怖いことだらけ
美川圭
No.1197
私も、さきほどいただきました。
電光石火の如し、ですね。
私も、『後白河天皇』などという、分不相応な課題をいただいておりまして、なんとか安田元久先生や、棚橋光男先生の御著書を越えるものを、と思いながら、
両先生共に、痛ましい、あるいは早すぎる最期をとげられたことに、怖がってもいます。
後白河は、後醍醐や後鳥羽と違い、天寿をまっとうしているといえるので、たんなる偶然とは思いながら、怖がりなもので・・・。
ところで、
卒論の副査に、三島由紀夫の『金閣寺』論があたったため、何十年かぶり(たぶん中学生以来かも)、『金閣寺』を再読しました。さっき読み終えたところです。中学生の時はわからなかったのですが、金閣寺への放火が、主人公のなかでまったく必然的であると確信させる論理的構築力に、舌をまきました。ちまたには論理の無茶苦茶な「論文」があふれていますが、はるかにこの小説は論理的でした。しかし、その「結論」はまことに怖い。
ミネルヴァの『後白河天皇』の前に、某新書から『院政』という本を出すことになっているのですが、その終わりはどこまで書くか。
鎌倉後期は当然として、後醍醐をこえて、義満まで、という「夢想」を、いま現在はもっています。ちなみに、エピローグは、金閣寺炎上でしょうか。身の程知らずの、これも怖い。
それにしても自分の学力不足、学問的蓄積の貧困さを、ひしひしと感じる今日この頃です。院生の皆さん、お金はなくても時間のあるときに、しっかり勉強しておいてくださいね。
後白河院の評価。
No.1199
美川先生こんばんは。入試業務はお済みでしょうか?
たしかに後白河の伝記を書いた研究者にはジンクスがありますね。歴博の館長のような。
単行本ではありませんが、昔出た朝倉書店の『日本人物史大系』の古代編に小生の恩師である貫達人先生も後白河の伝記を書かれています。これが、一刀両断の暗君説で、当時としては珍しかったと思います。貫先生は別の本で、摂関政治=政所政治というのは誤りであるという指摘もされておられます。僭越なことですが、最近、恩師の慧眼とその研究成果を再評価しております。本当に「不肖の弟子」とはよく言ったものです。
『院政』という本は、昔、至文堂から吉村茂樹著で出たことがありますが、美川先生の新著、楽しみです。室町時代までというのは、良いですね。どうも、最近の研究成果は在来の時代区分のイメージに整合しなくなってきましたから。
院試が終わってホッとしている方もおられますが、本当に院生の皆さん。勉強して身に付くのは今のうちですよ。ようやく時間が出来ても、意欲と体力(視力)と記憶力が衰えますからね。これは、50を越していない美川先生には該当しないかも知れませんが。その点、元木先生は超人です。
>山本君・平田さん
9日(月曜)昼から研究室で『紫苑』の校正作業を永富さん・長村君とするので、お暇があれば手伝いにおいで下さい。コンビニ弁当くらいはご馳走します(ケチだね)。
Re: 祝・元木泰雄著『源満仲・頼光』御刊行
No.1200
野口先生、当方もまだ40台ですので・・・。何せ、心身ともにぼろぼろです。超人というのは近藤先生のような方でしょう。
ともかく、拙著に関する御高評、有難うございました。校正など編集サイドと日程調整が上手く行かないところもあり、色々問題があると存じます。何かお気づきの点がありましたらご指摘くださいますようお願いいたします。実は209ページの佐伯君の名前が間違っていると、彼から抗議を受けました。
誤:佐伯智弘→正:佐伯智広
ご修正をお願いいたします。
そういえば後白河の祟りは、上横手先生も心配しておられました。だから、岩波新書をお書きにならないとか?しかし、暗君としてばっさり切られた貫先生のご壮健を伺い、安堵致しました。だいたい、大河ドラマで後鳥羽を演じた尾上辰之助は若死に、後醍醐を演じた仁左衛門も重病に陥りましたが、後白河を演じた滝沢修が90台の天寿を全うしたのを始め、松緑もまあ長生き、中尾彬はますますギラギラのようです。美川先生、そういうことのようですから、ご安心を。
17日はよろしくお願いします。
それでは、もしや崇徳の祟りか?
美川圭
No.1201
貫先生のことをすっかり失念しておりました。
暗君説の貫先生のご壮健、ということからすれば、
やはり後白河の祟りはありえませんね。
とすると、もしや、後白河を評価すると、あの崇徳の祟りが、及ぶのでしょうか。棚橋先生の後白河評価は非常に高かったですね。安田先生はどうだったかな。お二人の先生にもうしわけない言い方ですが。
ドラマで後白河がよく描かれることはありませんから、後白河を演じた俳優の方は問題ないのでしょうか。
これはこれで、また怖ろしい。
こんなことを言っていると、歴史上の人物は論じられません。科学的な歴史学ということばももう死語に近いですが、そういう立場の人間が迷信を信じてはいけません。というのはたてまえです。やはり、上横手先生も怖れられておられましたか。
でも、水死と伝えられる唐人お吉を演じていた太地喜和子が、車の転落事故で水死したなんてニュースのときは、ぞっとしました。こういったこと、俳優たちもきっと気にしていますよ。
Re: 祝・元木泰雄著『源満仲・頼光』御刊行
No.1206
太地喜和子といえば、前回の『白い巨塔』で、財前の愛人の役(今回は黒木瞳)を演じておりました。主役の田宮二郎とともに、中心の俳優二人が変死したことになります。少し気持ちが悪い。
その他の出演者のうち、東教授役の中村伸郎、鵜飼医学部長役の小沢栄太郎、大河内教授役の加藤嘉、耳鼻科教授役の小松方正、東大船尾教授役の佐分利信、里見の兄役の岡田英次、財前の岳父役の曾我廼家明蝶、大阪医師会長役の金子信雄、その仲間(何の役か忘れた)の戸浦六宏、東の前任の教授の西村晃、助手役の河原崎長一郎らが鬼籍に入ってしまいました。いずれも病気で亡くなったのですが、時代の流れを感じますね。
ちなみに、里見はもちろん山本学、その妻が上村香子、東の娘は純情派だった島田陽子、東の妻が東恵美子、財前の対立候補は米倉斉加年、医療ミスで死ぬ男は谷幹一、その妻中村玉緒、その息子中島久之、その弁護士児玉清、財前の弁護士北村和夫、裁判長大滝秀治、柳原が高橋長英、江川が坂東正之助、難波大学医学部の同窓会長が渡部文雄、証言する看護婦長の夫が山田吾一、財前の妻が生田悦子、財前の母が中北千枝子(昔,日生のCMで日生のおばちゃん役、その昔黒澤の初期の傑作『二人の日曜日』に主演)といったメンバーでした。
今にして思えば、すごい顔ぶれでしたね。DVDでも売っているし、テレビで再放送の噂もあります。
ところで、ミネルヴァは次が関幸彦氏の北条政子の由ですが、そのあとはしばらく中世の予定がないそうです。関係各位のご健闘をお祈りします(余計なお世話だ!、との声がありそうですが)。
当方は年度末校務を済ませたら、『日野町史』40枚、その次はNHKブックスの保元、平治の乱にかかります。引き受けた仕事は思い出せないほど(催促しない仕事は、急がないでいいわけだし、実際に忘れてしまうのでやらない)ありますが、肉体の衰え、学務の繁忙化と競争しながら、できるだけ片付けたいと切実に思っております。
ちなみに一昨年逝去された熱田先生は、引き受けたらこっちが強いというポリシーをお持ちでした。借金と一緒ということでしょうか。仕事の重要性に応じて、特急、急行、準急などとランク分けされたとのこと。「お宅は準急程度」とか仰って編集者を煙に巻いたとか。今なら、快速特急だの快速急行だのがありますから、ますます煙に巻くには宜しいようで。超特急といっても一番早いわけではない、だって「のぞみ」があるのだから、なんて言い出したらキリがありませんね。
余談ですが、「のぞみ」「ひかり」というのは、戦前同じ路繊維ペアで運行されたある列車の名前です。どんな列車でしょうか。
訂正
No.1208
最後からに二行目は、「戦前同じ路線で・・」の誤記です。失礼しました。
新幹線→自衛隊→白い巨塔→北条時政
No.1209
「ひかり」と「のぞみ」は、南満州鉄道に接続した朝鮮鉄道の釜山-奉天間を走っていたのではありませんか。これも、新幹線同様の標準軌だったのでしょうか?しかし、新幹線の名称は、JRには大陸進出の野望でもあるのかと思わせるような命名ですね。技術輸出の成功祈願のような意図でもあるでしょうかね。このところ、自衛隊の海外派兵も、私たちの「黙認」の結果、現実のものとなり、戦時中のニュース映画みたいな「出征」場面がテレビで放送されることになりました。テレビケーム世代の若者たちは「ラスト・サムライ」と「新撰組」に踊らされて、日本も「懐かしい時代」に回帰しつつあるようです。ですから、そのうちに航空自衛隊の国産戦闘機として隼とか疾風とか鍾馗なんていう名前が復活するかも知れませんね。昔、プラモデルでずいぶん作りましたけど。
「白い巨塔」は、昔の方がぜったいに良かった。財前の義父を演じていたのは金田龍之介かと思っていましたが、明蝶でしたか。こういう記憶違いがありますから、商売柄、同時代の公家日記の記事だからといって安心できないわけです。
それにしても前作は1978年だったと思いますが、小生が貧乏院生の頃でして、「教授」ってものになるのは、えらい大変なんだなぁと思ったものでした。その後、筒井康隆氏の『文学部唯野教授』を読むに及び、文学部と医学部がまったく別の世界であることを思い知り、さらに自分がいくつかの大学に勤務した結果、「大学」という名称は同じでも中は様々だ、ということを身をもって認識した次第です。同じ県の県立「高校」でもそうですけど。
次に、原稿執筆の件ですが、小生など、出版社から依頼をいただけるうちが花だと思っています。それにしても、ミネルヴァの近刊に関幸彦先生の『北条政子』がラインナップされているとは!
関先生もほんとうに精力的にたくさん本を書かれますね。しかし、感心ばかりしてもいられない。政子が出るなら親父の時政も早く書かなければなりませんからね。参りました。
経験と伝達
No.1211
さすがは野口先生、ご名答です。「のぞみ」は朝、「ひかり」は午後、それぞれ関釜連絡船と接続して釜山を出発し、朝鮮半島を縦断、満州に入り、ほぼ一昼夜かけて奉天に到着しておりました。「ひかり」はさらに満鉄に乗り入れ、ハルピンまで運転されています。新幹線のひかりは、在来線の特急「こだま」が音速なら、それよりはやい光速の意味で採用された名称です。それは分かるのですが、そのひかりを凌駕する列車にどうして「のぞみ」なのか、理解に苦しみます。きっと次は「はと」そして「あじあ」の満鉄の急行、特急コンビでしょうか。朝鮮半島や中国の人達はどうして抗議しなかったのですかね。不思議です。
戦争の時代の怖さ、悲惨さに対する感覚は、経験した人とそうでない人の温度差はある程度仕方ないのかもしれません。その怖さを平和な時代に安閑と暮らす人間に伝えることが如何に難しいことか。自分でも死にかかって、初めて死に直面する怖さが骨身にしみました。まして、戦争の中で何年間も死ぬことと向き合うことが、どういうことか、少しだけ分かりました。そして、戦争経験に対する理解が如何に浅薄だったのかということも痛感した次第です。
そのことを思うと、専門とする時代像を、あるいはそこに生きた人間の息吹をどこまで理解しているのか、伝えられるのか、時として暗澹とすることもあります。
ただ、色々経験したものこそ、内実のこもった評伝が書けるのではないか、年とともに歴史上の人物の体温や息づかいに触れられるようになってきた気もしております。年とともに円熟味を出せる歴史学は、ありがたい学問だと思うこともあります。
ちなみに、若いころの苦労は、トラウマにもなりますが、真摯にむきあえば、年を取ってからの財産になる面もある、とだけもうしておきましょう。