『古代文化』二題。

No.1080

 本日、『古代文化』の編集委員会があり、美川先生のお原稿「崇徳院の生誕と『古事談』-角田説と荻野説-」を預かって参りました。昨夏、美川先生がNHKブックス『白河法皇 中世をひらいた帝王』を出された直後、角田文衞先生からの直接の執筆依頼を受諾されたことは、このbbsにおいて、はじめて公にされたことでした。あれから、半年も経たぬうちに、論文を完成されたことに、美川先生の意気込みを感じざるをえません。「研究ノート」の形で提出されていますが、小生は巻頭論文にしても良いのではないかと思っております。形式的には分量がもう少し欲しいところですが。
 なお、他の委員の先生方からは、「角田説と荻野説」という副題が、荻野説というのが角田説と同じ歴史学の立場からの説のように思われるので、工夫を願いたいという御意見がありました。このような場で恐縮ですが、このことを美川先生にお伝えしておきます。
 それにしても、この論文は「依頼原稿」ですので、近々、皆さんも拝読の機会を得ることが出来ます。お楽しみに。

 続いて、もう一件は。昨晩提案した「福原と平家」特輯号についてです。来年刊行の予定で計画を進めたい旨、委員会で申しあげてきました。元木先生には巻頭の「特輯にあたって」とメインになる論文をお願いいたします。小生も何か一本書かせてください。ほかに、できれは考古・文献・国文学各一人ずつくらい、執筆をお願いする方を早急に選びましょう。山田先生は如何でしょうか。バランスからいうと、考古2名でも良いですね。それと、国文または文献史学といったところでしょうか。早めに決めたいものです。

 ところで、当ゼミでは、「歌合わせ」「歌合戦」、「伊勢旅行」で盛り上がっておりますが、実は小生、目下、とんでもない荷の重い論文を抱えていて、本当はそれどころではないのです。それどころではない場合は、それらしく引っ込んでいればよいのですが(田中さんは院試を目指して、見事に引っ込んでおられますが)、要するに逃避行動で、ここに出てきてしまっている次第です。おゆるしあれ。

荻野説とは

美川圭
No.1081

 野口先生、そんなに持ち上げられると、ちょっと気恥ずかしいです。『古代文化』の片隅にでも載せて頂ければ、望外のよろこびです。論文にするほどのスケールはないので、研究ノートがふさわしいかな、と思っているのですが。しかも、半年でこれしかできないとは、ほんとうにお恥ずかしい。

 また、「依頼原稿」などといっても、角田先生のお怒りの所産かもしれないので(私の感触では先生はお怒りでした)、こんな論証では、箸にも棒にもかからん、といって、ボツにしていただいても、もちろんけっこうです。
 百科事典に書いてある「オギノ式避妊法」の解説をもとに、ごくごく、あたりまえのことを書いただけですから。

 ご指摘の様に、題名にはいちばん苦労しています。
やはり、「荻野説」というと、荻野三七彦先生と思ってしまいますか、歴史をやっている人は。うーん。さりとて「角田説とオギノ説」とするわけにも「角田説とオギノ式避妊法」とするのも変だし。「角田文衛説と荻野久作説」としても、姓に名前をつけ加えたからいいというものでもなく。「歴史学と医学のあいだで」とか。「医学」というほど、だいそれたことをやっているわけでもなく。もういろいろ考えたのですが、名案がありません。野口先生、みなさま、どなたか、お助けください。

 枚数(38枚)も、これ以上は短くはなりようもないのですが、蛇足的に周辺事情、などを書けば、増やしようはあります。野口先生、ご検討いただければ、ありがたく存じます。

国民を惑わすNHK

No.1085

野口先生、古代文化の福原特輯の件、そんな大役は恐れ多いのですが、まあ遷都と平氏の内紛を結びつけてノートくらいなら何とかしたいと思います。
ところで、当方も一瞬写った例の「その時・・・」という番組、問い実はビデオで出番だけ見て寝てしまい、本日改めて全体を見てみると、あれはひどい間違えだらけですね。保元の乱で清盛が大活躍した位はかわいいもので、乱後に播磨と太(!)宰府を同時に手に入れたとか、熊野水軍が平治の乱で清盛に加勢したとか(水軍が都でどうやって戦うのだろう、都もなにやら草原だったが・・・)、義朝・信頼は後白河から政治の実権を奪うために謀反したとか、福原から還都した原因は疫病・飢饉で、帰ってみたら現時の挙兵が起こったとか・・・。
これらのうち、いくつかは質問も受け、はっきり誤りも指摘したのですが無視されました。それはすでにビデオができており、それに合致しないコメントを切り捨てたためです。多くの国民は受信料を払い、これを事実と思ってみているのですから、罪作りとしか言いようがありません。いっそ間違え探しの番組にでもしたらいかがでしょうか。
勝手に枠を作り、必要なところだけ学者のコメントをくっつけて箔付をする、というのはかの上横手先生ご出演の民放番組『知ってるつもり』や、昨年あたりに週間で発行された歴史雑誌と同じです。どうしてここまで学問が軽視されるのか、単に商業主義の横行というだけではなく、学者自身も反省するべき時かもしれません。情けない・・・

御高論について。

No.1086

 美川先生の御高論は、今月号掲載の上横手先生の呪詛にかかわる御高論と同じような視角が感じられて面白く、巻頭になるかどうかは別にしても、ぜひ論攷での掲載をお願いしたいと思います。周辺事情を加筆下されば、そのあたりがさらに鮮明になるかと存じます。次回の編集会議は3月で、ここで正式決定しますから、ぜひ再投稿下さればと思います。
 角田先生への異論を依頼で掲載する。『古代文化』は何と学問的良心に基づいた編集をしているのかと、評価も高まると思います。

 学術雑誌には、投稿しても、その学会の党派的なイデオロギーなどに採否が左右されがちな面が否定できませんが、『古代文化』は、その点は(ご存知の通りの大前提となる条件さえクリヤーすれば)、かなり客観的・公明正大といえます。採否はあくまでも内容次第ですし、もし万一不採用でも懇切なコメントが頂けます。この機会に若い方たちの投稿を期待したいと思います。

元木先生> 本当に、最近のマスコミ、ジャーナリズムは腰抜けになりましたね。プロ意識がありません(もっとも、中国地方の某国立大学の学長だった人は、ヤクザまがいだったという話が新聞に出ていましたから、同業種も危ないのですが)。
 という次第で、元木先生、『古代文化』特輯号の巻頭は、そのお話でいきませんか?かくして、この特輯が企画されたのだと。元木先生にはぜひ論文をお願いします。山田先生にも、さきほど了解をいただきました。
 なお、ほかに、執筆を希望される方はおられませんか?このさい、推薦も受け付けたいと思います。

Re: 『古代文化』二題。

No.1087

変換ミスが多くすみません。「問い実」は当日の、「現時」は源氏の間違えです。これでは他人のことを言ってられませんな。

加筆の方向で考えます

美川圭
No.1088

野口先生、アドバイスをどうもありがとうございます。
さきほど、冷静に拙稿を読み直すと、もう少し丁寧に、背景説明をしたほうがいいところが、ある様な気もしてきました。
論攷にふさわしいものになるかどうか、自信はありませんが、当時の政治過程など、分かっている人にはくどい、と思われる様なことも、加筆してみて、全体でどうか、冗長にならないか、などを考慮しながら、考え直してみたいと存じます。2月の初旬に集中的にやろうと思いますので、ご迷惑にはならないと存じます。よろしくお願いいたします。

それにしても、元木先生の出演番組、事実とすると、やはりひどい。よく言われているとおりではあるのですが。少し、歴史学者も、斜にかまえていないで、具体的に放送の内容を批判しなければならない気がします。そういった本を、協力して出版するのもいいかもしれません。かなり話題になるんじゃないかな。元木先生が旗をたてるなら、はせ参じます。

学問の危機

No.1098

では、NHKブックスの一冊で、マスコミと歴史学といったものを出しますか。マスコミもさることながら、学者にも問題の多い人がかなり見受けられますので(それはお前だ!という声もありそうですが)、我々の専門の時代を中心に、民衆をたばかるあきれた出版物をぶった切る本でも出しますかね。
かなり高名な学者が、学問の論理性も、研究史も無視して夜郎自大の世界に浸リ、一般読書人を無視、侮蔑した結果、学問の衰退と、でたらめな歴史像の横行をもたらしているのは事実でしょう。このままでは、皇国史観が復活しかねません。最近の王権がどうたらという一部の論調には(ご本人の主観はともかく)、そうした傾向が顕著に現われていると思います。心ある学者はもっと危機感を持つべきでしょう。

Re: 『古代文化』二題。

山田邦和(花園大学・考古学)
No.1099

みなさん、こんばんは。「卒論読み」と「センター試験監督」で身も心もズタズタになっている山田です。

>美川先生
御論文、早く読みたいものです。個人的には、角田先生のアクロバット的論証が大好きなのですが・・・
なお、角田先生の「崇徳天皇=白河院御落胤説」に対しては、北海道大学の河内祥輔先生が反論されていますね(『保元の乱・平治の乱』)。ただ、河内先生は、落胤説とは最晩年の鳥羽法皇の頭に浮かんだ妄想であるとあっさり片付けておられ、あんまり面白くない。
美川先生の快刀乱麻に期待ワクワクです。

>野口先生
『古代文化』の福原特集、いいですね。私も(短いものしか書けないかもしれませんが)がんばってみたいと思います。

あしもとの歴史認識。

No.1101

 小生、「王権」には現在進行形で悩まされていますが、そもそも、一般の方たちの「歴史」というものにたいする認識が、あまりに研究レベルのものと乖離しているのが、全ての始まりだと思います。その理由は、一般市民の方たちが、歴史学の科学性のようなものを、認識できる経験を得る機会がないからではないでしょうか。一般の人の立場からすると、小説家も歴史学者も対等で、(でたらめでも)気の利いた面白いことをいうだけ、小説家の方がマシのようです。
 また、各地方における歴史認識も、近年、その地域における皇国史観のごときものが復活をとげつつある気配が見えます。中世に地元で栄えた有力武士団が、惣領を中心に団結した「立派な」存在であったということを示すのが、自治体刊行物の使命であるというようなことを、本気で考えている人が、文化関係の要職にあったりするのが現状です。
 小中高の教育現場における歴史教育も、大方は戦前来の「国史」の再生産だったり、血の通っていない、まったく抽象化された暗記物にしかすぎないものであるように思います。そうしたツケが、テレビの歴史物の安直さや、「新撰組・ラストサムライ現象」の背景にあるのでしょう。
 何れにしても、先般の「その時、歴史は動いた」の内容は、考えれば考えるほど、あまりにも愚劣なものでした。小生は、NHK担当者の行為は、研究者としての元木先生にたいする重大な名誉毀損だと考えています。