小川剛生先生の「卜部兼好伝批判」を拝読しました。

No.10904

 数年前に、当研究所の公開講座でも御講演頂いた小川剛生先生の御高論「卜部兼好伝批判-「兼好法師」から「吉田兼好」へ-」(熊本大学国語国文学会『国語国文学研究』49)を拝読しました。
 『徒然草』の著者兼好法師に関する常識的理解を覆す内容。
 小川先生の論文はいつもインパクトがありますが、これは国民的な常識の変更を迫るものですから、さらに影響は大きいでしょう。
 しかし、これは本来なら歴史学のジャンルに身を置くべき者が解明しなければならなかった事実だと思いました。
 ほかにも同じようなことが多々あるものと思われます。
 難しい議論がかまびすしい学界ですが、結構、「砂上の楼閣」みたいなところに立って云々されている問題も多いのだろうと思わざるを得ません。基礎的事実の解明にかかわる研究はもっと評価されるべきでしょう。

 翻刻された史料に書かれている事実でも、それを歴史の中に位置づけ紹介した業績は、考古学者による遺構・遺物の発見と同じ価値があると思います。高く評価されなければなりません。
 そういう先行研究を利用しながら、その史料記事を発見、紹介した業績に対して一顧だに評価を与えないような研究者がときに見受けられます。理論こそ学問だと決めつけて実証を軽視するのは、よからぬことだと思います。自戒も込めて申し上げる次第です。

 それから、小川先生の御高論を読んでいつも感心するのは、対象とする時代・社会における身分や官位秩序にたいする認識の深さです。
 中世前期の武士に関する研究には、これを前提とされていないものが多いように思います。とくに地方の武士の研究などを行う場合、気をつけなければならないと反省させられました。
 私も、青山幹哉先生による鎌倉幕府御家人の官途に関する研究などから、あらためて学び直してみたいと思っています。

 話は変わりますが、先に刊行計画を紹介させて頂いた論集に発表される予定の論文の仮テーマですが、さらに2件のお知らせをいただきましので、御紹介させて頂きます。
   「鎌倉前期の東国御家人」
   「院政下の合議と専制」

 仮テーマ未定はあと一つになりました。お知らせをお待ちしています。 
編集:2014/03/25(Tue) 13:04

『徒然草』の作者と下総出身の渡元僧の関係。

No.10923

 小川先生の御高論によって導かれる兼好の実像。
 さきに下総木内氏を出自とする道源(小見四郎左衛門尉胤直)とのかかわりについて、拙稿「鎌倉時代における下総千葉寺由縁の学僧たちの活動-了行・道源に関する訂正と補遺-」(京都女子大学宗教・文化研究所『研究紀要』24)で論じた際に、いささか身分的な隔たりに対する懸念を感じたのですが、その点もこれでスッキリ致しました。

 【追記】 論集原稿のタイトルの件、すべて出そろいましたので、企画書を提出致しました。