貞衡か真衡か(続報)

美川圭
No.1095

以前、野口先生からの「前陸奥守源頼俊申文」の読みの話題の続報です(NO.737)。
従来「清原貞衡」と読んでいた部分を、小口先生が、「清原真衡」と読まれた件でした。
以前、田中倫子先生に、お手紙を出す約束だったのですが、忙しさにかまけて、そのままになっておりました。
今日、冷泉家で研究会があり、田中先生にお会いしたので、『日本の中世5』の写真をお見せして、お聞きしました。
結論は、微妙なところですが、やはり「貞衡」と読んだ方がいいのではないでしょうか、ということでした。根拠は、元木先生ご指摘の「鎮守府」の「鎮」のつくり、との比較で、少し違うということでした。これで、ほぼ決着がついたのではないでしょうか。
ほんとうに遅くなってもうしわけありませんでした。野口先生。

Re: 貞衡か真衡か(続報)

No.1097

 美川先生、ありがとうございました。歴史叙述から鎮守府将軍清原貞衡が消えてしまうかどうかの瀬戸際でした。これで、自信を持って主張できます。それに、裏付けとなっている中条家文書「桓武平氏諸流系図」の評価は、最近の研究で、高まるばかりのようです。
 このことと、平泉の柳之御所遺跡で出土した折敷墨書の人名比定の問題は、中世成立期の奥羽の歴史を考えるうえで、大変重要なポイントだと思うのですが。もっと、議論の対象にしていいことだと思っています。

 ところで、今日は研究室に、平田さんと田中さんが相次いでおいで下さいました。 お二人とも院試に向けて、真剣に取り組んでおられる。山本君も野口君も御健闘を期待しています。
東京の門屋君も。永富さんは仁木先生とお話が出来ましたか?