Re: 屋島・壇ノ浦侵攻作戦
No.1527
義経の屋島攻撃のように、速攻が決まればよいのですが、初日はなかなかハードな日程になることと思います。平家物語歴史館には長居をされず、ドライバーの方が屋島合戦関係の史跡の分布と道路事情に通暁されていれば、なんとか回りきれると思いますが、ご賢察のとおり志度では暗くなることでしょう。
壇ノ浦の門司・下関ではだいぶ時間的な余裕があろうかと思います。ぜひ、美味い魚の料理を堪能してきてください。17日に新下関到着でしたら、この日は下関側を見学し、18日に海上クルーズと門司側に集中されるのも一方かと思います。
小生が12月に出かけたさいは、山口から宇部・長府をへて下関に入りましたので、源氏軍の侵攻コースがよくつかめました。
それにしても、このたびの遠征軍は、武器・武具・戦闘形態論の第一人者である近藤先生を総大将に、錚々たる歴史学・国文学の研究者と前途有為なその卵のみなさん、さらには出版界きっての名編集者も名を連ねた前代未聞のもので、その成果(戦果?)にはおおいに期待いたしております。
ちなみに、御出陣中のお留守番を担当させていただくのにさいして、気になっているのが、義経・範頼西海出陣の間、京中警固に当たったのは誰なのかということですが、これは明らかにされているのでしょうか?
Re: 屋島・壇ノ浦侵攻作戦
No.1529
元木先生、有り難うございました。
皆様、よろしくお願い致します。
Re: 屋島・壇ノ浦侵攻作戦
長村祥知
No.1533
弾除け(?)位にしか使えない青侍ですが、よろしくおねがいします。
野口先生も仰るように、前代未聞の「錚々」たる先生・先輩方に同行させていただく機会は「そうそう」無いので(野口先生の真似です・笑)期待で胸がどきどきです。
Re: 屋島・壇ノ浦侵攻作戦
No.1535
野口先生、早速のご教示有難うございました。歴史館は17時半までとのことですし、暗くなってもいいわけですから、屋島、志度を見て、高松への帰り、17時前位に立ち寄る手もありそうですね。近藤先生と、運転をしていただく石川さんのご判断を仰ぎたいと思います。
範頼、義経出京中の京都警護は、鎌倉殿御使の二人で代替できたとはとても思えません。京武者、北面系統の武士や、佐々木など、京近郊の御家人でしょうか。もっとも、義経不在はせいぜい2ヶ月ではありますが。
ところで、我々が範頼・義経軍なら、在京軍の指揮官は、野口先生ということでしょうか。そうすると、それこそ近藤七国平というわけにも行きませんので、史実と齟齬しますが、京都守護北条時政で如何でしょうか。頼朝ではないのか、とのご不満が出そうですが、その方は別におられますし。え?話題の先生ではありません。その先生は、まあ平六時定ということで。それぞれが誰かはご想像にお任せいたします。
付清文堂・古代の人物
No.1536
ちょうどレスを書き終えたところに、清文堂から連絡がありました。監修者の栄原先生と協議の結果、6巻は1巻と平行して9月刊行とし、残った方々には連休までに絶対に書いてもらう、それがだめなら交代その他、強硬な措置をとる、8月までにパンフを作成する、といった連絡がありました。
まだお書きでない方で、この掲示板をご覧の方がいたら(そんな奴はいないか)、覚悟してください。すでに原稿をご提出の方々、何とか今年中刊行の目処が立ちましたので、少しだけ御休心ください。
北条時政
No.1546
清文堂の件、結構なお話だと思います。若い方は業績を早く出さなければなりませんし、小生のように自分の書いたものの内容をすぐに忘却してしまうような耄碌にとっては、時間が経過してしまうと、校正の時に執筆時の資料を探し出すのが大苦労ですので助かります。やはり、書いた順番に出版して貰いたい。そうすれば、仕事が整理できて、新しい執筆にも円滑に取り組めるというものです。
それにしても、あまり名を知られていないが、研究熱心・執筆意欲旺盛で、ご本人も発表したい原稿をたくさん持っている、という方がおられる一方で、義務で仕方なしに文字をうめているだけとしか思えないような駄文を書いている人もおられるという情況もあって、ほんとうに世の中、いろいろなところでバランスがとれていないと思います。(自分のことを棚に上げての発言、ご容赦下さい。)
京都守護の拝命、恐縮に存じます。北条時政はミネルヴァの評伝選で今までのイメージとはまったく異なる都会的人物として描きたいと思っております。「非難轟々」を書く前から楽しみにしている次第。
ところで、小生の時政のイメージは加藤大介なのですが、この俳優さんが時政を演じたのは、大河ドラマの何の時でしたでしょうか。
新平家物語
No.1547
野口先生、御返事有難うございます。お尋ねの加東大介演ずる時政は、1972年の『新平家物語』の時です。彼は、長門裕之、津川雅彦兄弟の叔父で、温顔、円満な雰囲気で、三枚目もこなす名優でした。あの時、当方は、時政はこんな温厚な人だったのか?と少し違和感を覚えました。やはり、当時は北条氏というと、陰湿な陰謀ばかりたくらむ一族という印象ばかりが強かったように思います。ちなみに、頼朝は高橋幸治、政子は栗原小巻、義経は志垣太郎、義仲は林与一といった面々でした。
79年の『草燃る』の時は、時政が金田龍之介。凄みとコミカルな要素が混在した名演でしたが、実は本来の山形勲が病気のため、清盛役からスライドしたものです(ちなみに清盛は金子信雄。まるでヤクザの親分)。山形勲が時政を演じていたら、印象は全く異なっていたことでしょうね。
それにしても清文堂、武士関係者はたちまちのうちに提出され、貴族関係の執筆者ばかり5人も残ってしまいました。やはり貴族より武士が優れているのかも?領主制論に転向すべきかなどと思ってしまいます。原稿取立てはやはり近藤先生ですかね。投げ出しそうな人もいますので、そのときはどなたかピンチヒッターをよろしく。
Re: 屋島・壇ノ浦侵攻作戦
No.1550
関東からの弾除け、です。野口先生、過分のお言葉、ありがとうございます(実は、他にも編集者が来るんだったりして…)。また、元木先生にはいろいろとご配慮いただき、ありがたく思っております。以前、の野口先生より、元木・近藤両先生の健脚振りをお伺いしておりましたので、じゃまにならぬよう、しっかりと付いて行きたいと思います。