『吾妻鏡』講読会について

No.1644

 メーリングリストにも流しましたが、今週から『吾妻鏡』の範囲は、前回までの北条時政関連の記事からかなり時期が下がって、元久二年(1205)六月二十一日条から始めたいと思います。時期は、北条時政による畠山氏追放事件から、義時が執権に就任する時期を選びました。一応鎌倉時代初期というのが最初のテーマだったので、敢えて考え直しました。どの時期から始めるのがいいのか選んでいたのですが、「梶原景時追放」や「比企氏追放」などいろいろこの時期は話題に事欠くことがなく、本当に北条さんは忙しい家だなとある意味つくづく感心してました。
 日時・4月3日(土)10時から12時半
 範囲・元久二年(1205)六月二十一日条
 担当・山内さん
 

Re: 『吾妻鏡』講読会について

No.1645

 >山本君
 梶原景時のケースはまあよいとしても、畠山氏と比企氏の場合、「追放」という表現は変で、問題があると思います。
 >山内さん
 はじめての報告ですが、がんばってください。まず石井進先生の『鎌倉幕府』をしっかり読んでください。畠山重忠については、小生の恩師である貫達人先生の『畠山重忠』(吉川弘文館・人物叢書)を参照。小生も『古代文化』54-6に「鎌倉武士と報復-畠山重忠と二俣川の合戦-」なる拙文を書いています。
 
 話は変わりますが、山田先生の嵯峨と鎌倉のお話。当日、鎌倉を長く研究対象にされている馬淵和雄さんや岡陽一郎さんもお見えだったはずなのですが、何も御意見がなかったのでしょうか。このシンポについては、得宗専制期の北条氏を専攻されている研究者がたくさん登場されるサイトでも話題になっていましたから、何か反応があってもよいのではないかと思うのですが?

都市論シンポ

No.1647

>野口先生
馬淵さんは報告者、パネラーで参加されていました。
しかし、中世都市形成の思想は同一だから、似るのはあたりまえ、
というよくわからない(私だけが?)コメントだけだったような気がします。その「思想」って何なんでしょうか。馬淵さんのご報告は、鎌倉を概観するのに有意義なものだったのですが、山田先生の報告に対するコメントだけは、合点がいきませんでした。私はちょっと疲れ気味なので、30分以上早退したので、その後の討論はわかりません。ただ、前にも言ったように、奈良に関する討論に限定、という話があったので、その辺への質問はかなりしにくい状況でした。
前にも野口先生とお話したように、東と西の都市論の対話が、ものすごくしにくい状況です。都市論研究者のなかにセクト主義があるなんて話も耳にします。私のような政治史畑には、よくわからん世界です。もっと自由に議論したらいいのに。

Re: 都市論シンポ

山田邦和(花園大学・考古学)
No.1650

>野口先生、美川先生
都市論は、注意しないと「地方史・郷土史」になりかねない危険性をはらんでいます。都市の研究は、やっぱり地元に密着した研究者の独壇場になるからです。だから、それぞれの都市研究者は自分の研究対象となる都市への「思い入れ」が強い。自分の都市だけでこじんまりとまとまって、他は知らん、とか、他の土地の研究者が口を挟もうにも、「よそものが何をいってんねん」ということになりかねない。そこまではいかずとも、暗黙の「紳士協定」に囚われてしまい、他の都市への「内政不干渉」ということに陥りかねない。
そうした弊害をどうやって克服するか、問われるように思います。

何? 山田の京都都市論がまさにその典型だって? う~ん、そうだった・・・

京都嫌い、貴族嫌い。

No.1651

 美川先生の御指摘のようなことは確かにあると思います。「中世武士論」もそうですが、「中世都市論」も京都にたいする関心と理解が研究の前提になると思うのですが。
 小生、むかしは「貴族嫌い、武士好き」の典型的歴史好き少年だったのですが、東国武士の研究に貴族の日記が不可欠であることに気づいてから、ずいぶん認識をあらためました。都市論についても同じこと(記録などの文献史料のみならず、考古学的成果の上からも)が言えるのではないかと思います。
 なお、小生、現在は(すこしばかり勉強したためか)平安貴族にたいするイメージもずいぶん変わり、道長さんなんかは実に高く評価しているのですが、しかし、一部の「平安貴族好き」の人たちにはついていけないところがあり、かれらの持っている貴族にたいするイメージの打破をひとつの仕事上の目標にしています。

>山田先生 仰せのとおりです。現今の一部の偏狭な郷土史家よりも中世前期の武士の方がよほどグローバルな存在だったと小生は思っています。平泉の藤原さんも武蔵の畠山さんも相模の波多野さんも、さらには東国武士の典型で質実剛健の代表みたいに言われる千葉さんも、京都と太いパイプをもっていた。北条さんなど幕府成立以前からその代表格です。
 山田先生は考古学が御専門ながら文献史学にも造詣が深く、地域的にも視野の広い御研究をすすめておられるので、ぜひ率先した啓蒙活動をお願いしたいものです。
 しかし京都で京都をテーマに活躍されている歴史学者というのは、角田文衞先生:福島県、村井康彦先生:山口県、美川圭先生:東京都といった具合に遠方の御出身であることは面白いですね。その点、山田先生はバリバリの町衆です。
 ちなみに、山田先生の京都論の入門編は、その御著書である保育社のカラーブックス『京都』に展開されています。必読です。

楽しい環境

No.1652

自分の専門領域だけにのめりこむのもいいのでしょうが。
ぼくはとてもじゃないけれど、できません。
なんといっても、野口先生とか元木先生という、
武士論の第一人者、あるいは元木先生は摂関家研究のパイオニア、京都と陵墓といえば山田先生。古文書の字読めなければ、
毎月京都に来られる田中倫子先生、などと日本有数の学者が身近にいるので、楽しい限りです。というか、精神的安定をえられています。脇で話を聞いているだけで、勉強になります。
ですから、ぼくは、いつも一方的に吸収するばかりです。
しかも、人に批判されるのは、大好きです。
どうせ、ちょっとトロい子が、自分一人でできることなど、
たかが知れていますから。
ちょっと、特異なのかな。