四月の予定について

No.1482

気が早いようですが、新学期はじめの研究会のご案内です。
四月八日(木)の夕方四時半から共同研究室にて行います。
研究会・・・とはいっても新学期最初ですし、その頃にはみなさんの新しい時間割などもおおよそつかめているとおもいますので、新学期からの研究会の曜日決め、これからのゼミの具体的方針、当面の予定などを話し合うミーティングとしたいと思っております。みなさん、この日はちゃんと予定をあけておきましょう!!
ではよろしくおねがいいたします。
(深夜なのでMLでは明日流す予定です。)

また、一区切り。

No.1486

 永富さん、来年度は卒論や進学で大変だと思いますが、ゼミの「棟梁」よろしく、お願い致します。

 ところで、本日のどうやらお昼頃、このHPへのアクセスがトップページは20000、BBSへは25000を達成したようです。もとより、数より内容ですが、まあ、年度の変わり目でもあり、一区切りといったところでしょうか。開設、一周年目前でしたが、10000ヒットがたしか11月でしたから、大変なハイペースで、それは恒常的な読者が増えているということでしょう。
 なかなか、学問的にも重要な話題もありましたから、そのうち内容を選別のうえ、石浜さんにお願いして本にでもしたいところですね。書き込みの保存については、鈴木君、よろしくお願い申し上げます。

 かくして、当ゼミの内実、全世界にバレバレなのですが、最近発生した問題一件。それは『吾妻鏡』講読会の日程問題です。
 4日の第一回の会の際に、どうやら週一回のペースで行うことが決められていたようなのですが、小生をはじめ、主要メンバーにその情報が徹底しておらず、次回に予定されていた11日に例会が重なってしまったという次第です。
 これほどの情報社会でありながら、行き違いがあったようで、残念。まあ、小生はもとより、メンバーみんな、思いこみが強そうなので、今後は、「以心伝心」ではなくて、欧米人の愛情表現の如く、言葉で確認しあいましょう。
 というわけで、例会と講読会を並行実施という提案もありましたが、それはメンバーが分身の術を極めてから、ということで、11日は例会に集中。今週は「徳子ちゃんウイーク」で。『吾妻鏡』は来週(18日)に多くの参加者を得てやりましょう。
 これで、納得して頂ければ八方丸く収まって大団円。不満が残れば、いよいよ内乱。自力救済の世界へ突入です。

 ところで、話はガラリと変わりますが、昨日の朝日新聞の読書欄に、史料編纂所の保立道久先生の髭を生やされた大きなお写真が載っていました。

トラブルの原因&ご迷惑おかけしました。

山本陽一郎
No.1489

今週の11日に『吾妻鏡』講読会を実施する予定だったのですが、自分の連絡の不手際からその事が上手く伝わってなかったようです。みなさんには、大変ご迷惑をおかけしました。
先生がご指摘のように、掲示板をこんな時こそフル活用すべきだったのですが、全く面目ないです。
 今後の『吾妻鏡』の予定は、今回の穴埋め分を検討中ですが、  ①3月18日(木)・1時から4時まで
    ②3月26日(金)・上記と同じ  
です。範囲や分担などはまた決めたいと思います。

『吾妻鏡』の建礼門院徳子さん。

No.1490

 『吾妻鏡』には元暦元年2,20、文治元年3,24/4,11/4.28/5.1/同3年2.1条に建礼門院が所見します。・・・ということで、11日の『吾妻鏡』講読会は、田中さんの例会発表に吸収合併でよろしいのでは。
 それに、平家と北条氏といえば、時政の後妻・牧の方が忠盛正室・宗子(池禅尼)の姪であるということに着眼された杉橋隆夫先生の興味深い研究もございます。それゆえに、11日には、杉橋先生御門下の滑川さんにも、来ていただけると嬉しいのですが。
 ところで、23日の日本史研究会中世史部会では「鎌倉幕府と京都大番役」というテーマの報告がされるとか。ところが、2月の滝口に関する報告のときと同様、小生、ちょうどほかの用事とぶつかって出席できず(今回はカラオケではありません。念のため)、実に残念です。山本君・長村君、それに滑川さん、出席されるようでしたら、後日、感想などお聴かせ下されば幸いです。
 なお、元木先生・近藤先生を大手・搦手の総大将とする、屋島・壇ノ浦遠征軍の出陣も間近となりました。小生、ちょうど一年ほど前に、屋島、そして昨年末に壇ノ浦を、花園大学の山田先生と共に探索して参りましたので、今後、折りあらば、この場で御報告申しあげ、この度の遠征に役立てていただきたいと思っております。

 本日、研究室に新しい書架が2つ設置され、段ボール箱に入っていた須田先生からの寄贈本を配架しました。模様がえも致しました。残念なことに援軍はゼロ。なかなか、厳しい闘いとなり、その結果、いま腰痛に顔をしかめております。

「棟梁」からひとこと・・・

No.1491

吾妻鏡の日程、一件落着ですね♪内乱に発展しなくてよかったよかった(笑)

野口先生>いただいたメール、返信しておきました。研究室の模様替え、今日だったようですがお手伝いに行けなくて申し訳ございません。腰の方、お大事になさってください

山本さん>掲示板だけでなくMLもがんがん活用してくださいね。

ゼミの皆様>お願いなのですが、何かする時は「棟梁」には一応事前に連絡をください☆
去年まではほとんどを仕切らせていただいておりましたが、今年はゼミの運営に関しては「口だけ」になりそうです。
このほうがまた今後長い目でゼミの運営を考えるとうまく仕事の引継ぎにもなってよいかと思います。
なので今まで私がみなさんの助けを借りつつもほぼ一人でしきっていたことをうまく分散させて役割分担をしたいと思っています。(紫苑編集係とか旅行係とか宴会担当(?)とか・・・)
役割を分担する→その分誰かコアになる人がいないとまったくばらばらになってしまう危険があります。(そして今回のような日程のダブルブッキングなども起こってしまったり☆)
こういうことを防ぐためにも全体で何が行われているかぐらいは把握しておきたいのです。(これが「棟梁」のお仕事だと私は考えているので・・・)
ご協力よろしくおねがいいたします。
四月八日にはそのあたりの詳しいことについても話し合いたいのでできるだけミーティングに参加してくださいね。

鈴木君>トップページの予定表の更新してくれてありがとう♪

平安貴族的心性の美川です

美川圭
No.1494

 来週進発の屋島・壇ノ浦遠征軍に、従軍する予定の美川です。

ただし、私は武力がないので、
ひたすら戦闘がないことを祈るばかりです。
そこで、遠征軍より、一日早く出京し、
讃岐の白峰寺にある崇徳上皇の陵墓を参拝し、
上皇のお怒りを宥めておこうと存じます。

とは、いっても、私には「運転」ということもできないので
(野口先生のおっしゃる研究者必須の条件のひとつ)、
やむおえず、現地で牛車ならぬ、タクシーを2時間ほど貸切る予定です。

他に、鼓岡神社、雲井御所跡、青海神社など、ゆかりの地をまわろうと思います。
今回、崇徳上皇に関する論文を書いたので、そのご報告という意味もあります。まあ、悪くは書いていないので、お怒りになることはないと思っているのですが。誤解されるとたいへんなので。

すでに行かれたかたがおられましたら、ぜひ情報を教えてください。

崇徳天皇陵

山田邦和(花園大学・考古学)
No.1495

美川先生、こんにちは。
崇徳天皇陵への参拝、これはぜひに必要でございますね。
私は中学生の時に始めて行き、昨年に野口先生のお供で20年ぶりにまた行きました。
たまたま、別冊歴史読本『図説天皇陵』に書いた原稿がありますので、一部を紹介させてください。
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崇徳天皇陵
 崇徳上皇は保元の乱に敗れ、讃岐国に流されてそこで生涯を終えた。『保元物語』によると、崩御の地は讃岐国府に隣接する鼓岡〈つづみのおか〉(伝承地は坂出市府中町鼓岡神社)に造られた「木の丸殿」と呼ばれる御所であった。
上皇の遺体は白峯〈しらみね〉(坂出市青海町)の山頂に移されてそこで火葬にされ、その場所に山陵が造営された。
仁安三年(一一六八)、西行法師が崇徳天皇の陵に参拝したが、そこには荒廃した方形造の御堂〈みどう〉が建っていたという。
 現在の崇徳天皇陵は、白峯寺〈しろみねじ〉の旧境内にある。
ここで注目すべきは、陵の南東側に隣接して「頓証寺〈とんしょうじ〉」という仏堂が建てられていることである。頓証寺の正門には後小松天皇宸筆になる偏額を掲げ、明治維新までは御堂中央に崇徳天皇の御影が奉安されていた。西行が参拝した御堂こそ、この頓証寺だったのであろう。天皇陵の中で、附属する御堂の後身が現在まで存続し続けていることはきわめて珍しい。
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中学生の時には気がつかなかったのですが、この頓証寺の存在がきわめて重要だと思いますので、ぜひ御覧になることをお勧めします。
(山の名前はしらみね、寺の名前はしろみね、というのも、今回行くまで知らなかった・・・)

「天皇陵」の原稿に追われている山田でした。

頓証寺

美川圭
No.1496

山田先生、こんにちは。
さっそくのお返事ありがとうございます。
昨年の野口先生との旅行で行かれていたのですね。
うっかりしておりました。

頓証寺、お教えいただきありがとうございます。
ぜひ、見たいと存じます。

「武士論」研究者の心性。

No.1497

 美川先生のタイトルの「平安貴族的心性」で、山田先生の奥様が「平安京探偵団」で紹介された、フランス文学修士修了という、ある女性の方の開いているHPで拝見した一文を思い出しました。
 「平安時代について該博な知識を持っていても、人となりや文体、起居振る舞いから、ファッションに至るまで平安貴族的でなければ、それは魂を欠いた知識に過ぎませんよ」みたいな内容であったと記憶します。でも、「そんな研究者は知る限り歴史のジャンルにはおられませんなぁ」と思っていたのですが、そうそう美川先生を忘れておりました。
 しかし、この伝でいくと、周囲を見渡せばわかるように、「武士論」の研究者は、武士の心性を体現した方が多いですよね。武士といっても、江戸時代の「お侍さん」のイメージではなくて、中世前期のそれですが。
 小生も「武士罪障論者」ということになっていますが、結構、近親憎悪的なところがあるようです。
  
 自動車の運転云々については、長村君の言うところの「在地系研究者」にとっては、必須条件であっても、美川先生のような都のど真ん中にお住まいの方には適用されないでしょう。法皇様が牛飼童の真似をされてはいけません。
 
 さて、白峰寺に行かれるとのこと。ここには、鎌倉時代の十三重石塔がいくつかあって、真言律宗、ひいては鎌倉幕府との関係を思わせるものがありました。北条氏が崇徳をどう評価していたのか、興味深いところです。崇徳上皇の陵墓の背後に、積石の遺構がありますが、これは経塚のようです。
 崇徳の配所だったという鼓岡神社の近くには、香川県埋蔵文化財センターがあります(坂出市府中町)。ここには、パンフレット類が揃っているので、ぜひお訪ね下さい。地名でもわかるように、このあたりは讃岐国府の遺址で、周辺には聞法寺塔跡のような遺跡も多くあります。すこし足を伸ばして国分寺に行かれるのもよいと思います。
 昨年の旅行では、小生が院生時代、ともに桃裕行先生のもとで『小右記』を講読した、野中寛文氏(現在、香川県立高松西高校教諭)に愛車を駆って御案内いただいたので、とても充実した調査が出来たという次第です。学生時代の友は一生の友なのです。ありがたいことでした。

頓証寺

山田邦和(花園大学・考古学)
No.1498

>美川先生
上の書き込みではわかりにくいかったので、補足します。
頓証寺は独立したお寺ではなく、白峰寺の中のひとつの御堂ですので、ご注意願います。白峰寺にはいると、左奥にもうひとつの門があります。それが頓証寺の門で、そのさらに奥に御堂があります。
頓証寺のさらに奥に隣接して崇徳天皇陵があり、そもそもは頓証寺御堂から山陵が拝めるようになっていました。
しかし、幕末の修陵によって山陵は頓証寺から切り離され、別の参道が付けられてしまったので、今では両者の関係がわかりにくくなっています。
なお、京都で崇徳天皇を祀る白峰神宮は明治になってから建てられたものですが、頓証寺御堂の崇徳天皇御影を持って行っているはずです。

なお、香川県といえばやっぱり讃岐うどん。私は讃岐では、毎食うどんでもかまいません。

平家物語歴史館。

No.1499

 そういえば、山田先生は、5タマも入った大盛りのうどんをぺろりと召し上がっておられましたね。
 コシのある讃岐うどんも美味しかったですが、野中先生に御案内いただいた、港近くのお店で食した瀬戸内の海鮮料理も良かった。・・・胃腸の弱い小生、グルメ探訪は得意とするところではありませんので、このあたりにして、高松市内の見所をひとつ。
 高松城跡はさることながら、城跡公園に隣接する県立歴史博物館は、讃岐の歴史を把握するにはぜひ訪れたいところ。ですが、せっかく平家への関心で高松にお出でになったのですから「どうしても」御覧頂きたいのが、平家物語歴史館です。学問的な思考はここではさっぱり忘れてください。まさに流布本平家物語の民放TV局的な視覚的再現の世界がそこにあります。面白いことは請け合いです。これは研究者だからこそ楽しめるテーマパークといっても良いでしょう。
 入館料がちょっと高めですが、インターネットで予約していくとすこし安くなります。四国出身の偉人の蝋人形とも対面できて、小生には、あの不気味なアメリカネズミや化け物アヒルの徘徊する「浦安」ディズニーランドより、ずっと楽しめました。
 http://www.heike-rekishikan.jp/

Re: 平家物語歴史館

美川圭
No.1500

山田先生、野口先生、情報をありがとうございます。

>山田先生
頓証寺、おもしろそうです。それにしても、山田先生は、大食漢なのですか、それとも「うどんは別腹?」

>野口先生
平家物語歴史館は、どうせ伊勢の某館みたいなもんだ、と思っていたのですが、おもしろいんですか。軍勢に合流する16日午後までの時間が、高松で空いているので、行ってみます。

大先生たちの逸話。

No.1501

 山田先生は、まだお若くて育ち盛りですし・・・、大学に勤められてからお酒もだいぶ嗜まれるようになったようにお見受けいたします。小生のような「出っ腹」にならぬよう、お気をつけていただきたいと思っております。
 ところで、平家物語歴史館ですが、これは好き嫌いもあろうかとも思いますが、お一人でよりも、遠征軍全軍をあげて御覧になられた方が、面白かろうと思います。国文学の某著名研究者ご署名の色紙があったりして。おそらく、ここでは伊勢の岩戸屋のごとく、長く語り伝えられる「大先生」達のエピソード(逸話)が生まれるのではないかと、期待がもたれるのです。佐伯先生はお出でになられたことがおありでしょうか?
 じつは、ここには昨年九月、日帰りでの屋島遠征を敢行した田中さん・門屋君をはじめとする当ゼミの国文学部隊も訪れているのです。
 屋島方面の情報については、また、後日に。

平家物語歴史館

No.1503

美川先生へ
 国文学部隊隊員の田中です。
 平家物語歴史館は、やっぱり複数で行かれた方が楽しめるかと思います。私はああいう(←この表現も、行かれたら納得いただけるでしょう)場所は、堅苦しい事は抜きにして思う存分楽しむ事にしております。ああいう場所でなくても(たとえブルーノ・タウトも絶賛の桂離宮でも)不真面目な私ですので、平家物語歴史館は格好の遊び場でした。「ごっこ」遊びなんかがオススメです。(冗談ではありません 笑)これ以上は何も言いませんが、期待はせずに行かれる事も最後にオススメしておきます。
 「エピソード(逸話)」ではなく、「伝説」を期待しております(^^)

総大将のご意向

美川圭
No.1505

時間的にどうなのかな。屋島だけで、いっぱいいっぱいか。

ぼくは、合流後は、総大将についていくだけなので、
大手、搦手の総大将のご意向に従いたいです。
でも、野口先生、田中さんの書き方だと、
田中さんが、「期待せずに」とはいわれても、
ついつい、期待してしまいますね。

といっても、
今回は、かの大先生がおられませんので、
岩戸屋のごとき「伝説」は無理だと思います。

期待しているのは、ぼくら遠征軍ではなくて、
実は、在京軍の方々なのですね。よくわかりました。

一人で行くのは、常識的に県の歴史博物館にします。

屋島について。

No.1506

 二泊三日で屋島・壇ノ浦を攻略というのは、なかなか日程的にハードだと思いますが、壇ノ浦は半日もあればOKでしょう。屋島方面に時間をおかけください。屋島は確実な史料には登場しないものの、見所は多いのです。
 まず、平家の拠点としての歴史地理学的な観点から申しますと、屋島寺からの眺望をながめるのも良いのですが、車なら屋島北端の長崎鼻に行かれると、屋島の要地たるゆえんが理解できます。しかも天気が良ければ絶景です。近くには、山田先生の興奮を誘った前方後円墳や朝鮮式山城の遺構ものこります。
 義経や佐藤継信などに関係する、いわゆる名所旧跡の類は、後世の所産でしょうが、東斜面に立地する安徳天皇内裏址というのは、地形的になるほどと思わせるところにあります。また、その対岸の八栗山のある半島に所在する六万寺も安徳の御所址と伝えられますが、ここも同様です。
 屋島における伝承を文学的にまとめた担い手は志度寺(補陀洛山)の僧たちのようです。それゆえ、ここの見学も必至となります。ここはたしか、藤原不比等と龍神に関する伝承があり(摂関家の神話として検討の価値あり)、荒廃した室町期の庭園の跡(往事はとても素晴らしいものだったと思いました)、また、平賀源内のお墓もここにあります。
 見学の資料としては、二万五千分の一の地形図のほか、山川の『香川県の歴史散歩』が便利でした。

壇ノ浦について。

No.1508

 壇ノ浦に行くには、新下関に停まる新幹線は少ないので、小倉に出た方が便利でしょう。小倉から下関に出るも、門司港に出るもよし。後者なら途中の門司で下車して、安徳天皇御所跡の伝承のある御所神社と、その先の戸上山麓の戸上神社に行ってみてください。駅から徒歩15分ほどです。天慶3年、藤原純友追討に下向した源経基は鎮定を祈願して戸上神社の社殿を造営したと伝えられています。かつて、社殿から鳥居の方向の先は海に続く道が一直線に伸びていたようです。
 門司港駅の周辺はレトロの街並み。ここは、かの藤原新也の故郷。しかし、その写真集『少年の港』に映し出された光景はすでに過去のものとなっていました。ちなみ、ここは前勤務先で同僚だった国文学の中村格先生が少年時代を過ごされたところでもあります。
 先生のお教えによると、門司は『梁塵秘抄』に、
 筑紫の門司の関、関の関守老いにけり・・・
と歌われた古くからの湊で、戦前は中国大陸・台湾に向かって開かれた貿易港として栄えたところ。昭和7年、歌手の藤原
義江が医学博士夫人との恋で、遠くミラノに旅立ったのもこの港からのことで、この年、当局は性愛に関する雑誌記事さえタブーにしていたので、やんやの喝采を浴びたと、中村先生はお母上から聞かされたそうです。
 門司港駅前の地さかな料理「はなのつゆ」では、美味しい「ふく白子豆腐」が召し上がれます。「ふくつくし膳」は、ふくマリネ・ふく刺し・白子豆腐・ふく風味揚・ふくめし・ふく味噌汁・漬物・デザートで4500円也。
 駅から少し歩いたところにある高層マンション「レトロマイハート」31Fには展望室があります。ここからは関門海峡が一望でき、平知盛が拠点とした彦島の観察には絶好のところです。
 門司港から対岸の下関の唐戸までは20分ごとに連絡船が出ています。所要5分ほど。「先帝入水」の光景を思い描く間もなく到着です。唐戸市場の2階にある食堂では、獲れ立ての抜群の味の魚料理が安価で楽しめますが、いつも行列が出来ています。
 ここから10分ほど歩くと、赤間神宮。安徳天皇の阿弥陀寺陵です。ここでは、神宮では『源平合戦図録』が2500円で販売されていて、これには平家一門の肖像画が載っています。
 赤間神宮の前に戻り、海岸線に沿って国道をしばらく歩くと、壇ノ浦合戦にまつわる「一杯水」などの史跡に出会います。また、幕末の下関戦争のさいに使用された砲台の跡などもあります。
 この辺りまで来ると、壇ノ浦合戦で源氏側の拠点とされた満珠島・干珠島が見えてきます。
 ここから、頻繁に走っているバスで下関駅に出て、小倉から新幹線に乗って、都にご帰還という運びにされたら如何でしょうか。

平家物語歴史館

No.1520

 野口先生から御下問があったようですが、別スレに書いたような事情で、数日、この掲示板を拝見しておりませんでした。いやはや、進行の早いこと。
 私は、屋島へは何度も行っているのですが、平家物語歴史館は知りません。時間があれば、行ってみたいと思います。ご教示有り難うございました。
 実は、私は諸般の事情で前日は倶利伽羅峠に行かねばならないのです。宿題をギリギリまでためてしまう人間の末路というべきでしょうか。いや、行くのは楽しみなんですけど。で、即座に多少の原稿を書いて、うまくいけば早めに高松に着いて歴史館と、そううまくいくとといいなあと思います。掲示板を拝見していて、一瞬、美川先生と待ち合わせて、などとも思いましたが、何時に高松に着けるかわかりませんので、ここは単独行動にしておきます。
 下関についても、大変詳しいご教示、有り難うございました。行程は総大将に従いますが。