研究は体力

No.1593

鈴木君、いろいろ教えてくれて、ありがとう。

4月3日(土)に入学しようかと、予定してます。
どこにしようかは、まだ最終的に決めていませんが、
自宅から行きやすくて(四条烏丸から送迎バスあり)、
京大生のサイトで比較的評判のよかった「きんき」にしようか、といまのところ思っています。
行きはじめたら、ここに日記を連載します。こうご期待。

ということになると、けっこうやはり大学の先生は暇なんだ、ということになりそうですが、もちろんそんなことはありません。時間はなかったら作り出すものです。経験的には、忙しいときのほうが、原稿が書けるのです。ただし、一つ条件がありまして、体が元気である限り、ということです。体調が悪いとだめですね。

ということは、やはり、元木先生とか近藤先生の原稿執筆量でわかると思います。体力がないと、研究が進みません。どうせ、もってうまれた頭のできは、そう進化しないので、ようは体力、ということになりましょうか。よく食べて、運動して、ということになりましょうか。

反論ある人、手あげて。

朝、4時に起きて、原稿書いている美川でした。

授業に研究は必要ない?

No.1594

「大学の授業に研究は必要ない」
これは、大学の経営者とか、事務職員から発せられるならば、
そうじゃないんだよ、とまあ説得というか、主張することになると思うんですが。

 ところがですよ、大学の教授自身からも、発せられることが、信じられないことに、あるんです。じっさいその文章を数日前に見て、我が目を疑いました。いわゆるFD、授業アンケート関連の文書です。学生の授業アンケートの結果での満足度と研究との相関関係はないから、研究は不要だ。という論法なのです。研究があっての大学の授業だ、なんてわれわれの常識をふっとばす勢いで、現在大学の教授のなかにも、そんな意見が広がりつつあります。

 もう、こうなると、研究の面で、より一層がんばらなくちゃ。という気になっています。ああゆうやつらには、説得するより、事実をつきつけてやるしかないのです。もうたいへんな世の中です。そして、かならず、研究の成果を目に見えるかたちで、社会に示すしかない。みせつけてやるのです。ちきしょー。