は『源平闘諍録』成立の担い手である鎌倉時代の千葉氏嫡流ゆかりの地であります。また、たくさん勉強してもらえそうですね。羊羹も日本酒もおいしゅうございます。

話を戻して頂いて…

佐伯真一
No.2221

 野口先生が、拙著関係のネタをふってくれて始まったはずのスレッドだったのに、私が自ら大きくねじ曲げてしまい、申し訳ありませんでした。
 元木先生、ご教示有り難うございました。青山の卒業生も皆信じている話で(ちょっと前までは。最近の卒業生は歌そのものを知らない人も増えていると思いますが)、私も信じ込んでいました。何でも検証が必要ですね。
 拙著についても、おいおい真面目な検証が出てきてくれないかな、と思います。江戸後期から明治・大正・昭和にかけて、「武士道」がどのように変化したのか、資料は探せばまだまだあるはずなので、これを機に、きちんと検証してくれる人が出てきてくれると嬉しいのですが…(私自身はそこまでやる気も力もないので)。

お騒がせしました

No.2223

 鈴木さんご教示のHPを見ると、平岡精二の作詞に間違いないようですね。どうも女学院説は「浮説」のようです。内容から見て女子大のようなので、勝手にそんな解釈が生まれたのかもしれません。ご教示有難うございました。
 もちろん、平岡とペギー葉山の人間関係を背景にして歌が生まれたというのも、ひとつの解釈ですが。それにしても、これが本当なら、彼女は自身のプライバシーを公開しながら歌っていたことになるわけで、何とも奇妙な気がします。
 ともかく、このHPを岩谷説の方々にお見せして反応を示したいと思います。
 野口先生、佐伯先生、脱線をフォローしていただき、有難うございました。

「女坂の歌」

No.2224

 せっかく野口先生にお話を元に戻していただいた所申し訳ありませんが、野口先生、京都女子学園には「学生時代」を元にした伝統の応援歌がありましたよ。
 私が高校を卒業した翌年くらいに、一度歌詞が少しかえられたようですが、今でも体育祭や卒業式には歌われているようです。そのタイトルは「女坂の歌」といいます。
 ♪女坂をのぼって通ったあの朝/眠い瞳をこすって歌った恩徳賛/あの美しいメロディー東山に響き/わかい力をぶつけて過ごしたたあの日々/夏の日の座禅修行/澄み渡る朝の静けさ/いつまでも輝け心の学園

という歌です。高校卒業後、かつて「学生時代」の替え歌が歌われていた同志社大学の中世文学研究会に入った事にも、妙な因縁を感じます。

替え歌コンクール。

No.2225

 田中さん、そういえばこのことは3日の宴席でうかがっていましたね。それにしても、実に健全な替え歌ですね。
 ここでは、同志社の中世文学会程度の一ひねりが欲しいところです。このさい、当ゼミのみならず、それぞれ所属のゼミをテーマにした「学生時代」替え歌(「○○ゼミ時代」)のコンクールでも致しましょうか?発表は元木先生主催の「民衆歌謡を通した近代社会史研究会」(いわゆる「カラオケ大会」のことでしょうね?)においてでも?
 
 ☆ゼミ生の皆さんへ  佐伯真一先生著『戦場の精神史』必読のこと。日常の話題にしたいと思いますし、いずれ、長村君あたりを講師にして、合評会を開きたいと思います。
 なお、マサカとは思いますが・・・、ヒョットとして・・・、あるいは・・・、もしも・・・野口『武家の棟梁の条件』をまだ読んでいない人がいたら、これも合わせ読んでおくこと!この本、絶版・品切れ近く、再版の予定もないと思われます。

しつこくてすみませぬ。

鈴木小太郎
No.2227

>元木先生
リンク先のページは、どう考えていいのか分からずに全く論評しないまま紹介したのですが、出発点となっている長田暁二氏という人物の見解が本当に信頼できるのかは分からないですし、また、作品の背後に何らかの人間関係があったとしても、それと作品を直接結び付けるのはやはりおかしいと思います。
「現実」よりは作品に昇華された世界の方が遙かに豊かであって、「現実」の出来事は創作の単なるきっかけに過ぎず、それを知ることが作品を深く正確に理解することにつながる訳でもないでしょうね。
作品全体を素直に読み返してみたら、作詞家(平岡精二?)が創り出した世界はペギー葉山の現実の学生時代というより、元木先生の御指摘のようにもう少し古い時代の「女学校」の世界ではないかという印象を私も抱きました。

『戦場の精神史』の書評・朝日新聞

No.2229

「つづき」は鋭意創作中ですので…。
ご覧になった方も多いかと思いますが、昨日の朝日に『戦場の精神史』の短い書評が出ました。ありがたいことです。日経さん、読売さん、何卒よろしくお願いします。
書評を読んでいると、ずいぶん読みに差があるのが気になります。新渡戸のことは、この本では本論とはすこしばかりずれるというか、枝葉末節になるわけですし、しかもすでにいろんなところで書かれてきたことですので、あまり新渡戸云々を強調されると、面映い。だからといって、だまし討ちの肯定的理解だけだと、どうも全体像に近づけない。日本人の倫理観と武士の倫理観の相違というか、武士の倫理観が日本人の倫理観に騙られ、覆い尽くされてしまうのは何故か。そこが大きなポイントかなと思うのですが…。武士万歳ではないだけに、少しばかり難しく感じられるのでしょうか。なんにしても、早く増刷が決まって欲しいところです(実は、まだ正式に決まっていないのです…トホホ)。
それにしても、『武家の棟梁の条件』が絶版に近いとは…中公新書はかつては歴史で鳴らしたはずですが、寂しいかぎりです。高橋昌明先生の『酒呑童子の誕生』も絶版にしたようですし、なんともいやはやですね。