些細な事ですが、皆さんのご意見を。

No.1851

本日(4月25日)付け朝日新聞朝刊17頁に、「風考計」という論説の覧があり、そこに論説主幹若宮啓蒙文氏が「武士道とイラクの抵抗と」という文章を書いていますが、この文章、先日、野口先生にもこの掲示板でご紹介していただいた、『本郷』51号に掲載の拙文「武士道という虚構」を明らかに下敷きにしていると、私には思えてならないのですが、お読みになった方のご意見をお聞かせ下さい。

もっとも、拙文もここでの美川先生をはじめとする議論を下敷きにしていることは、ここの掲示板で事前にお伝えした通りですが。

訂正

No.1852

上の文章、若宮啓蒙文氏ではなく、若宮啓文氏の間違いです。訂正します。

Re: 些細な事ですが、皆さんのご意見を。

No.1856

 新渡戸稲造の『武士道』を引き合いに出したり、防衛副長官の発言を問題にしたり、映画で近代兵器の軍隊に刀を振り回して突撃するシーンがあることをとりあげるなど、若宮氏が近藤先生の御論をお読みになった可能性は高いものと思います。
 しかし、『南洲翁遺訓』を示されたり、論旨もイラクの人質事件の被害者に対する日本人のバッシングとこの映画に対する感情の矛盾をついたもので、近藤先生の御意見に触発されているにしても、別の議論だと小生には思えました。これには、さすが朝日の論説はすぐれていると、感じ入っておりました。
 小生は近藤先生の御意見にも若宮氏の御意見にも賛成です。
 ところで、京都にお住まいの方、京都新聞2月10日(火)文化欄に掲載された笠谷和比古氏の「確かな日本理解と洞察力」と題された「ラスト・サムライ」評をどう思われますか?
 ちなみに、これについては下記のサイトに意見の提示がありました。これも、近藤先生もみなさんも、ぜひお読み下さい。
http://mitleid.cool.ne.jp/lastsamurai.htm

人質問題

No.1861

野口先生、あ、ご存じなかったのですか。
それは偶然。楽々亭太丸さんのHP,眺めていたら、
ちょっとくらくらしてきました。

ということで、こちらはもうご存じだと思いますが、
朝日に載った作家高橋源一郎氏の文章に、なかなか感心しました。あの人質問題です。

http://www.asyura2.com/0403/bd35/msg/148.html

Re: 人質問題。

No.1862

 >美川先生  それは読んで切り抜き済みです。学生さんに話しをするには、絶好の材料ですね。そのほかに、京都新聞4月20日付夕刊掲載「現代のことば」の落合恵美子氏「イラク人質事件に見る個人と国家」も説得力のある内容でした。
 この事件における被害者バッシングは、今日の社会の荒廃構造を端的に示すもので、長く高校の教育現場にいた経験のある小生には、実に納得がいくと同時に怖れていたことが現実となったという感慨があります。本当に恐い世の中になったものです。
 なお、再掲ですが、下記サイト、みなさん是非御覧下さい。
 http://www.fujiwarashinya.com/talk/2004_0416.html

どす黒い動き

No.1865

野口先生、いろいろご教示ありがとうございます。
高橋源一郎氏の公式HPを見たら、

<注意>
今週になってからだと思いますが、高橋源一郎名義でワープロで印字された政治的な内容の手紙(宛名は手書き)があちこちに郵送されているようです。
高橋源一郎本人とはまったく関係ありませんのでご注意下さい。

とありました。なにか、どす黒い勢力が動いているようで、無気味です。たぶん、あの朝日の記事への策略でしょうか。
戦前の日本も、父の話では、急速に、というかいつの間にか、軍国主義化したそうですが、いまもその恐れが・・・。

Re: 些細な事ですが、皆さんのご意見を。

No.1866

もし拙文が若宮氏のお目に止まったのであれば、光栄に思うべきですね。

「ラストサムライ」のような映画が大ヒットするのは、下で元木先生や野口先生が書き込まれているように、やはり日本人の歴史認識の低下とも関係するのでしょう。

それにしても、笠谷氏は、「ラストサムライ」に対して「確かな日本理解と洞察力」ですか。呆れたものです。

Re: 些細な事ですが、皆さんのご意見を。

No.1867

 近藤先生、玉稿と若宮氏の文章の件、野口先生の仰るとおりと思います。論旨の展開など、玉稿とよく似ていますが、新渡戸の本や、防衛庁長官発言などは、若宮氏のようなジャーナリストなら、当然思い浮かべる問題であるのも事実です。玉稿に触発されたところもあったのかもしれませんが、氏にすれば内々に考えていたことが補強されたという気持ちだったのかもしれません。イラク問題の方に主眼があった氏は、ことさら触れなかったのでしょう。むしろ、氏に同感だと称して玉稿のコピーでも送って反応を見てはも面白いかも。
 人質問題、確かに彼らの状況判断も問題でしたが、新潮、文春あたりのマスコミが被害者の私生活に泥足で踏み込む報道をしてから、世論がおかしくなってしまいました。何らかのどす黒い動きがあったのでしょうね。自衛隊が派遣されたことの本質は隠蔽され、お上に迷惑をかけたことが批判の対象になるのだからお笑いです。どっかの馬鹿な漫画家の戦争賛美と同じです。
 自衛隊派遣を批判することが憚られ、美川先生のご指摘のように批判した文化人が中傷されるとは、恐ろしいことです。大学の独法化もコスト至上主義の名のもとにたちまち強行され、長い歴史の中で培われた大学の自治も学問の自立も否定されようとしております(空洞化していたのも事実ですが)。批判も議論も、ほとんどできない状況にありました。
 その背景には、不況の時代に、不経済で浪費的な態度を道義、倫理的な方面からも徹底的に否定する動きが強まることにあります。金にならない学問、とくに人文科学の存立の基盤などは瞬くうちにやせ細りそうです。
 70年前も同じ状況ではなかったでしょうか。そうした状況下では、さらに経済面を中心に政府の主導権が高まり、国策に対する批判が封じられる傾向が出てくることになります。かくして20年代末期から30年代初期、大正デモクラシーは瞬時に崩壊し、呆然とするうちに国民は総力戦に巻き込まれ、300万人の日本人の死者と、それ以上の対戦国の死者を出したことは、忘れてはならないでしょう。
 長野県に無言館という美術館があります。ご存知のとおり、戦没画学生の遺作を集めた美術館です。モダンな洋画を描き、銀座の繁華な雑踏を愛し、家族との平和な日々にかけがえのない価値と喜びを見出していた彼らが、無残な最後を迎えたことのむごさが痛いほど感じられる場所です。戦前の若者だって、誰も戦争を望んでいなかったし、彼らは平和を心から望んでいた。しかし、その人たちが、抵抗することもできずに戦争に駆り出されていった意味をわれわれは厳しく認識しなければならないと思います。
 余談ですが、京大文学部の高橋秀直先生によると、徴兵猶予されていた日本の大学生の戦争志願率は、アメリカのそれと比較にならないほど低かったとのことです。無論臆病だったわけではありません。それほどに、戦争に懐疑的だったのです。それにもかかわらず、戦争がはじまった背景をわれわれは問い直す必要があると思います。
 もっとも、アメリカでブッシュが大敗したら、日本政府の方針も大転換でしょうね。小泉がもうすぐ引退とか言っているのはその辺を読んでのことかも。ケリー大統領に、加藤首相になったりして。日本とアメリカの関係はやはり、その程度かもしれませんね。まるで、魏と邪馬台国の関係みたい?
 というわけで、アメリカ人にしてみればチョロイ日本人のハートをつかむ映画なんか簡単に作れるということでしょうな。やはり、確かな「日本理解と洞察力」ではないでしょうか(苦笑)、近藤先生、如何ですか?

Re: 些細な事ですが、皆さんのご意見を。

No.1868

元木先生、笠谷氏の「ラストサムライ」評は、氏のこれまでの文章や論題から内容を予想したまでで、読んではいませんが、上の理解はもちろん皮肉ですよね。私も、「ブッシュ大統領の策略か」と書きましたが、笠谷氏がもし上のように理解していたならば、評価を再考しなければなりませんね。

世相の件、戦争を確かに経験している山中裕先生も、昨今の世相は、太平洋戦争開始前とそっくりで恐いとしみじみと仰ってました。国民の歴史認識の問題とも関わり、日本の近代史は中学や高校でやはりしっかりと教えるべきだと思います。その意味で、高校での日本史選択制などは、やはり遠くからの国民統制策かと疑いたくもなりますね。

若宮氏のコラムの件、拙文を送ってみましょう。

Re: 些細な事ですが、皆さんのご意見を。

No.1869

近藤先生、もちろん皮肉ですよ。念のために申しますと、笠谷氏は「武士道の本質を見事についた作品」とか何とかえらく持ち上げておりました。氏の武士道論と、名誉のために玉砕する主人公の行動が合致していたようです。当方は映画を見ていないので、それ以上は何も申せませんが。

話題に出遅れましたが

佐伯真一
No.1873

 私事ですが、パソコンを買い換えて、使えるようにするのに二日がかりで奮闘している間に、すっかり話題に乗り遅れてしまいました。
 若宮氏の文章、私も読みましたが、特に近藤さんの文章との類似は感じませんでした。ラストサムライに引っかけてイラクの話をしたために、話題が重なったという程度ではないしょうか(いや、もちろん、「本郷」を見て触発されたのかもしれませんが)。
 あの映画が、アメリカの目を通して日本を見ている点に関わって、「武士道」好きの人たちの矛盾を突いている点は、中々やるな、と思いました(新渡戸の「武士道」に疑いを入れていない点はちょっとどうかな、と思いましたが、まあ、文章全体の趣旨から言えば、そこにこだわっている場合ではないでしょう)。
 笠谷センセイのラストサムライ礼賛論は、神戸新聞(だったと記憶)では、1月の荒田町遺跡保存シンポジウムのことを報ずる記事の隣に載っていたので、シンポの記事のコピーを送ってもらって、たまたま読みました。近代「武士道」論というものが、全体として虚構から成っていることを、身を以て示された文章と、感心しつつ拝読した次第です。
 近代「武士道」論は、「失われた古き良き日本」を幻想するところから発した面を強く持っていると思います。そうした性格を体現しているという意味では、ラストサムライも笠谷センセイも、それ自体、文化史的な考察の題材として、貴重な研究対象であるかもしれません。  

ラストサムライ批評本

No.1876

「ラストサムライ」はビデオもDVDももう出回っているはずですから、元木先生も是非一度御覧になってみて下さい。そのうえで、かつて新しい歴史教科書を作る会に対する反論本が出たように、ここに参加されている、野口先生・元木先生・佐伯先生・美川先生、そして私で、「ラストサムライ」への批評本を書きませんか。そして、編集は石浜さんにお願いするというのはどうですか?

それにしても、佐伯先生の皮肉(ですよね?)はきついですな。

Re: ラストサムライ批評本

No.1881

近藤先生のご提案、とても面白いですね。「ラストサムライ」をとば口に、ということかと思いますが、こうした批評本は結構需要がありそうな気がします。「ラスト・サムライを切る!」のようなタイトル、でしょうか。……それと、確かに、佐伯先生の皮肉はきついですね。

何を批評するか

佐伯真一
No.1882

 新しいパソコン君が中々思うように動いてくれないイライラで、持ち前の人柄の悪さがにじみ出てしまったかもしれません。「イメージ」に武士を使っていた点も、前と違っていることに、あとで気づきました。
 数ヶ月前に、芸能に関わっている私の弟と議論したときは、彼は「ラストサムライを歴史だと思って見ている人が結構いる」という見方には「そんなことはあり得ない、あれはみんな純粋なフィクションと割り切って楽しんでいるのだ」という反応でした。いや、でも歴史の先生にも…(以下略)というわけなのですが。
 正面から「現実の歴史と違う」と批判するだけでは、「また頭の固い奴らが文句を言っている」と受け流されてしまうかもしれません。なぜ、あれが受けるのか、という次元で議論することが、ある程度は必要だと思います。
 そのように考えたとき、私としては、明治から変わらない「武士道」論の姿勢(欧米との対比において、失われた美しい過去を幻想する姿勢)が目についてしまうもので、個別の映画作品や孤立した個人の問題とは思えないのです。皮肉はもちろんありますが、本気で「貴重な考察対象」だと思うところもあるわけです。

ラストサムライは客寄せパンダ

No.1883

佐伯先生の仰りたいことはよく分かります。私が考えているのも、佐伯先生が仰りたいことをも含めて、一般の人の武士や武士道に対する認識がいかに誤りや思い込みであるかを伝える本です。

むろんこれらはここでお馴染みの先生方をはじめて個々ですでに論考されていることですが、大ヒットしただけに一般の人にも興味を引きやすい「ラストサムライ」という映画を、石浜さんが仰るようにまさにとば口にして、改めて一般の人に伝えたいわけです。そこに、イラク戦争などの世相を反映させたくもあります。

石浜さんが、おもしろいと言って下さったのも、そういう方向性でですよね?ただ、こういう企画は、タイムリーさが要求されますね。



という映画を批評してもあまり意味がないのは当然です。ですから、石浜さんが仰るように、「ラストサムライ」はあくまでとば口にすぎません。たまたま大ヒットした映画にすぎません。ただ、大ヒットしたからこそとば口に使えるのです。

訂正

No.1884

上の最後の2行は削除です。

余裕があれば。

No.1885

 近藤先生。書き込みのさいに、暗証キーを入力していただきますと、御自身で削除・修正ができますので、これからは、よろしくお願い致します。
 ご提案の本は、面白い企画だと思います。時間的・精神的余裕さえあれば、先生方と議論の機会も得て、とは思うのですが。小生は石浜さんから御依頼を頂いているNHKブックスの中で自らのイメージする中世前期の武士像を提示することを先に済ませたいと思っております。「ファースト・サムライの実像」ですね。
 なお、視覚メディアが軍国国家の国民道徳の涵養に果たした役割については大学の紀要に書いたことがあります。
http://www.cs.kyoto-wu.ac.jp/bulletin/1/noguchi.pdf
 
 美川先生が「どす黒い動き」を指摘されていますが、先にNO.1862で紹介した藤原新也氏のHPにも、あの意見を述べた後、日に250件ものウィルスが送りつけられているのだそうです。
http://www.fujiwarashinya.com/talk/2004_0427.html
 こうした悪しき状況(「非国民」的な用法として「反日的分子」などという言葉を使う代議士が現れたことなども)が、戦後教育の結果だとすると、小生も7年間、高校で社会科を教えた「教育者」として猛省を余儀なくされてしまいます。困りました。
 そんな時、京樂先生の御発言の「元気さ」にはいつも励まされております。
 http://www.shc.usp.ac.jp/kyouraku/ (犬好きの方も必見)

 佐伯先生の御意見、皮肉としてではなく正論として同感です。先生の御著書をますます楽しみに致しております。

笠谷センセイの新作

No.1887

近藤先生、ラストサムライをとば口にして、とは、その通りのことであります。先ほど書店で、笠谷センセイの新しいご著書(監修となっていますが)を見つけました。『武士道 サムライ精神の言葉』です。青春出版社のプレイプッブク・インテリジェントシリーズの一冊だそうで、帯には「武士道とは何か、日本人はいかにあるべきか いま彼らの肉声が「侍」の遺伝子を呼び覚ます」とあります。この帯の文句を書いたのは、担当の編集者だとは思いますが、笠谷センセイのみならず、その編集者までもがこう書いてしまう、そこのところのウソと誠を衝く、ということが必要なのかなと思います。

やっと落ち着いて一言追加

佐伯真一
No.1891

 近藤先生、野口先生、ありがとうございました。上の拙文はいかにも舌足らずと反省、やっと部屋の中も片づいて、2月3日付神戸新聞のコピーも発掘したところで、一言追加します。
 ラストサムライは、大枠としては、文明人が「高貴な野蛮人」を発見する、凡庸な物語だと思います。アメリカ側では、単にそういう類型的な物語の一つとして見られているのではないでしょうか(確かめたわけじゃないけど)。
 問題は、日本人がなぜ喜んでしまうかですが、私は、近代の日本人が、欧米と異なる独自の精神文化を持っていると誇りたい気持ちと、しかしそれを欧米人の目から認めてもらわないと誇る気になれないという屈折した自意識を持っている点に、大きな問題があると思います。そうした意識構造の上で、欧米の視点から創られたフィクションがヒットするという姿は、まさに新渡戸の『武士道』とぴったり同じだと思うのです。
 それにしても、いかに美化されているとはいえ、自分たちの誇りであるはずの「武士道」を、「滅びゆく高貴な野蛮人」扱いされることに、「武士道」好きの人たちは抵抗を感じないのだろうか、というのが大きな疑問です。その点、笠谷センセイが、ラストサムライを「かくも気高き武士道」と礼賛し、「多くの米国民が熱い思いでこの映画を受け入れている」と述べつつも、滅びゆくサムライ文化への「同情の雰囲気」に「とまどいと複雑な感情を覚え」るとお書きになるあたりは、一つの答えを出されたものと思い、観察のしがいがあると感じます。きっと、もっと力強くほめてほしかったんですね。

コンプレックスですかね。

No.1892

ここの掲示板で、美川先生がはじめて「ラストサムライ」を話題にされたとき、「内なるナショナリズムをかき立てられる映画」と評しておられましたが、「ラストサムライ」の日本での大ヒットは、結局は欧米の文化に対するコンプレックスの裏返しですかね(美川先生がコンプレックスを持っているという意味ではありません。念のため)。コンプレックスの度合いが大きい人ほど、武士道などというものを喧伝するのかもしれませんね。
新渡戸も、確か日本にはキリスト教に匹敵するような道徳がないと言われて「武士道」を考えだしたんですよね。

それにしても、武士道礼賛の書物が出回る昨今、もうじき佐伯先生のご高著が出版されるわけですが、もっと武士道否定の書物も出回ってもいいですよね。