土蜘蛛と源頼光と神楽岡

山田邦和(花園大学・考古学)
No.1436

みなさん、こんにちは。

うちの奥様の頁「平安京探偵団」
http://homepage1.nifty.com/heiankyo/
に、源頼光の妖怪退治についての論をアップしてみました。
もともと『国立能楽堂』という、ちょっと特殊な雑誌に書いたものですので、必ずしも多くの人の目にとまっていなかったと思います。

源頼光の妖怪退治伝説 1「酒呑童子の大江山」
http://homepage1.nifty.com/heiankyo/yomo20.html
源頼光の妖怪退治伝説 2「土蜘蛛伝説と源頼光」
http://homepage1.nifty.com/heiankyo/yomo21.html

特に見ていただきたいのは、後者の「土蜘蛛伝説」です。なぜ東博蔵「土蜘蛛草紙」の舞台が神楽岡でなければならなかったのか、その理由に対する仮説を提示してみました。かなり大胆な論とも思いますので、御批判をいただけたら幸いです。

そういえば、京都大学は神楽岡(吉田山)の麓でしたね。元木先生、あの辺にはもう土蜘蛛はでませんか?

山田先生、町内会長御就任。

No.1441

 吉田山の近くに頼光の伝承が成立する理由については、小生もある考えを持っておりますが、ここでは出し惜しみすることにします。そのうち、どこかにデーンと書きます。
 それよりも、山田先生は町内会長に選出されたとのことで、御苦労様です。花園の史学科主任もまだ任期中なのでしょうか。
 若手研究者だったはずの山田先生も、いよいよ肩書きが「長」だらけになってきましたね。ご無理をなさらないように。そういえば、同志社の竹居明男先生も、ごく最近、町内会長をされていたはずです。
 でも、山田先生のことですから、平安京京域内の町内会運営の経験をもとに、また新しい「京都論」を世に問われるのではないかと楽しみでもあります。

Re: 土蜘蛛と源頼光と神楽岡

長村祥知
No.1444

山田先生こんにちは

私、学生サークルで狂言を習っているので、とても興味深く御論考を拝読させていただきました。
しかし現時点で自分にはあまり生産的な意見を述べる事が出来ないので、つまらない事を伺い、恐縮なのですが・・・

先生は能楽と何か特別な御関係があるのでしょうか??

Re: 土蜘蛛と源頼光と神楽岡

山田邦和(花園大学・考古学)
No.1452

野口先生、長村さん、こんばんは。
野口先生> 先生の「隠し玉」が気になります。どこで爆発するのでしょうかね。
長村さん> 読んでいただき、ありがとうざいます。ただ、私は能楽とはぜんぜん関係ありません。脇田晴子先生だとおんみずから能を舞われるのですがね。
「国立能楽堂」に執筆したのは、まったく思いもかけず、あちらさんからの御依頼です。永く研究生活をやっていると、どこでどんなリクエストが来るかわかりません。今回も、頼光の妖怪退治伝説なんて、自分が書くとは思ってもみませんでした。
でも、やはり挑戦してみると自分なりに勉強になります。チャンスを与えてもらった国立能楽堂には感謝しています。一般化していうと、どんなことでも「チャンス」が巡ってきた時に、それをパッとつかめるか、またはグズグズしてそれを逃すかで、その後のありかたが変ってくるような気がします。
・・・国立能楽堂の仕事をしたおかげで、梅原猛原作のスーパー狂言のプレ公演にご招待いただくという役得がありました。

Re: 土蜘蛛と源頼光と神楽岡

長村祥知
No.1453

山田先生
お返事ありがとうございました。
そして自分も、「チャンス」を逃さないように頑張りたいと
思います。
スーパー狂言・・・どのような出来かは存じ上げませんが、役得とはうらやましいかぎりです。
以前自分の卒業公演の際にも書き込んだことの繰り返しとなりますが、古典曲には変容しながらも長く受け継がれるだけの良さがありますし、素人の(特に学生の)芸には、心地よい熱意・気迫があります。
もしご興味と機会があれば、是非一度学生能をご覧になってください。

さて。
実は私、田辺の収蔵庫で、若き日の山田先生の須恵器実測図を
拝見したことがあるんです(勿論とても上手でした)。
結局私は文献史学の魅力に惹かれ考古学を専攻とする事無く、野口先生のもとにおしかけていって、今こちらにお邪魔しているわけなんですが、まさか能楽関連でこんなやりとりをさせていただけるとは思いもよりませんでした。
世の中不思議だらけです。

Re: 土蜘蛛と源頼光と神楽岡

山田邦和(花園大学・考古学)
No.1462

長村さん、こんにちは。

私の若き日の須恵器実測図ですか。どこの遺跡のやつでしょうかね。同志社京田辺校地の下司古墳群かな?
私は1・2回生の頃、土器の実測図が描けなくて苦労したのですよ。何べん描き直しても似てこないので、途中で投げ出すことたびたびでした。
しかし、それでは考古学をやる資格はないわけです。3回生になって一念発起、土器の実測に没頭し、とにかく丁寧に描くことを繰り返したおかげで、なんとか人に見せても恥ずかしくない図面が描けるようになりました。
考古学ならば図面が描けること、文献史学ならば史料が読めること、外国史ならば外国語ができること、いずれも必須ですね。これらの技術は、やはり若いうちに根をつめた努力をしないと身に付かないのだと思います。