なげかわしい地名変更

山田邦和(花園大学・考古学)
No.1614

みなさん、こんばんは。
「平成の大合併」とやらで、全国的に歴史的な地名がどんどん「虐殺」されつつあります。そのきわめつけが出た!

ニュースによりますと、静岡県伊豆長岡町・韮山町・大仁町が合併して、新しい地名は「伊豆の国市」にするそうです。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040324-00000291-kyodo-soci
「イズノクニシ」ですよ!
どうも、「伊豆市」という名前を中伊豆町や修善寺町が合併してできる新市にとられたから、ということのようです。
対抗馬は「伊豆北条市」だったようで、こちらも便乗のような気はするが、まだ「伊豆の国市」よりはマシか?
それにしても、南アルプス市だとか、四国中央市だとか、今回の伊豆の国市だとか、いったいこうした名称を考えだす連中の頭の中はどうなっているんだろう?

皆さん、歴史的地名がどんどん減っていきますよ。歴史をやっている者としては、おおごとですね。

地名...

No.1616

 僕も京都新聞朝刊で読みました。
 地名も大問題ですが、小・中学校の統廃合で似たような事態になっているのが気になります。
 我が一橋小学校校区のお隣も、修道・貞教小学校が東山小学校になって、粟田・有済小学校も4月から白川小学校になるみたいです。一橋小学校も各学年一クラスが常なので、「一ノ橋」の名前がいつ無くなるのか...時間の問題な気がします。
 伊豆北条市の方が、この掲示板的にはふさわしい気がしますね。どこかで越前斉藤市とか出来ないでしょうか(^O^)?
 

Re: なげかわしい地名変更

末松憲子
No.1621

名前が新しくなるのも問題ですが、大きな都市がどんどん大きくなるのも問題ですね。
私の出身地である名古屋市は、今度3つの市町村をさらに統合するようです。
昔チェリッシュが「庄内川の赤い橋を渡れば見慣れた町~♪」と唄ってましたが(古い?)庄内川が名古屋市との境だったのは大昔のこととなりました。今や京都市の左京区と同じくどんどん北へと進出しています。
ところが、面白いことに南へは伸びていかないんですね。北側は尾張の領土、南側は三河の領土。これがいまだに市民感情に関係しているようなのです。
信長・秀吉(尾張)×家康(三河)の争いはいまだ終結してないわけです。
そういえば吉良上野之介は三河の殿様です。
吉良温泉は源泉が枯渇していたことを発表し、赤字路線だった吉良吉田行きは廃線になってしまいましたが・・・・

すみません、今日のゼミは所用で出席できません。
四月のミーティングには出席します。

「東」京都と西「東京」市。

No.1622

 地名の問題、全く同感です。年号はどこかでエライ人が勝手に決めるのに、地名は人気投票みたいな事で決めてしまう。日本人の歴史認識というより、歴史知識がモロに反映されることになります。なんてったって、律令制成立以来の「大蔵省」をあっといまに、何のこだわりもなく「財務省」にしてしまう御時世ですから(これについては、歴史学者からの発言も耳にしませんでした)。
 その辺りを象徴するのが、「西東京市」でしょう。東の京だから東京だったはずなのに、いつの間にやら「東京」の方がブランドになったらしい。元の発想からすれば、西の東京とは「京」にほかならず。
 一方、「京」も相変わらずブランドとしての命脈を保っているらしく、畿内でもない丹後に京をひっつけて「京丹後市」などというのも出来るようです。なんだか理解に苦しみますね。
 いずれ京丹後市の高校生に日本史のテストで、畿内の国名を問う出題をすると、みんな丹後を入れてしまうことになるでしょう。
 「伊豆の国市」というのは、国-郡-郷(里)という、律令制下の行政単位を知らない人が多いゆえの命名でしょう。ここでも、伊豆国のエリアは伊豆の国の市域のみだと思いこむ人が増えること必定です。「伊豆北条」が絶対によかったのです。
 こんど執筆予定の『北条時政』に「伊豆国田方郡北条(現在の伊豆の国市)」なんて書かなければならなくなるのかと思うと、意欲をそがれます。
 たしか、長岡京市と伊豆長岡町は姉妹都市のような関係にあったと思うのですが、こういうのはどうなってしまうのでしょうかねぇ?
 命名と言えば、「首都大学東京」というのも感覚的に変ですね。

Re: なげかわしい地名変更

新地 浩一郎
No.1624

 こんばんは。町役場職員の新地です。私の働いている川辺町も来年1月に周辺の一市四町で合併することになりました。中世の薩摩国河辺郡に由来する川辺町の名も、鑑真が上陸し、近世には密貿易の拠点だった坊津町の名も消えることになります。地名が持っている歴史的な意味を考慮せずに新しい自治体名をつける傾向が強いようですね。
 現在新しい市の名前を選考中のようですが、候補としては「南薩」「南さつま」「南薩摩」とか地理的なものが多いです。しかし、当然と言うか鹿児島らしく「島津市」という候補もありました。ちなみに隣の日置郡の新市名候補でも「島津市」がありました。鹿児島における島津に対する思い入れは恐ろしいものがあります。
 先日、姶良郡の栗野町と吉松町が合併してできる新町は、「湧水(ゆうすい)町」という名称に決まったようです。新しい自治体名が決まるたびにため息が出てきます。

Re: なげかわしい地名変更

No.1625

こんにちわ。山田先生の仰せの通り、歴史的地名の抹殺には目を覆うものがあります。
但馬では豊岡市が城崎・出石町を吸収し、歴史ある両町名が消えてしまいます。両町名は全国で知られているが豊岡など兵庫県でもろくに知られていないのに、とは城崎の知人の怒りの弁です。それでもまだ伊豆の国市よりはましですかね。
ひらがなにするのもおかしなもので、「さいたま市」は埼玉の読みをそのまま市名にしたものですが、ほんらいは「さきたま」という読みがなまったもの、かくして「さきたま」の痕跡は抹殺されてしまいました。ひらがなの市名は、福島県の「いわき」市が最初で、あれも強引な広域合併の産物でしたね。勿来などの歴史的地名が埋もれてしまいました。
地名の決定には政治的利害などが絡むだけに、昔から歴史を無視した奇妙な命名が目に付くようです。東京の大田区、田園調布のあるところですが、これは大森・蒲田区を合併した結果安直に大と田をくっつけたもの。戦前のことだそうですが、かなり反発があったそうです。九州の福岡。あれは黒田氏の出身地備前福岡の地名を強引に持ち込んだもの。おかげで歴史的にははるかに重要な博多が埋もれてしまいました(明治の市制施行のときに最終的に福岡に決定)。
そういえば、丹波国と丹後国を分離した結果、丹波命名の原点になった丹波郡は丹後に入ってしまいました。いきさつは知りませんが、今の丹波国は歴史的経緯を無視した命名を受けたことになります。それも、千数百年経つと、「歴史的地名」になっているわけですが。
今日の安直な地名変更も、何年か先には歴史的事実として研究対象になるのかもしれません。
それにしても、自分の住所がひらがなやカタカナのある地名に変更されたらと思うと虫唾が走りますね。今度はローマ字の地名が出来たりして・・・。

Re: なげかわしい地名変更

No.1628

 新地さん。ほんとうに鹿児島の人は島津さんが好きですね。藩政期にはヒドイ年貢率だったのに。しかし、小生の故郷の千葉市でも、早くも15世紀の半ばには千葉を去っているのに、「千葉氏」の「顕彰」(質実剛健だったとか、頼朝「公」に忠節を尽くしたとか・・・)がさかんです。市立の郷土博物館の歴史展示は殆どこればかりで、「千葉市」の歴史は「千葉氏」の歴史になっています。しかも、「千葉氏」を「チバシ」と読むと「千葉市」と混乱するというので、無理矢理「チバウジ」などと読ませています。
 地名でも、千葉市の中心部には、むかし「吾妻町」とか「通町」とかいうゆかしい地名があったのですが、それが「中央○丁目」という表記に変わり、さらには千葉市が政令指定都市になるに及んで中央区中央○丁目みたいな味も素っ気もない地名になってしまったという次第です。
 千葉県というのは、戦後の高度経済成長の弊害をあらゆる面で率先して受けたところで、ほかの地域はその結果から学ぶべきところがじつに多いのです。鹿児島の開発、京都の教育など「千葉化」を懸念しております。千葉の「結果」に学んで欲しかった。
 もっとも、千葉も行き過ぎに気のついたところもあるらしく、埋め立てた海岸に巨額の税金を投じて、人工の砂浜を造ったりしていました。
 話を戻して、「島津市」を名乗る資格のあるのは、本来の島津の地である都城市(日向国に属します)でしょうね。しかし、せめて中世に島津庄(日向・薩摩・大隅にまたがる)に属したところでないと、まずいことになるだろうと思います。
 ところで、昨日と一昨日、NHKのBS2で井上ひさし脚本の「国語元年」を放送していました。これが傑作だったことを記憶していましたので、観てみたら、やはり抜群のおもしろさでした。どなたか、録画された方はおられませんか?薩摩言葉を聴いて、また、鹿児島がなつかしくなってしまいました。
 
 元木先生。権力者が勝手な地名改変をした例としては、織田信長の「岐阜」もございますね。
 小生は今の住所がまさにそれなのですが、「○○台」というのが安直でイヤなのです。ひらがな、カタカナはもちろんお断り。
 車のナンバーは「京都」にこだわりました。

国語元年

新地 浩一郎
No.1630

 そのドラマは小さい頃に見た記憶があります。確か、川谷拓三さんが主役ではなかったでしょうか。私は都城出身で、単語自体は薩摩言葉に近いのですが、イントネーションは一本調子の宮崎型でしたので、当時あのドラマの薩摩言葉はとても不思議に感じたものでした。川辺に来て6年、今ではすっかり薩摩言葉が身についてしまいました。それでも年配の方々と話すときは聞き取りにくいときがありますし、枕崎市や坊津町の方々の言葉はさっぱり分かりませんが…。
 あと、合併後は地名表記が「川辺町平山」から「○○市川辺町平山」というふうになるそうです。千竈文書に出てくる鎌倉時代の地名(平山・清水等)は残るので、こちらだけでも消されないようにしたいと思います。

Re: なげかわしい地名変更

No.1632

私の生誕地は、
「東京都港区麻布飯倉片町32番地」という町名でした。
いうまでもなく、
『吾妻鏡』寿永3年5月3日条所収
「伊勢神宮御厨寄進状」に「武蔵国飯倉」とある、
あの場所なのです。
ところが、私が京都に移った後、
「港区麻布台なんとか丁目」
とかいうどうしようもない町名に変更されてしまいました。
まったく、ふざけんじゃねえよ。
「台」をつけると、高級そう、というのは、
いかにも、教養のない方の考えそうなことで。

ちなみに、33番地ですから、隣に
戦前18年間、島崎藤村が住んでいて、
「飯倉だより」なんていう作品があります。

訂正

No.1633

訂正します。

『吾妻鏡』元暦元年5月3日条所収
の「寿永3年5月3日付源頼朝寄進状」です。

Re: なげかわしい地名変更

山田邦和(花園大学・考古学)
No.1640

みなさん、こんにちは。やっぱり、地名にはみんな愛着を持っているんですね。たちまちのうちにツリーがのびます。

元木先生ご指摘のとおり、古代にも地名変更はいっぱいおこなわれました。律令体制下では「一文字の国名」が二文字に改められるというのが原則で、それで「紀国」は「紀伊国」になりました。
そもそも、「平安京」だって794年の新地名ですし、平安遷都にあたって「山背国」は「山城国」に改名されていますもんね。

だから、なにがなんでも歴史的地名を残そう、ということではないわけですね。
要するに、「地名は生き物」だというところの認識に尽きると思います。生き物ですから、成長にしたがって変わっていくこともありえる。また、役目を終えて静かに消え去っていく地名もあるのが当然です。

しかし、その変化は誰がみても自然なものでないといけない。そういう点からいうと、昭和40~50年代の「地名整理」と、今回の「平成の大合併」にともなう地名変更は、どうみても「生き物である地名の大虐殺」だと思います。

その点、滋賀県高島郡のマキノ町・今津町・朽木村・安曇川町・高島町・新旭町の合併問題で、合併協議会がいったん決めた「西近江市」という名称が住民運動によってくつがえり、もとの郡名を残した「高島市」になったのはエライ!

「地名変更をできるだけしない町=京都」の住民の山田でした。

嵐電はエライ!

山田邦和(花園大学・考古学)
No.1641

エライついでにもうひとつ。
京福電車嵐山線(嵐電)の駅名は、地名の博物館みたいで凄い! 壬生、西院、蚕の社、太秦、帷子辻、有栖川、車折、と、知っていなくては読めない(?)駅名ばかり。
特に「西院」は特筆もの。阪急の西院駅は「さいいん駅」だが、嵐電はガンコに「さい駅」。いつも前を通るたびに感服しています。
「西院」の地名は淳和上皇の淳和院に由来する由緒を持っています。それは遅くとも戦国期には「西院=さい」と発音するようになっています。それは、上杉家本洛中洛外図屏風の「さいのしろ(西院城)」の表記で確認できます。
とにかく、嵐電はエライ!