東京都立大学史学科と改革問題

No.1215

 歴史学・日本史研究において大きな役割をになってきた東京都立大学人文学部史学科が大変な危機に瀕していることは周知のことだと思います。この問題について、川合康先生より、新たなHPを立ち上げたので、御覧頂きたい旨のメールをいただきました。これは、大学関係者ならびに学問研究にたずさわる人間にとって共有すべき問題だと思いますので、ぜひ本HPを御覧になっている皆様にも御覧頂きたく、御紹介申し上げます。
  http://www8.plala.or.jp/kawi/sigaku.htm
 川合先生は原則として毎日更新される予定とのことです。

Re: 東京都立大学史学科と改革問題

No.1218

たまたま川崎と横浜の国境に住んでおりますので、よく横浜へ国越えするのですが、昨年の衆院選のとき、たまプラーザという駅で(金妻の舞台です)、出雲の市長をやった某氏の応援演説で横浜市長が、それはもう悪し様に横浜にある某市立大学の悪口を言うのを聞きました。そんなにカンタンに社会貢献、社会貢献っていうなよな、大学ってそんなもんなのかよと悲しくなりましたが、具体的に数字をあげて、いくら維持費がかかり…という話をするものですから、みんな肯いて聞いているようだったのが気がかりです。流されないで、よ~く考えれば、どこかおかしいということがわかると思うのですが…。もはや、都立大は後戻りできないところまで、来てしまったのでしょうか。関西の市立大学や府立大学は大丈夫でしょうか。

現代社会の風潮

No.1226

よく歴史学と現代社会との関係や、歴史学は社会とどう関わるべきかなど考える時があります。それは、歴史学だけでなく、哲学や芸術学や国文学などにも言える問題だと思うんですが。でもいつもこれといった明確な答えを出せずにいます。ただ、歴史学や国文学などは、社会に経済的な効果(実益)で貢献すると言ったそのような次元ではないのは確かだと思っています。そのような価値基準で学問のジャンルを評価する社会になったら、それはすごく恐ろしい事だと思います。最近の博物館や美術館などは、特別展などで利益を上げるために試行錯誤しているのは分かるんですが、元来芸術の分野というのは、すぐに経済的利益とは結びにくい分野だと思います。利益優先の芸術は、商業主義的になりかねません。いろんな意味で、今の社会とは、経済的利益優先社会になって行くのでしょうか?しかし全ての価値基準が経済的利益に集約されてしまい、その価値観が絶対というようになれば、経済的利益を生まないものは排除されるという、ある意味、価値観の次元における全体主義的な社会になりかねないと思います。その一端が都立大学の問題に垣間見えているように思えます。

Re: 東京都立大学史学科と改革問題

美川圭
No.1227

 私は、摂南大学という関西ではある程度知名度があるが、全国的にはほとんど無名な大学(薬学部だけは例外的に知られている?)で、日々悪戦苦闘しています。名前を言ったらだれでも全国的に知られている関関同立なんかに較べると、ほんとうにどう学生を集めるか、あるいは集めた学生をどう覚醒させるか、悩んでいます。
 薬学部の様な、国家試験にできるだけ合格させて(実際数年前まで毎年合格率トップであったわけです)、学生を集めていく、というのは、中ではものすごく大変なんですが、方向性ははっきりしているので、試行錯誤の度合は比較的少ないのです。
 ところが、私の所属する国際言語文化学部というところだと、その方向性が明確ではありません。むしろ、明確ではないところが特徴です。外国語学部と文学部が合体したような性格なんですから(いわゆる国際関係学部ではないのです)。そうしたところで、私のような教員がどうすればいいか。それは、文学部史学科などとは、全く異なるのです。
 日本史・世界史を選択科目としてはいますが、英語と国語で合格できるので、歴史の知識は皆無、といった学生が大半です。歴史は中学、高校と履修して、定期試験ぐらいは受けているはずですが、受験科目として選んでいないと、塾通いしている私の小学校5年の娘と同じようなレベルです(最近の中学受験のレベルはすごい)。
 その学生たちに、歴史の刺激性を、強烈にたたきこまねばならない。その点では、一番役立っているのは、典型的不人気予備校講師時代の苦悩と試行錯誤です。自分の専門に近い平安末(いわゆる院政)、戦国時代と織豊期、幕末、日中戦争~太平洋戦争、あたりを複数の授業科目にたたきこんで、ごくごく基本的なところから、ものすごくわかりやすく(自分ではそのつもりなのですが?)しゃべりまくる。これしか、やりようがない。とにかく歴史のおもしろさを伝えないと、教室の学生をつっぷして寝込ませてしまう。自分が大学でうけた授業とは全く違うことを毎日やっているのです。とくに院政の授業は、ほとんどノート無しで、自分が研究してきたもののエッセンスを、たたきつけています。ここがうまくいかなかったら、自分の存在価値は皆無と考えています。
 それで、学生をどうするのか。明確ではありません。とにかく自信のなかった顔を、明るくさせる。いままで勉強が出来ないと思っていた学生たちが、いやー自分たちにもできることがあるんだ、と思わせて、社会に送り込んでいく。そして、実社会で思う存分活躍させる。最近の卒業生でも、トヨタのセールスマン日本一(なんと車をい1ヶ月に100台も売るそうです)なんてのもいますが、典型でしょうね。
 私のおかれた立場というのを、少しは理解していただけましたでしょうか。

都立大学その他

No.1237

 昨年暮れに、たまたま都立大で学会をやって、やり方のひどさを聞いてあきれかえったのですが、あんなことがまかり通るなら、これからは何が起きても不思議ではありません。
 たとえば、既に入学している大学院生が、無事に学位をとれるかどうかすらわからないというぐらいですから…。それって詐欺じゃないの?
 石浜さんがおっしゃっている横浜市長は、野口先生にも私にも関わる某大学出身の人だろうと思いますが、ああいう若くてかっこいい「改革派」風の人が、いらない高速道路のように大学をつぶしてゆくのでしょうか。
 私たちも、「文学」や「歴史」がなぜ必要か、わかりやすくアピールしていく必要があることは確かでしょうが、あそこまで問答無用が通用してしまうのでは、それ以前の所で無力感に襲われます。せめて、自分のいる教室から、そういう政治家を出さないように…というのは冗談で、そんな心配をしなくても、私の所にいる学生は市長や知事にはなりそうもありませんが…。

Re: 東京都立大学史学科と改革問題

美川圭
No.1239

 佐伯先生、こんばんわ。

 実は、これからは何が起きても不思議ではない、というのは正しいと思います。いや、ことは、はっきりとおき始めています。その目に見えるのが、都立大であり、横浜市立大であり、というところだと、認識しています。

「哲学」「文学」「歴史学」といった、古くから大学の根幹にあった学問は、軽薄な実学のもとに、いまたいへんな逆風下にあります。

 われわれの学問が役に立つといくら主張しても、実学群はもっと役に立つ、というので、足下をさらわれてしまいます。

 ですから、社会に対して、どれだけわれわれの学問が、魅力的であるか、その神髄をしめさなくてはならない。

 そのためには、目先のおもしろさよりも、もっと奥深いものを探らねばならないと思います。

 しかし、自分のおかれた現状は、それをやっていては、対処できない状況でもある。そのことを、>>No.1236で申しました。もうひとつ荒波がきたら、転覆しそうです。

実学主義

No.1241

 都立大学の現状は、9月の平家物語研究会で川合先生からお伺いしました。現役学生としてとてもショックを受ける内容でした。それこそ、佐伯先生のおっしゃるように「それって詐欺じゃないですか!?」と言ってしまったほどです。
 確かに、哲学や文学、歴史学という学問は、経済利益をはじめとする「利益」に対して即効性のある物ではありません。でも、この国が見本としてきた諸外国の現状を考えれば、即効性に変えられない物がある事に気づかない事の方がおかしい。そういう現状に置かれた「若者」として、この都立大の問題はとても重大で深刻な問題です。
 とても個人的なことですが、高校時代の友人達に「理系」の人が多く、「今何やってるの~?」と軽く聞いても、「ナノテク」という答えが返ってきたりします。その「ナノテク」の友人は、再生医療に関わる研究をしているということでした。でも、その彼女が大学に入るきっかけは「アトムを作りたい」というものでした。これはちょっと話がズレますが、現在医療に「貢献」して「利益」を産する学問を学ぶ人だって、結局そんなきっかけなんですよね?

実学とは?

No.1244

 ニュースでもよく見ますので、都立大の内容は知っているつもりでしたが、やはりかなりのフィルタがかかっていたようです。自分の通っている大学は、教員養成系でしかも情報教育の専攻にいるので、実学そのものの分野にいることになってしまいますね...。
 経済的な「利益」が、世の中に「貢献」するかは疑問です。理系分野でも、理学と工学に分かれます。利益に直接つながる「工学」があっても、基礎的な研究の裏付けがないと何も出来ません。それがある程度はっきりしているのでわかりやすいのかもしれません。
 歴史は専門ではないので的はずれかもしれませんが、理系分野は未来をつくるもので、歴史は過去をつくるものだと思います。人間が理解出来るのは現在しかありません。未来や過去を現在の言葉に言い換えるのが研究ではないでしょうか?ただ、実益になるものは、未来や過去のものを現在で再生産しているだけな気がします。
 発展途上国での教育内容で、特にエリート養成コースな所は、「国語・英語・数学・理科」だけで、「社会や実技教科」は省略されている所は多くあります。結局、都立大での流れも同じように感じます。
 ただ、教育実習にいったり、いろんな人と交流したりして感じたのは、専門分野はその専門に進めば出来て当たり前で、プラスアルファが無いと一段階上に進めないという事でした。プラスアルファが必要なレベルまで、世の中が到達していない証拠なのでしょう。何を持って実学なのか、短いスパンでしか物事が見えない場合は、答えは明らかですね。
 先日の京都新聞の特集で、島津の田中さんと生物学の先生の対談で、「科学にはインタープリターの役割が必要」という記事がありました。記事では理系の人だけの話でしたが、とても納得してしまいました。
http://www.kyoto-np.co.jp/kp/rensai/century/century01.html

都立大の問題は見守るだけしか僕には出来ないですが、悪い方向へ進む引き金を引くことだけはしないような知識を身につけていたいと思います。

Re: 東京都立大学史学科と改革問題

美川圭
No.1245

 現在、崇徳院をめぐる「噂」と政治との関係を考えているので、妙に気になることがあります。都立大をめぐっていろんな噂が聞こえてくるのです。

 そのもっとも象徴的なものが「あそこの人文系教員は週に
1日しか大学に来ていなかった」というものです。つまり、あんなにめぐまれた環境に甘んじていたから、ああなるんだ、というものです。たぶん、意図的に流されているものだと思いますが、かなりのインパクトがあります。

 私のところでも、週3日出講日だったのが、昨年から週4日になりました。つまり、研究か教育か、という問題設定が強引にされて、教育を優先せよ、ということなのです。しかし、この設定は間違っていますよね。大学というのは、研究があっての教育で、その両者は一体のはずなのです。しかし、一部に、あまりに教育をないがしろにする教員がいることも確かで、それが世間では、非常にめだってしまいます。そういうことと、1日しか出てこない、というまことしやかな噂が合体して、にわかに真実性を帯びるわけです。やはり、きちんと社会に対して反論をしておくべきです。

Re: 東京都立大学史学科と改革問題

末松憲子
No.1248

実学とは何か。私も大学の修士に入って一年、そこに悩まされました。
私の通う京都精華大学は、現在学科編成で環境学科や文化表現学科などができつつあり、来年以降もまだ増えるようです。それと同時に、あと二年で私の出た人文学科はなくなります。
もともと人文学科の頃から、環境、ジェンダー、教育学、歴史などが入り乱れた学校だったのですが、新学科になってからは学生の目から見てもヤバさを感じます。

また、現在修士には教育学、環境、社会学と、伝承文学の私が所属しているのですが、合同演習などは皆同じ授業に出ねばなりません。「広く学問を学ぶ」という当初の理念はわからなくもないですが、担当の先生が環境の方で非常に実学よりだったので、ものすごく辛く「役に立つって何だ?」と常に考えていました。
その先生いわく、「研究というものは人の役に立つことで、そうではないものは勉強だ。忙しいサラリーマンでも読んでもらえるような簡潔な文章を書かねばならない。」とのことで、いかにこれから自分が研究することが社会に対して有益なのか、それを授業で発表せねばなりませんでした。
一部わからなくもないのですが、必須単位の中にいくつかこういう授業があったので、「せっかく修士に入ったのに自分の研究とはまったく別のところで何故こんなに苦悩しなければならないのか?」という事を一年常に考えていたように思います。

温故知新という言葉がありますが、実学にはそれが無いように思います。「役に立つこと」という概念自体も曖昧ですが、役に立たない事は研究しない社会というのは、思想が一方向に統制されやすい物騒な社会なのではないでしょうか。

とはいえ、今一番の問題は国立出身以外の修士には、ほとんど専門の就職がまわってこない事ですね。
現在30歳くらいの方から就職がつまっていると聞きますので、その下の10年分くらいの世代は、研究者になれず空洞化世代になるのではないでしょうか。そうすると30年後くらいにいまの年金問題と同じ、ピラミッドの下があやしくなってくるように思います。

つらつらと駄文を重ね失礼しました。思うところが最近たくさんあったものですから。